日本史の「タブー」12 使者はなぜ殺されたのか

「蒙古襲来」あるいは「元寇」という当時の日本国にとって歴史的な 大事件は、概ねのところこんな説明になっています。 ~日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として  東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)およびその属国  である高麗によって二度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である~ 早い…
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日本史の「トンデモ」04 言霊商標の平和万能薬?

1945年以降の、いわゆる「戦後日本」は戦争に対する猛省という意味合いも あってか、「何にもまして平和」を重視する姿勢に転じました。 戦争よりは平和の方をありがたく思うのは人の常ですから、これはこれで 評価されるべきことでしょう。 そうした風土にあって、「戦後日本」はさらに「平和構築」を目的とした 多くの思想・政見も登場さ…
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日本史の「ライバル」04 神々の悠久なるリベンジ

列島民僕にとってはまったく目新しい宗教と言っていい「仏教」が、 百済王からこの地に伝えられた(公伝)のは548年のこととされています。 これが正しければ、我が国においては第29代・欽明天皇(509?-571年)の 時代ということになりますが、もっともその時期については他にも 538年説、552年説など諸説あって、実際のところはイ…
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日本史の「微妙」12 日本もじ文字バラエティ

普段はあまり意識しないものの、現代日本人が使っている「文字」は案外に ユニークな代物なのかもしれません。 まず第一に、他の文字に比べ、その種類が結構豊富なことです。 思いつくまま並べても、漢字・ひらがな・カタカナはずっと昔からが ありますし、明治以後のことなら、アルファベットを利用したローマ字と いう表現方法も提供され、さ…
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日本史の「数字」01 文政テーマパーク殺人事件

筆者の生息地・愛知県では、戦国時代に天下を掌握した三人を 「郷土の三英傑」と称え、「名古屋祭り」の折には、それぞれの名を 冠した隊列を組み、豪華勇壮なパレードまで披露しています。 いわゆる「英傑行列」ですが、その三英傑は地元以外の人にもかなり有名な 存在だとは思います。 念のためにその顔ぶれをご紹介しておくと、 織田信長(…
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日本史の「ツッパリ」26 時世時節が変わるは悪だ

「原理主義」という言葉があります。 ~一般的に、基本的な理念や原理原則を厳格に守ろうとする立場~ と説明されており、さらには、 ~(原理原則を)忠実に解釈し実践しようとする思想や運動~のことでも あり、さらには、そういう~原理主義の立場をとる人~のことを 「原理主義者」とも言うと説明されています。 そういうことなら、「原…
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日本史の「大雑把」03 昔年齢をイメージする

「関ヶ原の戦い」(1600年)に勝利し、戦国乱世の最終勝者となったのは 豊臣政権五大老の一人である徳川家康(1543-1616年)でした。 その数年後には自らが征夷大将軍に就き「江戸幕府」を創立していますから、 家康はこの時点で事実上天下を掌握したことになります。 そうした家康に対して、数多の大名は抵抗姿勢を改め、そのことに…
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日本史の「陰謀」28 名君なおもて暗君をや

昔々の時代劇映画お多くは、主君が絶対的な権力を持ち、家臣はそれに ひれ伏す姿を当然のものとして描いていた印象があります。 君臣の立場にはハナから絶対的な違いがある、と言ったところでしょうか。 ですから、仮に家臣側が異を唱えるにしても、それはやんちゃな若殿に 対して、古手の家老がちょいと御意見を述べる程度の姿に留まります。 …
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ヤジ馬の日本史 超駄級600記事 №501-599編/だがしか史!

これまで書き連ねた記事が通算600本に到達しましたので、今回その節目と して改めて直近100編(№501~599)を整理してみました。 全編粒揃いの「超駄級」であることから、全国津々浦々のヒマ人様からは、 「時間潰し」の最適ツールとして、割合に控えめなご好評?も頂いて おります。                   管理人:住兵…
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日本史の「落胆」05 主君の悪口は言えない

いわゆる幕末維新(1853-1869年)の折に、最も過激な思想・行動を示した のが外様大名・毛利家を藩主とする「長州藩」でした。 戦国時代に国人領主から戦国大名への脱皮を一代で成し遂げ、中国地方の 覇者となった毛利元就(1497-1571年)が同藩の始祖とされ、 その子孫が代々の藩主を受け継いできた御家です。 現にこの幕末…
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日本史の「発明発見」24 イロハのイの字は?

