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ヤジ馬の日本史

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ヤジ馬の日本史
ブログ紹介
日本の常識は世界の非常識?
そんな風土を培った「日本史」の不思議を
せっせとヤジ馬しよう! by 住兵衛
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部分に注目すれば ”大勢の人の姿”に、
全体を眺めれば ”人の顔”に見える不思議。
ならば、「日本史」こそは究極の ”だまし絵”
なのかもしれんゾ! by だまし絵師

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タイトル 日 時
日本史の「もしも」13 鉄砲は信仰に馴染まない
日本史の「もしも」13 鉄砲は信仰に馴染まない 日本国内の各地で戦が展開される戦国の頃に、遥かヨーロッパから この地・種子島に初めて鉄砲という道具が伝わったのが、いわゆる 「鉄砲伝来」(1542?1543年?)です。 若き領主・種子島時堯(1528-1579年)は、その「鉄砲」が備えた威力を 間近に見て、さっそく実物二丁を買い求めるや、すぐさま刀鍛冶職人に 「コピー品」の製造を命じています。 若いだけあって、決断も行動もさすがに早い。 ...続きを見る

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2018/10/20 00:01
日本史の「デジャヴ」26 幕府は武士たちの公民権
日本史の「デジャヴ」26 幕府は武士たちの公民権 黒人に対する有権者登録の妨害に抗議するために立ち上がった600人の デモ隊に対し、それを断固阻止すると宣言した白人(アラバマ州)知事が、 催涙ガスや武器を使って容赦の無い武力鎮圧に及んだ事件が、1965年3月 7日の日曜日のいわゆる「血の日曜日(Bloody Sunday)」とも呼ばれた 出来事でした。 ...続きを見る

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2018/10/15 00:01
日本史の「異国」01 鎖国明け奥地の細道
日本史の「異国」01 鎖国明け奥地の細道 明治の元号になってから11年後(1878年)のこと、極東の小国・日本に関心を 抱き、その地を見聞したイギリス人女性がいました。 ...続きを見る

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2018/10/10 00:01
日本史の「トホホ」27 望月だっていずれは欠けるゾ
日本史の「トホホ」27 望月だっていずれは欠けるゾ こう力説する知人がいます。 〜どんなに頼まれたって、オレの娘を天皇家に嫁がせることはないゾ〜 そんなお話が天皇家から彼のところへ舞い込むとは到底思えないこと ですから、これはおそらく「杞憂」ということになるのでしょう。 ...続きを見る

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2018/10/05 00:01
日本史の「落胆」01 勝てば官軍、でもないゾ
日本史の「落胆」01 勝てば官軍、でもないゾ 「勝てば官軍 負ければ賊軍」 この言葉は一般的に、 〜何事も強い者や最終的に勝ったものが「正義」であり、負けた方は   「不正義」である〜 このくらいの意味で解釈されているようです。 ...続きを見る

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2018/09/30 00:01
日本史の「列伝」18 突然死と長っ尻の第11代
日本史の「列伝」18 突然死と長っ尻の第11代 江戸幕府第10代将軍・家治(1737-1786年)の世嗣・徳川家基(1762-1779年) は、幼年期より聡明で文武両道の才能を発露していただけでなく、成長 するにつれ政治にも大きな関心を寄せるようになっていました。 ですから、8代・吉宗→その子9代・家重→その子10代・家治と続いた 江戸幕府将軍職は、何事もなければ、血筋の流れの通りに第11代には 家基が就くはずでした。 ...続きを見る

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2018/09/25 00:01
日本史の「誤算」09 一帯一路は周回遅れ?
日本史の「誤算」09 一帯一路は周回遅れ? 〜シルクロード経済ベルトと21世紀海洋シルクロード〜 2014年に中国・習近平総書記が提唱したことで注目を浴びるようになった この経済圏構想は、通常はもっと簡便に「一帯一路」と表現されています。 ...続きを見る

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2018/09/20 00:01
日本史の「大雑把」01 詭弁方便は神仏の十八番?
日本史の「大雑把」01 詭弁方便は神仏の十八番? 個人的な感想ですが、個人個人の心こころに自由な形で抱かれているうちは、 信仰・信心と表現をされるものが、一定の広がりを持った集団的な行為に なると、これが「宗教」と呼ばれる印象がしています。 ...続きを見る

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2018/09/15 00:01
日本史の「タブー」08 そして誰もが頓挫した
日本史の「タブー」08 そして誰もが頓挫した 日本の歴史にはなんとも不思議な現象もあって、たとえば「天皇」の存在 などもそれに当てはまるかもしれません。 それ以前には別の呼び方をしていたのでしょうが、たぶん7世紀くらいには 自分たちの最高権力者に、現在と同じ「天皇」の呼称を用いていたと 思われます。 ...続きを見る

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2018/09/10 00:01
日本史の「信仰」13 ヤマト民族の歩き方
日本史の「信仰」13 ヤマト民族の歩き方 「真髄」という言葉は概ねのところこんな意味になっています。 〜物事のもっとも肝心(かんじん)な点/その道の奥義(おうぎ)〜 ちなみに、「肝心」も「奥義」もともに〜最も奥深い大切な事柄〜を意味する 言葉です。 さて、つい先日、この「真髄」なる言葉を冠した本が出版されました。 (現在時点で)514万部と紹介されているベストセラー「逆説の日本史」の 著者・井沢元彦氏による「日本史真髄」(小学館新書/2018年8月8日発行) がそれです ...続きを見る

