日本史の「微妙」11 征夷大将軍そのウワサ話

武家政権(鎌倉幕府/1185年?-1333年)が樹立されて以降、その トップの座を「征夷大将軍」という称号?で呼ぶことにしました。 その座に就いた人物の数は鎌倉幕府9代、室町幕府15代、江戸幕府15代、 という内訳で、合計では39人になります。 では、この他には金輪際誰も「征夷大将軍」にならなかったかと言えば じつは必ずし…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「ツッパリ」25 地の果ての孤立文明圏

昔学校の授業で学んだ「世界四大文明」の記憶がひょっこり蘇って きました。 ひょっとしたら、トラウマ体験による「フラッシュバック」現象 なのかもしれませんが、似て非なる「八つの文明圏」なんて言葉に でくわしたせいです。 さて、人類最初の文明として確かこの四つを挙げ「世界四大文明」 と説明されたように記憶しています。 ○黄…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「大雑把」02 五十年ワシ掴みの江戸幕府

~「江戸時代」とは1603年の幕府樹立から1868年の江戸城明け渡し   までの265年を指す~ 普通この程度の説明がされています。  しかし、始まりから終わりまでの265年はいかにも長い。  もう少しコンパクトに把握できないものだろうか? そこで思いついたのが、江戸時代265年をエイヤッとばかりに、 約半世紀50年単位で…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「列伝」11 御幼帝御用達?の歴史本

人によっては、その字面はちょくちょく目にするものの、その時代や内容に なると、とんと承知しない事柄も、ままあるようです。 実はそうした状況が筆者自身にもあって、その一つに「神皇正統記」を 挙げることができそうなのです。 これまでにも何回かはその字面には対面はしたことがあります。 しかし、いまだに正しい読み方すら承知していな…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「タブー」11 怨霊封じ渾身プロジェクト

~「藤原」姓は天智天皇から亡くなるその前日の中臣鎌足に贈られた~ 通説ではそうされているものの、前後の経緯からしても、おそらくは鎌足に ではなく、その息子である不比等(659-720年)に下賜されたものでしょう。 不比等自身に、現在の権勢は姓を下賜された父親・鎌足による「親の七光り」 によるものとする態度を貫くことで、この頃の突…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「例外」02 天皇家好きの将軍家親戚

~朝方(午前9時頃)、藩士15名を含めた総勢60名ほどの護衛を従え、   彦根藩邸を出た大老・井伊直弼(1815-1860年)は、江戸城の入口・   桜田門の前で暴漢集団に襲われ絶命(即死)に至った~ これが今から160年ほど前に起きた「桜田門外の変」(1860年)です。 その彦根藩邸から職場・江戸城の入口まで実は僅か五・六…
トラックバック:2
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「災難」12 アウェイ幕府は曇り空

それまでにはなかった新しい階層「武士」の登場。 その経緯を探ってみると、たいていはこのくらいの説明になっています。 ~王朝国家体制の確立によって、朝廷は地方統治を事実上放棄した。   その上、桓武天皇が軍団を廃止した結果として、地方は治安が悪化し   無政府状態に陥り、16世紀まで日本列島は戦乱が頻発するようになった。   国…
トラックバック:3
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「事始め」18 だから不比等はミステリー

~「藤原」姓は、中大兄皇子(後の第38第・天智天皇/626-672年)に協力し、   後の国家改造を導くことになった中臣鎌足(614-669年)に下賜された~  通説ではこのように「藤原氏」の始祖は鎌足と説明されることが多いのですが、 しかし、その鎌足の子である「藤原不比等」(659-720年)と事実上の家祖と 見る向きもありま…
トラックバック:4
コメント:2

続きを読むread more

日本史の「謎解き」29 豊前豊後はトヨのくに

昔々の大昔、戦国の織田信長も源平の源義経も、それどころか飛鳥の 聖徳太子すらもまだ生まれていなかった三世紀頃、九州の一角に 「豊国(とよのくに)」と呼ばれる地域がありました。 九州の東北部に位置し、現在の地名なら福岡県東部および大分県全域に 相当する地域です。 おそらくは、地形的に安定した収穫を得られる豊かな地であったこと…
トラックバック:5
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「落胆」03 将軍後継と同時多発テロ

二度にわたる「大坂の陣」(冬1614年/夏1615年)を制したことによって、 かつての主家・豊臣家を滅亡にまで追い込んだ徳川家康(1543-1616年)は その後も諸大名への干渉を怠ることはありませんでした。 これには、豊臣家の死に物狂いの抵抗にいささかのトラウマを覚えたことの 影響があったかもしれません。 大名の隙に対し…
トラックバック:6
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「ライバル」02 武士政権七百年の夜明け前

