アクセスカウンタ

ヤジ馬の日本史

プロフィール

ブログ名
ヤジ馬の日本史
ブログ紹介
日本の常識は世界の非常識?
そんな風土を培った「日本史」の不思議を
せっせとヤジ馬しよう! by 住兵衛
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
部分に注目すれば ”大勢の人の姿”に、
全体を眺めれば ”人の顔”に見える不思議。
ならば、「日本史」こそは究極の ”だまし絵”
なのかもしれんゾ! by だまし絵師

zoom RSS ブログ 新着記事

タイトル 日 時
日本史の「災難」11 改革とミニ科挙と異学の禁
日本史の「災難」11 改革とミニ科挙と異学の禁 戦国の世を勝ち抜いた徳川家康(1543-1616年)は、自ら征夷大将軍と なって江戸幕府を開き、その公式学問として「朱子学」を採用しました。 理由は明快で、家康自身が目の当たりにした明智光秀(1528?-1582年)に よる主君・織田信長(1534-1582年)に対する謀反・謀殺や、その後の 豊臣秀吉(1537-1598年)による織田家乗っ取りなどが、間違っても 徳川家には起こらないようにすることが目的でした。 「朱子学」は、親に対する「孝(行)」や主君に対する「忠(義)」を最も重視... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/08/15 00:01
日本史の「冗談」18 無位無官では無視される
日本史の「冗談」18 無位無官では無視される 筆者はお誘いを受けたことがありませんのでニュースで知るばかりですが、 皇居で催される園遊会では、そこに招待された方々に対し天皇ご自身が 直接にお声を掛けられる光景を見ることができます。 そればかりか、大きなダメージを受けた被災地を訪問された場合などには、 避難所に身を寄せる人々を前に、天皇自らが膝を折ってお声を掛けられる 場面もしばしば伝えられています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/08/10 00:01
日本史の「陰謀」26 誘惑されて棄てられて
日本史の「陰謀」26 誘惑されて棄てられて 「豊臣秀吉の子飼いの家臣」といえば、まあ大抵は福島正則(1561-1624年)や 加藤清正(1562-1611年)あたりの顔が浮かぶものです。 もっとも、筆者の場合は直接にお会いしたことがないこともあって、むしろ 「(顔より)名が浮かぶ」と表現した方が適切かもしれません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/08/05 00:01
日本史の「信仰」12 信心かぶれはどれもアブナイ
日本史の「信仰」12 信心かぶれはどれもアブナイ 戦国乱世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、何度か信仰 がらみの事件に遭遇しています。 領国・三河国で起きた「三河一向一揆」(1563-1564年)もその一つで、 一揆衆側に味方する家臣も決して少なくはなかったこの時は、当の家康自身 が「命の危機」に晒されたほどでした。 まさにチビる思い・・・いやホントは少しチビっちゃたかも知れません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/07/25 16:07
日本史の「もしも」12 会津藩って何者ですか?
日本史の「もしも」12 会津藩って何者ですか? 幕末の一時期の政治は、実質的に以下の三人のスクラムによって運営 されていました。 ○一橋家・徳川慶喜(1837-1913年/後の15代将軍) ○会津藩・松平容保(1836-1893年/慶喜の又従兄弟※親同志がイトコ) ○桑名藩・松平定敬(1847-1908年/容保の実弟) ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/07/25 00:01
日本史の「微妙」08 どれがぁ?俳句川柳和歌狂歌
日本史の「微妙」08 どれがぁ?俳句川柳和歌狂歌 下の二つの詩は両方とも五・七・五の十七音から成り立っていますが、 ジャンルで分けるなら別物の扱いになります。 □〜古池や 蛙飛び込む 水の音〜 ◇〜一戸建て まわりを見ると 一戸だけ〜 もうお分かりのように、 「古池や・・・」は俳句で、「一戸建て・・・」は川柳です。 では、それをどこで見分けたらいいの? ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/07/20 00:10
日本史の「デジャヴ」25 二度ある落城は三度ある
