日本史の「誤算」15 幕末騒乱は変則タッグ続き

敵味方の立場がコロッと入れ替わってしまうような一筋縄ではいかない 政治的な動きが、幕末には結構多く登場しました。 そうした出来事を並べ立てるなら、それこそ枚挙に暇がないので、そこで 断片的ですが、今回はそうした幕末の変則タッグを取り上げてみました。 時系列にはとんと頓着していませんので、その辺は悪しからずネ。 まずは、公武…
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日本史の「トホホ」32 政権以前の武士の境遇

武士政権と聞けば、まず大方は以下の三つの幕府政治を連想することでしょう。  時代順に並べれば、こうなります。 ○鎌倉幕府(1185頃-1333年) 創立者/源 頼朝 ○室町幕府(1336 -1573年) 創立者/足利尊氏 ○江戸幕府(1603 -1867年) 創立者/徳川家康 さらに、それぞれに一口メモを添えるならこんな感…
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日本史の「冗談?」20 首のためなら領国なんぞ

新年早々の新聞にこんな記事を見つけました。 ~(市は)松山城の天守や内門など計17カ所に、とがった物で線を付けた  ようなひっかき傷があったと発表した~ さらには、 ~内壁や柱に6カ所の傷があった天守は、国の重要文化財に指定されている~ 思い出してみれば、筆者もその昔に訪ねたことのあるお城です。 そこで「松山城」のホームペ…
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日本史の「付録」14 天照大神と野球用語

新春を迎え初詣気分にもなりましたが、密を避けなければならない昨今で あることをひょっこり思い出して、その瞬間にすっかり改心した次第です。 そこで、参拝代わりと言っては何ですが、そういった神様系のお話に探して みようと思い立ちました。 しかし、考えてみればこの日本にはそれこそ「八百万神」がおられますから、 その取っ掛かりを掴むこ…
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日本史の「逆転」24 女帝の独善純粋数奇な生涯

ここで取り上げるのは第45代・聖武天皇(701-756年)の娘として生まれた 阿倍内親王(718-770年)のことで、後に二度までも皇位に就いた方です。 この重祚、つまり一旦退位された後に再び即位されることですが、このこと 自体が非常に稀で、長い歴史の中でもじつは御二方しかおられません。 ですから、既に数奇な境遇の中にあったとも…
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日本史の「トンデモ」06 朱子学採用も科挙は別

戦国の「なんでもあり」の状況から、最終的な勝者の地位を占めることに なった人物が三河国出身の徳川家康(1543-1616年)でした。 その「なんでもあり」の状況には、家康自身も何度も直面しています。 たとえば、家臣・明智光秀(1528?-1582年)の謀反によって主君・織田信長 (1534-1582年)が呆気なく倒された「本…
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日本史の「災難」16 幕末の同時多発逆転劇

黒船来航(1853年)から大政奉還(1867年)くらいまでの15~16年間ほどの 期間を一般的に「幕末」と呼んでいます。 普通に考えれば「江戸幕府の末期」という意味なのでしょうが、その有様は まさに「激動の幕末期」と呼ぶにふさわしい状況を呈しました。 それが一番よく分かるのは、絵に描いたような「逆転劇」がどこにも頻発 した…
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日本史の「数字」06 天皇賢臣の前と後の三房

「日本三大○○」という表現を時折見かけることがあって、つい最近のこと 本ブログでも、いわゆる「日本三大仇討ち」に触れたことがあります。 もっともこの折は、本当に「仇討ち」という判定が妥当なのかという点で いささかの疑問を呈した内容になったのですが。           ※日本史の「微妙」07 日本三大仇討ちのモヤモヤ さて…
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日本史の「列伝」15 頑迷者の花火とチョンマゲ

いわゆる幕末期に外様大名・薩摩藩を掌握していた人物が前藩主・ 島津斉彬(1809-1858年)の異母弟に当たる島津久光(1817-1887年)でした。  しかし、藩主ではありません。 前藩主・斉彬は、この久光の長男・忠義(1840-1897年)※を養子に迎え、 遺命を以て後継藩主としたのです。   ※藩主在任中は茂久(もちひ…
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日本史の「ツッパリ」28 誤りは常に相手にあり

母子2人の死亡ほか9人に重軽傷を負わせた東京・池袋の車暴走事故 (2019年4月)は、まだまだ記憶に新しいところです。 加害者の自動車に搭載されたドライブレコーダーには、その事故の前後の様子 が録画されていました。 それによると、こんな状況だったようです。 ~加害者は制限速度を超えるスピードでカーブに進入し、前方のバイクや…
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日本史の「タブー」14 平安貴族のケガレ感覚