いわゆる「武士政権」を最初に立ち上げた人物として、普通は平安時代末期に 活動した平清盛(1118-1181年)の名が挙げられ、その仕組みを所在地の 名称から(京の)「六波羅政権」という呼び方もしているようです。 さて、これを「最初の」とするからには、当然その続きもあるわけで、確かに これ以後は源頼朝による「鎌倉幕府」、足利尊…
トラックバック:8
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「怪人」21 素性も政策も虫が好かぬ

広く武士の教養・規範とすべく「朱子学」に注目したのは江戸幕府創立者・ 徳川家康(1543-1616年)その人でした。 いや、江戸幕府においては人というより、神様に祀り上げられた「神君」と 言った方が正しいかもしれません。 つまり、朱子学に励むことは即ち「神君」の御遺志にビッタシ沿う行動になる わけですから、そこで、幕府が存…
トラックバック:8
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「付録」10 皇位継承の現代風再考

およそ200年ぶりとされる天皇譲位によって、それまで30年ほど続いた 平成時代が幕を閉じ、新たに令和時代を迎えることになりました。 このことは、皇室にとっても、また国民にとっても「稀な体験」という 位置づけになりそうですが、これとは別に、現在の皇室及びその周辺には 別の危機意識があるとされています。 それは現在~皇位継承資…
トラックバック:9
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「トンデモ」03 精神が敵機を撃墜する

第119代・光格天皇(1771-1840年)以来およそ200年ぶりとなる平成の「譲位」 に当たって、天皇陛下(第125代/明仁/満85歳1933年生)は、その心境を こう漏らされました。 ~平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵して   います~ その思いによほど強いものがあったのでしょう、いささか涙声に…
トラックバック:9
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「例外」01 歴代以外にも覆面天皇が

寿命がいつかは尽きてしまうのは「生物」の宿命で、その点は人間も その通りなら、神の子孫とされる「天皇」も例外ではありません。 その天皇が至高の存在であることを強調する意味もあるのでしょうか、 「崩御(死去)」されると、それまで使っていた名とは別に生前の事績を 勘案した名「諡名」(諡号)が奉られます。 ごく普通に使っている「○○…
トラックバック:4
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「発明発見」23 小牧山城から天下を見渡す

筆者の生息地・名古屋から車で30分ほどの「小牧(市)」。 用事を早めに済ませ、空いた時間を「小牧山」探訪に充てたのが、数日前 (2019・04・27土曜)の午前のことでした。 割合近いエリアでありながら、ここを訪れたことがないという事実に、ふと 気が付いたからです。 「歴史好き」あるいは「お城好き」の皆様には、この「小牧山…
トラックバック:5
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「ツッパリ」24 幕末老中の御意見募集

いわゆる「黒船来航」(1853年)によって外国(アメリカ)から開国を求められる ことになった幕府でしたが、ハナから相手の希望に沿うつもりは持っていません でした。 鎖国政策は権現様、つまり幕府創立者である徳川家康(1543-1616年)も 遵守してきた祖法だと強く信じ込んでいたことがその理由です。 祖法違反とは、江戸幕府にとっ…
トラックバック:6
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「信仰」15 儒教徒はメタボに憧れる

「儒教」あるいは「儒学者」という言葉は日本史の中にもよく登場しています。 では、その「儒教」って、いったいなんなの?  なんとなく分かっているようで、その実分かっていないのは、筆者とて その例外ではありません。 そこで、手っ取り早く一般的な説明の受け売りに走ると、 ~「儒教」は、(紀元前もかなり前の)孔子(前562-前479年…
トラックバック:7
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「タブー」10 神君祖法をシカトする?

戦国の世の最終勝者・徳川家康(1543-1616年)が、自ら初代将軍に就き、 創立を果たしたのが江戸幕府(1603-1867年)でした。 その将軍職を2年ほどで辞し、家康はその後継として自分の息子秀忠を 第2代将軍に就けました。 そして、自らがそうだった「独裁将軍」の姿を秀忠には求めませんでした。 諸藩に対し、「参勤交代」…
トラックバック:8
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「付録」11 待ちかねたゾ武蔵ッ!

「史実」をヒントにして後の時代に創作された芝居や小説などが、元の「史実」 そのものよりも有名になってしまうことも、ままあるお話です。 少し古い時代なら、たとえば史実「元禄赤穂事件」(1701-1703年)をモデルに した創作「忠臣蔵」がそうでしょうし、それよりは新しい時代で探すなら、幕末に 活動した土佐藩郷士・坂本龍馬(1836…
トラックバック:5
コメント:0

続きを読むread more