日本史の「デジャヴ」25 二度ある落城は三度ある ヘソ曲がり系の方々に念のためにお断わりしておきますが、ここでいう 「落城」とは〜城が空から降って落ちてくる〜ことではなく、オーソドックスに 〜敵に城を攻め落とされること〜の意味で使っています。 ほとんど「非日常」の光景とも言ってもいいこの「落城」を、実は生涯に 三度も体験している女性がいます。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/07/15 00:01
日本史の「発明発見」21 タイムトラベル平等思想
日本史の「発明発見」21 タイムトラベル平等思想 キリスト教には「神の前の平等」という思想があります。 この思想のホントに意味するところはイマイチ詳しく知りませんが、どうやら、 〜神と自己とは一対一の関係にあって、神と自分との間に比較できる対象が   入り込む余地がない(から平等である)〜という説明になるようです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/07/10 00:01
日本史の「タブー」07 技術革新 300年の空白
日本史の「タブー」07 技術革新 300年の空白 遥かヨーロッパからこの日本に「鉄砲」が伝わった時期は、戦国の世 真っ只中の1542年か1543年のことだとされています。 いわゆる「鉄砲伝来」ですが、そのハイテク武器が最初に上陸した 大隅国・種子島の、今なら中学生ほどの年齢だった若き領主・種子島 時堯(1528-1579年)は、これに大きな関心を寄せ、大枚をはたいて 二丁を購入するや、自らも熱心に射撃練習に精を出しました。 今風に言うなら、初めて自分用の「スマホ」を持てた中学生というところ でしょうか、この時代のハイテク機器に夢中... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/07/05 00:01
日本史の「付録」07 トレンディ学問アラカルト
日本史の「付録」07 トレンディ学問アラカルト 一口に学術・学問とは言うものの、たとえば漢学/蘭学/洋学/ 国学/儒学/朱子学など、日本史の中には実に多くの名称が登場して いることに気が付きます。 仮にそうした字面に出くわしても、筆者なぞは、まあ大方の場合、自己流の 勝手な解釈でお茶を濁していますが、少し拘って探ってみると、そこには それなりに深い意味があるようです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/06/30 00:01
日本史の「パクリ」14 忘れん坊将軍の悪巧み
日本史の「パクリ」14 忘れん坊将軍の悪巧み 徳川幕府(1603-1867年)が諸大名を管理・コントロールするため設けた御家の 「格付け」(家格)を少し整理してみると、概ねこんな具合になりそうです。 ○将軍家/幕祖・徳川家康(1543-1616年)を祖とした最高の家格を誇る。   →江戸幕府の長・征夷大将軍を建てるべく徳川本家。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/06/25 00:05
日本史の「信仰」11 一姫二太郎と四苦八苦
日本史の「信仰」11 一姫二太郎と四苦八苦 ちょっとした引っかけクイズとして、よく出題されるようですが、 〜「一姫二太郎」・・・これって全部で何人?〜 ここで、うっかり 〜姫(女の子)が一人で太郎(男の子)が二人なら、そんなもん、   合計三人に決まっとるがや〜 こんな答えを返そうものなら、見事に「引っかかった」ことになります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2018/06/20 00:01
日本史の「事始め」16 明治150年とその前1500年
日本史の「事始め」16 明治150年とその前1500年 ひょんなことから、日本史に関する質疑応答の場に遭遇することができました。 自称・歴史ファンを自称する一般の方々の質問に対して、「逆説の日本史」の 著者・井沢元彦氏がそれに答えるという構図です。 折角のことですから、気の変わらないうちにその風景を報告しておこうと 思った次第です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/06/15 00:10
日本史の「世界標準」24 一国平和はリスクを背負う
