日本史の「付録」11 アウェイ戦は負け続け

島国日本は、内弁慶とでも言うのでしょうか、その昔から海の向こうでの 喧嘩が得意ではありません。 多少のいざこざがあろうとも、即相手を叩き潰すなんて過激な態度は、 国内でも慎重でしたから、その延長線上にあったのかもしれません。 そうした「穏やかさ」の背景には、恨みを持って死んだら怨霊となって この世に祟るという、いわゆる「怨…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「ライバル」03 源氏と平家は好対照物語

平安時代の終わり頃、平氏棟梁であった平清盛(1118-1181年)が、 武士階層出身の初の太政大臣に任じられるや、その直後に、今度は源氏の 貴種にあった源頼朝(1147-1199年)が幕府を開くことで武家政権を確立 させることに成功しています。 そして、武士の二大勢力であるこの源氏と平氏が覇権を争った、概ね 11世紀末から…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「忘れ物」28 歴史人物だって浮き沈む

昭和20(1945)年以降、つまり「戦後」と呼ばれる時代には知名度イマイチ に陥っているものの、それ以前では超有名だった人物も少なからずいます。 神話めいた存在では「三韓征伐」で有名な神功皇后とか、その側近である 武内宿禰がそうでしょうし、確実に実在した人物なら江戸後期の二宮尊徳 (1787-1856年)もその通りです。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「異国」07 朱と黒の幕末意地っ張り

「紅白」あるいは「赤と白」と言われたら、めでたい折に出される 「紅白饅頭」とか、大みそかの恒例番組「紅白歌合戦」、さらには、 歴史好きな人の中には源氏の白旗、平家の紅旗を思い浮かべる向きもある かもしれません。 では、それが「赤と黒」だったら? 小説「赤と黒」を思い浮かべる方も少なくないでしょう。 ただし、おそらくはその…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「世界標準」26 国際派?KOBANの知名度

道端で見つけた千円札一枚を律義に交番へ届けたものの、折悪しく交番巡査 が不在だったために、後日の出直し手続きが一層面倒になってしまった。 あまり食指の動かないこんな出来事を、何を思ったものか仲間の一人が、 自分の体験としてひどく得意気に話してくれました。 交番巡査が不在だったことはたまたまのことであり、当人の手柄でも なん…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「トホホ」28 大没落に遭遇した管領家

戦国英傑・織田信長(1534-1582年)については、こんな説明もされています。 ~その出自は、尾張守護・斯波氏に仕える守護代・織田氏の、そのまた  家老家の織田家である~ また別には、 ~越前朝倉氏の創始者・広景(1255-1352年)は斯波氏に仕えていた~ こちらも越前を拠点として戦国の世に存在感を示した家です。 この…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「アレンジ」20 草書風な五十三次宿場町

必ず毎日というわけではありませんが、機会があれば熱田神宮界隈の散歩 することが筆者の楽しみの一つになっています。 トボトボ歩くのにほど良い距離であることも理由ですが、いつも緑に 包まれたる静閑な環境が大きな魅力でもあります。 ただ、以前に比べ、最近はその熱田神宮界隈で数人程度の旅行者 グループを見かける機会が目立って多くな…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「信仰」16 名もなく儚く墓も無く

お盆の折ひょっこり親戚と話をする機会に恵まれましたが、時期的な雰囲気 もあってか、なんとはなしに「お墓」の話題に。 昨今、それなりの注目が集まっているとされるいわゆる「墓じまい」です。 しかし、その辺の事情にとんと疎い筆者は、ついつい初歩的な疑問を投げ かけてしまったのです。  ~そもそも「墓じまい」ってなにさ?~ 一瞬…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「微妙」11 将軍トライアル評判記

立派な君主、すぐれた君主のことを「名君」と言います。 また、長い歴史の中で一度衰えたり途絶えたりしてしまった事や物を復興 させることを「中興」といい、そうした「中興」を成し遂げた祖先に対して は「中興の祖」という呼び方も用意されています。 ちなみに、「中興の祖」をもう少し深追いしてみると、この程度の意味合い になるようです…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「災難」13 金縛り系?の不如意感覚

筆者が望んだことではなかったのですが、顔見知りのオジサンからこんな話を 聞かされるハメになりました。 ~えぇか、自分の意識はしっかりしているのに、身体のほうが思うように  動かない状況ってのは、ありゃホントに恐怖だぞ~ オジサン族による薬・医者・検査・症状・入院・手術など己の非健康に 対する自慢話?はそれこそ耳にタコという…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「異国」06 鉄砲伝来って訪問販売?