平安京に遷都された年から、朝廷側が武士身分である源頼朝に守護や地頭の 設置権を認めたときまでの期間(794-1185年)を、一般的には平安時代と 呼んでいます。 平安京が都だったことから「平安時代」という名称になったことは言うまで もありません。 その「平安」とは、今風の言葉なら「平和」ほどのニュアンスになりますが、 時…
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日本史の「言葉」31 朱子学じゃあ戦が出来ぬから

明治維新に大きな功績を果たした雄藩も実際にはそれぞれの事情を抱えて いました。 そうした事情は長州藩でも同様で、藩主・毛利敬親(1819-1871年)の下で、 改革派と保守派の2つの派閥が主導権を争っていました。 その各々の姿勢を追えば、改革派とは尊王攘夷・討幕派のことであり、 保守派とは幕府恭順派ということになります。 …
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日本史の「例外」05 皇位継承の現代事情

第126代天皇・徳仁は昨年の令和元(2019)年5月1日に即位され、本年 令和2(2020)年11月8日には皇位継承順位第1位である弟・文仁親王が 「立皇嗣の礼」を迎えられました。 基本的に皇嗣は皇太子(在位中の天皇の皇男子)がなるため、従来は 「立太子の礼」が行われてきましたが、天皇徳仁の御子は愛子内親王 だけで、その他…
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日本史の「陰謀」31 血筋制覇は子作りから

以前にも取り上げたことがありますが、今回もまた江戸幕府代11代将軍・ 徳川家斉(1773-1841年)のお話です。 この将軍、幕政を人任せで自分は大奥に入り浸っていたことから「俗物将軍」 とか、さらには精力増強のためオットセイの陰茎を粉末にしたものを好んで 飲んでいたことから「オットセイ将軍」とも呼ばれた、いささかユニークな …
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日本史の「誤算」14 神剣盗難事件その後

「えぇまあ、拙宅の庭みたいなものですねぇ」   筆者が他人様にこう吹聴するのは筆者の生息地域にある熱田神宮のことです。 実際にそこまで歩くならそこそこの時間はかかりますが、距離的に近いことを デフォルメした言い回しをしているわけです。 さて、その熱田神宮の境内の一角、とは言っても参拝用のメインストリート からは少し外れた場…
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日本史の「微妙」17 日本三大仇討ちのモヤモヤ

筆者の生息エリアにある熱田神宮には、現在でも「信長塀」が遺されており、 その案内板にはこう記されています。 ~信長塀/永禄三年(一五六〇) 織田信長が桶狭間出陣の際、当神宮に  願文を奏し大勝したので、そのお礼として奉納した塀である。  土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねている。  三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と…
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日本史の「災難」16 幕末貧乏くじを背負い込む

いわゆる「貧乏クジ」とは、平たく言えば「損な役回り」のことを意味し ますが、そういう役回り、あるいはそうした境遇に立った人物も歴史の中には 数多登場しています。 で、そういう「日本史の中の貧乏くじ」ということなら、筆者なぞにはすぐさま 松平容保の名が浮かんでくるところです。 こんな風に紹介されています。 ~松平容保(18…
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日本史の「忘れ物」29 身分に関する二三の用語

昔の人にとっては、至極“当たり前田の”常識だったのに、現代人にとっては イマイチ理解が及ばないというものも、実際には数多くあります。 人間社会の変化が歴史そのものであるという一面もありますから、ある意味では 止むを得ないことなのでしょうが、例えば「身分」なんて概念もそうしたものの 一つなのかもしれません。 明治以前つまり江…
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日本史の「タブー」13 時流御免蒙の独創覚悟

とてつもなく意外な発想とか、あるいは当時の常識にはとんと囚われない言動 とか、その時代の常識の枠内に収まっていないように感じられる出来事も、 時として歴史の中には登場します。 この表現では、筆者の言おうとしていることがイマイチ分かりにくい印象です ので、二三の具体例を挙げておきましょう。 例えば、こういうことです。 ずっ…
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日本史の「信仰」18 神勅違反容疑者の言い分

これは歴史事件というよりは神話に語られている出来事ですが、この国 (日本)の始まりはこうでした。 ~(まず最初に)天照大神の命を受け、その孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)  が高天原から日向国の高千穂峰に天降(あまくだ)りました~ 天照大神の「孫」が「天から降った」のですから「天孫降臨」です。 その際に、天照大神は孫であ…
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