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2018/09/05 00:01
日本史の「付録」08 現世は儚し来世は墓無し
日本史の「付録」08 現世は儚し来世は墓無し まず最初に、本稿は「儚し(はかなし)」と「墓無し(はかなし)」を掛詞にした タイトルにしていることをお伝えしておきます。 これは単なる遊び心であり、そこに重い意味を持たせていりわけではあり ませんが、このことに気付かないウッカリ者のために念のために注記して おく次第です。 ...続きを見る

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2018/08/30 00:01
日本史の「トンデモ」01 ゼロ予算で城を構える
日本史の「トンデモ」01 ゼロ予算で城を構える 「城」という言葉についてはこんな説明がされています。(Wikipedia) 〜中国における城とは、本来城壁のことを意味し、都市や村など   居住地全周を囲む防御施設を指すことが多い〜 つまり、多くの日本人がイメージしやすい、たとえば「姫路城」などの和風? の城と、本家?中国の「城」はその概念も規模も大きく異なっているわけです。 ...続きを見る

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2018/08/25 07:30
日本史の「女性」25 従一位なら噂も消せる?
日本史の「女性」25 従一位なら噂も消せる? こ江戸幕府創立者・徳川家康(1543-1616年)は幕府の公式学問として 朱子学を採用しました。 最高の徳目を「孝(親孝行)」とする朱子学は、家臣や諸藩に忠誠を 求める幕府にとっても非常に都合の良いものだったからです。 実際、「孝」の実践に熱心に励んだ将軍も誕生しています。 ...続きを見る

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2018/08/20 14:00
日本史の「災難」11 改革とミニ科挙と異学の禁
日本史の「災難」11 改革とミニ科挙と異学の禁 戦国の世を勝ち抜いた徳川家康(1543-1616年)は、自ら征夷大将軍と なって江戸幕府を開き、その公式学問として「朱子学」を採用しました。 理由は明快で、家康自身が目の当たりにした明智光秀(1528?-1582年)に よる主君・織田信長(1534-1582年)に対する謀反・謀殺や、その後の 豊臣秀吉(1537-1598年)による織田家乗っ取りなどが、間違っても 徳川家には起こらないようにすることが目的でした。 「朱子学」は、親に対する「孝(行)」や主君に対する「忠(義)」を最も重視... ...続きを見る

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2018/08/15 00:01
日本史の「冗談」18 無位無官では無視される
日本史の「冗談」18 無位無官では無視される 筆者はお誘いを受けたことがありませんのでニュースで知るばかりですが、 皇居で催される園遊会では、そこに招待された方々に対し天皇ご自身が 直接にお声を掛けられる光景を見ることができます。 そればかりか、大きなダメージを受けた被災地を訪問された場合などには、 避難所に身を寄せる人々を前に、天皇自らが膝を折ってお声を掛けられる 場面もしばしば伝えられています。 ...続きを見る

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2018/08/10 00:01
日本史の「陰謀」26 誘惑されて棄てられて
日本史の「陰謀」26 誘惑されて棄てられて 「豊臣秀吉の子飼いの家臣」といえば、まあ大抵は福島正則(1561-1624年)や 加藤清正(1562-1611年)あたりの顔が浮かぶものです。 もっとも、筆者の場合は直接にお会いしたことがないこともあって、むしろ 「(顔より)名が浮かぶ」と表現した方が適切かもしれません。 ...続きを見る

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2018/08/05 00:01
日本史の「信仰」12 信心かぶれはどれもアブナイ
日本史の「信仰」12 信心かぶれはどれもアブナイ 戦国乱世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、何度か信仰 がらみの事件に遭遇しています。 領国・三河国で起きた「三河一向一揆」(1563-1564年)もその一つで、 一揆衆側に味方する家臣も決して少なくはなかったこの時は、当の家康自身 が「命の危機」に晒されたほどでした。 まさにチビる思い・・・いやホントは少しチビっちゃたかも知れません。 ...続きを見る

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2018/07/25 16:07
日本史の「もしも」12 会津藩って何者ですか?
日本史の「もしも」12 会津藩って何者ですか? 幕末の一時期の政治は、実質的に以下の三人のスクラムによって運営 されていました。 ○一橋家・徳川慶喜(1837-1913年/後の15代将軍) ○会津藩・松平容保(1836-1893年/慶喜の又従兄弟※親同志がイトコ) ○桑名藩・松平定敬(1847-1908年/容保の実弟) ...続きを見る

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2018/07/25 00:01
日本史の「微妙」08 どれがぁ?俳句川柳和歌狂歌
日本史の「微妙」08 どれがぁ?俳句川柳和歌狂歌 下の二つの詩は両方とも五・七・五の十七音から成り立っていますが、 ジャンルで分けるなら別物の扱いになります。 □〜古池や 蛙飛び込む 水の音〜 ◇〜一戸建て まわりを見ると 一戸だけ〜 もうお分かりのように、 「古池や・・・」は俳句で、「一戸建て・・・」は川柳です。 では、それをどこで見分けたらいいの? ...続きを見る

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2018/07/20 00:10
日本史の「デジャヴ」25 二度ある落城は三度ある
日本史の「デジャヴ」25 二度ある落城は三度ある ヘソ曲がり系の方々に念のためにお断わりしておきますが、ここでいう 「落城」とは〜城が空から降って落ちてくる〜ことではなく、オーソドックスに 〜敵に城を攻め落とされること〜の意味で使っています。 ほとんど「非日常」の光景とも言ってもいいこの「落城」を、実は生涯に 三度も体験している女性がいます。 ...続きを見る

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2018/07/15 00:01

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