テーマ:武田信玄

日本史の「ライバル」06 公務?川中島の戦い

数多の戦が繰り広げられた戦国時代の中でも、とりわけ知名度の高い戦闘の 一つに、甲斐・武田信玄(1521-1573年)と越後・上杉謙信(1530-1578年) による激突「川中島の戦い」を挙げることができそうです。 両軍の激突は、実は一回に留まらず、意外なことに前後五回にわたって繰り 広げられました。 ですから、一般的な言い…
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日本史の「誤算」07 我が死は三年間秘すべし

自領に迫った甲斐・武田信玄(1521-1573年)軍。 これを阻止すべく、 徳川家康(1543-1616年)が、屈強な自前の軍団「三河武士団」及び 織田信長(1534-1582年)軍との「連合軍」を率いて挑んだのが、 いわゆる「三方ヶ原の戦い」(1573年/現:静岡県浜松市)でした。 ところが、武田軍は圧倒的に強く、徳川織田「連…
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日本史の「列伝」01 父チャンを超えたい症候群

親があまりに偉大、言葉を変えればスーパースター的存在で ある場合、その子供は結構難儀な立場に置かれるものです。 ~周りの連中はいつも親父と俺を「見比べ」ている~ こうした 雰囲気はなんとなく本人(子)にも伝わってくるから鬱陶しい。 たとえ本人に「親とは器が違う」という自覚、ある種の諦観が あったにせよ、周りの「視線」はそれ…
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日本史の「油断」01 信玄公の”完勝”否定論

「腹八分目に医者いらず」という言葉がある通り、健康面を 考えるなら満腹を避け八分目くらいで留めておく方が良いのは 確かでしょう。 つまり「一時の食欲」を”完璧”に満たしてしまうことは、長期的 な目で見れば、なにかとマイナスになると言っているわけです。 実は「食欲」に限らず、分野の違う「戦さ」にも同様な言葉は あります。 …
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日本史の「デジャヴ」09 怪しき肖像画は続く

たとえば、聖徳太子・源頼朝・足利尊氏・武田信玄・西郷隆盛など ・・・こうした歴史上の人物の「風貌」を、おそらく多くの人は 下のような肖像画でイメージするのではないでしょうか? ところが、これらが「本当に本人の肖像か?」と突っ込まれると、 情けないことに、実は全部が全部 “怪しい” のだそうです。 そんなァ!・・・こちらには…
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日本史の「トホホ」06 忍者・段蔵のサービス精神

~100の仕事を言いつけられたら120の成果を出して、上司 (お客様)を驚かしてやりたい~ こんな心根を持つ日本人は、現在でも少なくないようです。 まあ、これは日本人特有の「勤勉さ」「サービス精神」の表れ なのかも知れませんが、ただ、歴史の中にはこれをマトモに 実践したために、逆に上司の不興を買い、そのことによって 歴史…
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日本史の「女性」08 信玄の血は残った

昔のことですから十七歳の女性が結婚することはさほど珍しい ことでもありません。 とは言うものの、その相手が七十歳のジイサマともなれば当時と しても、さすがに異色のカップルだったのではないでしょうか。 でもまた、なぜそんなことに? お話は、信玄(1521-1573)の「武田家」が子・勝頼(1546-1582) の代に「滅亡…
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