~一隻のポルトガル船が種子島に漂着して、日本に鉄砲を伝えました~ また、あるいは、 ~種子島に流れ着いた一隻の中国船に乗っていたポルトガル人が、  2丁の鉄砲を持っていました~ 上はいずれもいわゆる「鉄砲伝来」(1543年)についての説明文ですが、 漂着したのがポルトガル船だったのか、あるいは中国船だったのかなど、 その内容…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「落胆」04 大御心と幕末婚約の命運

黒船来航(1853年)に直面した幕府が見せたドタバタぶりは、こんな ふうにも揶揄されました。 ~泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず~ 事態に泡を食った日本側の雰囲気がよく伝わってきます。 しかしアメリカ・黒船が来ることは、オランダ国王からの報せを通じて じつは幕府も事前に承知していたのです。 にも関わらず、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「誤算」12 長州流?公金処理の御作法

幕府体制が終焉し、世が「明治」を迎えた頃の世情には混沌としたもの がありました。 諸外国がつけ入ることのないだけの短期間のうちに、それまでの 「ほとんど なにもかも」を作り替えてしまおうとするのですから、 そうした状況があるのは、ある意味ではやむを得ないことかもしれません。 事実、この時期には明治新政府の要人が絡んだ事件が…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「微妙」11 征夷大将軍そのウワサ話

武家政権(鎌倉幕府/1185年?-1333年)が樹立されて以降、その トップの座を「征夷大将軍」という称号?で呼ぶことにしました。 その座に就いた人物の数は鎌倉幕府9代、室町幕府15代、江戸幕府15代、 という内訳で、合計では39人になります。 では、この他には金輪際誰も「征夷大将軍」にならなかったかと言えば じつは必ずし…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「ツッパリ」25 地の果ての孤立文明圏

昔学校の授業で学んだ「世界四大文明」の記憶がひょっこり蘇って きました。 ひょっとしたら、トラウマ体験による「フラッシュバック」現象 なのかもしれませんが、似て非なる「八つの文明圏」なんて言葉に でくわしたせいです。 さて、人類最初の文明として確かこの四つを挙げ「世界四大文明」 と説明されたように記憶しています。 ○黄…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「大雑把」02 五十年ワシ掴みの江戸幕府

~「江戸時代」とは1603年の幕府樹立から1868年の江戸城明け渡し   までの265年を指す~ 普通この程度の説明がされています。  しかし、始まりから終わりまでの265年はいかにも長い。  もう少しコンパクトに把握できないものだろうか? そこで思いついたのが、江戸時代265年をエイヤッとばかりに、 約半世紀50年単位で…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「列伝」11 御幼帝御用達?の歴史本

人によっては、その字面はちょくちょく目にするものの、その時代や内容に なると、とんと承知しない事柄も、ままあるようです。 実はそうした状況が筆者自身にもあって、その一つに「神皇正統記」を 挙げることができそうなのです。 これまでにも何回かはその字面には対面はしたことがあります。 しかし、いまだに正しい読み方すら承知していな…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「タブー」11 怨霊封じ渾身プロジェクト

~「藤原」姓は天智天皇から亡くなるその前日の中臣鎌足に贈られた~ 通説ではそうされているものの、前後の経緯からしても、おそらくは鎌足に ではなく、その息子である不比等(659-720年)に下賜されたものでしょう。 不比等自身に、現在の権勢は姓を下賜された父親・鎌足による「親の七光り」 によるものとする態度を貫くことで、この頃の突…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「例外」02 天皇家好きの将軍家親戚

~朝方(午前9時頃)、藩士15名を含めた総勢60名ほどの護衛を従え、   彦根藩邸を出た大老・井伊直弼(1815-1860年)は、江戸城の入口・   桜田門の前で暴漢集団に襲われ絶命(即死)に至った~ これが今から160年ほど前に起きた「桜田門外の変」(1860年)です。 その彦根藩邸から職場・江戸城の入口まで実は僅か五・六…
トラックバック:2
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「災難」12 アウェイ幕府は曇り空

それまでにはなかった新しい階層「武士」の登場。 その経緯を探ってみると、たいていはこのくらいの説明になっています。 ~王朝国家体制の確立によって、朝廷は地方統治を事実上放棄した。   その上、桓武天皇が軍団を廃止した結果として、地方は治安が悪化し   無政府状態に陥り、16世紀まで日本列島は戦乱が頻発するようになった。   国…
トラックバック:3
コメント:0

続きを読むread more