当時はまだ日本とは呼んでいなかったでしょうが、現代でいういわゆる 「日本民族」が、文字を使うようになったのは、いったいいつ頃のこと なのか。 この文字自体についても、「すでに列島では独自のものがあった」など、 いくつかの解釈も成り立ちそうですから、ここはズバリ「漢字」として おきましょう。 それにも実は諸説あるようで、た…
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日本史の「付録」11 アウェイ戦は負け続け

島国日本は、内弁慶とでも言うのでしょうか、その昔から海の向こうでの 喧嘩が得意ではありません。 多少のいざこざがあろうとも、即相手を叩き潰すなんて過激な態度は、 国内でも慎重でしたから、その延長線上にあったのかもしれません。 そうした「穏やかさ」の背景には、恨みを持って死んだら怨霊となって この世に祟るという、いわゆる「怨…
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日本史の「ライバル」03 源氏と平家は好対照物語

平安時代の終わり頃、平氏棟梁であった平清盛(1118-1181年)が、 武士階層出身の初の太政大臣に任じられるや、その直後に、今度は源氏の 貴種にあった源頼朝(1147-1199年)が幕府を開くことで武家政権を確立 させることに成功しています。 そして、武士の二大勢力であるこの源氏と平氏が覇権を争った、概ね 11世紀末から…
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日本史の「忘れ物」28 歴史人物だって浮き沈む

昭和20(1945)年以降、つまり「戦後」と呼ばれる時代には知名度イマイチ に陥っているものの、それ以前では超有名だった人物も少なからずいます。 神話めいた存在では「三韓征伐」で有名な神功皇后とか、その側近である 武内宿禰がそうでしょうし、確実に実在した人物なら江戸後期の二宮尊徳 (1787-1856年)もその通りです。 …
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日本史の「異国」07 朱と黒の幕末意地っ張り

「紅白」あるいは「赤と白」と言われたら、めでたい折に出される 「紅白饅頭」とか、大みそかの恒例番組「紅白歌合戦」、さらには、 歴史好きな人の中には源氏の白旗、平家の紅旗を思い浮かべる向きもある かもしれません。 では、それが「赤と黒」だったら? 小説「赤と黒」を思い浮かべる方も少なくないでしょう。 ただし、おそらくはその…
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日本史の「世界標準」26 国際派?KOBANの知名度

道端で見つけた千円札一枚を律義に交番へ届けたものの、折悪しく交番巡査 が不在だったために、後日の出直し手続きが一層面倒になってしまった。 あまり食指の動かないこんな出来事を、何を思ったものか仲間の一人が、 自分の体験としてひどく得意気に話してくれました。 交番巡査が不在だったことはたまたまのことであり、当人の手柄でも なん…
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日本史の「トホホ」28 大没落に遭遇した管領家

戦国英傑・織田信長(1534-1582年)については、こんな説明もされています。 ~その出自は、尾張守護・斯波氏に仕える守護代・織田氏の、そのまた  家老家の織田家である~ また別には、 ~越前朝倉氏の創始者・広景(1255-1352年)は斯波氏に仕えていた~ こちらも越前を拠点として戦国の世に存在感を示した家です。 この…
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日本史の「アレンジ」20 草書風な五十三次宿場町

必ず毎日というわけではありませんが、機会があれば熱田神宮界隈の散歩 することが筆者の楽しみの一つになっています。 トボトボ歩くのにほど良い距離であることも理由ですが、いつも緑に 包まれたる静閑な環境が大きな魅力でもあります。 ただ、以前に比べ、最近はその熱田神宮界隈で数人程度の旅行者 グループを見かける機会が目立って多くな…
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日本史の「信仰」16 名もなく儚く墓も無く

お盆の折ひょっこり親戚と話をする機会に恵まれましたが、時期的な雰囲気 もあってか、なんとはなしに「お墓」の話題に。 昨今、それなりの注目が集まっているとされるいわゆる「墓じまい」です。 しかし、その辺の事情にとんと疎い筆者は、ついつい初歩的な疑問を投げ かけてしまったのです。  ~そもそも「墓じまい」ってなにさ?~ 一瞬…
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日本史の「微妙」11 将軍トライアル評判記

立派な君主、すぐれた君主のことを「名君」と言います。 また、長い歴史の中で一度衰えたり途絶えたりしてしまった事や物を復興 させることを「中興」といい、そうした「中興」を成し遂げた祖先に対して は「中興の祖」という呼び方も用意されています。 ちなみに、「中興の祖」をもう少し深追いしてみると、この程度の意味合い になるようです…
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