日本史の「世界標準」24 一国平和はリスクを背負う どちらかと言えば、現代日本の国民感情には、自国の平和のみに絶対の 価値を置き、諸外国における紛争・対立などには割合に鈍感・無関心な、 いわば「一国平和主義」モードの中にあるようにも感じられます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/06/10 00:01
日本史の「タブー」06 かくして御家は滅亡する
日本史の「タブー」06 かくして御家は滅亡する 平清盛(1118-1181年)を頂点として朝廷を凌ぐほどの栄華を誇った 平家一門の隆盛ぶりを、同門にあった平時忠はこう評したそうです。 〜一門にあらざらん者はみな人非人なるべし〜 (現代言葉に直した〜平氏にあらずんば人にあらず〜が有名) ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/06/05 00:01
日本史の「トホホ」26 京の大仏様にツキはない
日本史の「トホホ」26 京の大仏様にツキはない 日本の場合、「大仏」サマと言えば、まあ普通には 「奈良の大仏」(東大寺廬舎那仏仏像/752年開眼)か、あるいは 「鎌倉の大仏」(高徳院阿弥陀如来像/開基時期不明)あたりを、 イメージするものと思われます。 では、この他に大仏サマがないかのと言えば、実は「さにあらず」で、 古い時代に限っても、たとえば方広寺には「京の大仏」(毘廬舎那仏坐像/ 1595年建造)と呼ばれた大仏サマもおられました。 「・・・ました」と過去形の表現を用いるのは、実はこの大仏サマ、現在は 影も形もなく消滅しち... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/30 00:01
日本史の「アレンジ」18 拙者の名前も御維新いたす
日本史の「アレンジ」18 拙者の名前も御維新いたす 実際には、この他にもその該当者?は大勢いますが、幕末維新の頃に 大いなる活動を見せた人物の中からピックアップしたこの四人の 「共通点」に気が付きますか? ○長州藩士・村田 蔵六 (むらた・ぞうろく   /1824-1869年) ○福井藩士・三岡 八郎 (みつおか・はちろう /1829-1909年) ○長州藩士・桂 小五郎 (かつら・こごろう   /1833-1877年) ○薩摩藩士・中村半次郎(なかむら・はんじろう/1833-1877年) ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2018/05/25 00:15
日本史の「謎解き」28 民族DNAは競争を嫌う?
日本史の「謎解き」28 民族DNAは競争を嫌う? 戦国の世の最終勝者となり、その後に江戸幕府を創立した徳川家康 (1543-1616年)は、幕府の公式学問として「朱子学」を採用しました。 もともとは「孔子」(前552-前479年)が始めた「儒教」を、千数百年も後に なって南宋の「朱熹」(1130-1200年)が再構築したものが、この「朱子学」で あり、これはまた「新儒教」ともいうべき位置づけをされています。  ちなみに「朱子」とは「朱先生」を意味する尊称です。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/05/20 00:01
ヤジ馬の日本史〜超駄級・500記事一覧〜 401−499編/満腹にぎりめ史!
ヤジ馬の日本史〜超駄級・500記事一覧〜 401−499編/満腹にぎりめ史! これまで書き連ねた記事が通算500本に到達しましたので、 今回その節目として改めて直近100編(400〜499)を 整理してみました。 全編粒揃いの「超駄級」であることから、全国津々浦々の ヒマ人様からは、「時間潰し」の最適ツールとして、割合に 控えめなご好評?も頂いております。  管理人:住兵衛 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 0

2018/05/15 00:01
日本史の「微妙」07 会議は”根回し”にあり!
日本史の「微妙」07 会議は”根回し”にあり! 現代日本人には、議論をぶつけ合う形になる「会議」自体をあまり好まず、 むしろそれよりは事前の“根回し”という手続きの方に、より重点を置く習性が あるように感じられます。 根回し”という事前調整?を駆使することによって、本番の白熱議論を 避けておく方が仲間集団の和を保つためには無難とする意識でしょうか。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2018/05/10 00:01

続きを見る

トップへ

月別リンク

ヤジ馬の日本史/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる