日本史の「事始め」22 平和のコツを体験学習

日本列島に関する記事を初めて登場させたとされている中国の歴史書が、 いわゆる「魏志倭人伝」です。  ただし、これはニックネームの類で、もう少し堅苦しい表現なら、 ~「三国志」中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人状~ になるとのことです。 一生覚えられそうにありません。 書き手は中国西晋の歴史家である陳寿(233-297年…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「落胆」08 巨魁か凡庸かその実像

筆者のお気に入りお散歩コースの一つにもなっているのですが、名古屋市内に ある熱田神宮の西側国道の向かいにある誓願寺という浄土宗寺院は、実は 源頼朝(1147-1199年)誕生の地とされています。 えぇ、武家政権を確立し鎌倉幕府という組織を創立したあの有名な頼朝の ことで、それが証拠にちゃんと「頼朝生誕の地」の石碑も建っていますゾ…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「女性」27 皇統維持は超ウラ技で

「先代の憲法」という表現が妥当なのかはよく分かりませんが、ともかく 昭和時代の終戦時まで用いられていたのが「大日本帝国憲法」(1889年) でした。 そして、その第一条はこう記してありました。 ~大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す~ つまり、天皇が統治する国家であると標榜し、しかも念入りに、その天皇に ついては、「万世一…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「微妙」16 神自身と神の子孫の距離

その当時を体感された方もまだまだ多く存命されているので、歴史的には 「つい最近」という感覚になるのかもしれませんが、1946(昭和21)年1月1日に 昭和天皇(第124代/1901-1989年)の詔書が出されました。 それは昭和天皇自らが自己の神格を否定した内容で、一般的には「人間宣言」と 呼ばれているものです。 そこには…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「列伝」14 三像のモデルはどなた?

長らくの間源頼朝を描いたとされていた下の肖像画も、最近はそれを 疑問視する声が上がっているとのことです。 どうしてそんなことになっちゃうのかはよくわかりませんが、そこはそれ お話のついでですから、少し探ってみることにしました。 ところが、これが結構にややこしい道を辿ることになってしまったのです。   源頼朝(旧) | (新…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「トホホ」31 白村江ボロ負けの恐怖

「白村江の戦い」(はくすきえのたたかい/663年)とは、この国(日本)に とって、初の本格海外戦争だったと言えるのかもしれません。 ~天智天皇2年(663)白村江での、日本・百済(くだら)連合軍と  唐・新羅(しらぎ)連合軍との戦いであり、日本は唐・新羅軍に攻略された  百済の救援のために軍を進めたが大敗し、百済は滅亡した~ …
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「ペテン」03 生年欄は空白が無難

日本最古の勅撰歴史書とされているのが「日本書紀」です。 その「日本最古」がいつ頃かといえば、現在から遡ること1300年ほど前、 なんと720年のことだそうです。 天皇の代で言うなら、第44代・元正天皇(女帝/在位:715-724年)のことに なります。 その「日本書紀」の内容についてはこんな説明になっています。 ~全30…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「異国」10 神と神々の天地創造記

ひょんなことからメッチャ古い映画を観る機会に恵まれました。 1966年「天地創造」(原題:THE BIBLE・・・in the bigining/監督:ジョン・ ヒューストン/音楽:黛敏郎)です。 お世辞抜きで聖書オンチな筆者にとっては、まったくミスマッチな作品と 言わざるを得ません。 しかしながら、有難いことに現代はネッ…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「付録」13 その前と後の75年づつ

本年は「終戦75年」という節目の年に当たりますが、それにふさわしい 式典を迎えることができませんでした。 もちろん、その原因は「新型コロナウイルス感染症」が拡散し続けていること です。 さて、その「戦後75年」によく似たイメージの言葉を、つい最近も耳にした ことを思い出しました。 「明治150年」です。 そこで、ヒマに任…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「謎解き」31 鎌倉大仏に謎なぞないゾ

新型コロナの外出自粛でできた時間でネット徘徊をしていたら、ひょっこり こんな文言にぶつかりました。 一般的には「鎌倉大仏」とか「長谷の大仏」の呼び方で知られる大仏像に ついての説明文です。 ~鎌倉大仏および、大仏が鎮座する寺・高徳院の双方とも、その建造理由、  開山(初代住職)、開基(建造主)などについては、はっきりした史料が…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「パクリ」15 天下布武は神の座から

尾張国・織田信長(1534-1582年)が、「天下布武」との印文を自分の朱印と して用いるようになったのは、美濃攻略を成功させた後、井ノ口を岐阜と 改名し、自らの拠点を尾張国・清州からこの地へ移した1567年頃からだと されています。 この文言は、一般的には天下統一への意識を強く示したものとの説明に なっています。 とい…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「アレンジ」23 お釈迦様とてご存じあるめぇ

~前500年頃に北インドで釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が創始した宗教~ 世界三大宗教(他はキリスト教とイスラム教)のひとつとされる「仏教」に ついての説明はこうなっています。 なぁるほど、とは思うものの、妙な思い込みを排除しておく意味もあって、 なお慎重に言葉を追うことにしてみました。 まずは、仏教創始者とされている釈迦…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「事始め」21 鉛筆は鉄砲より強しか?

江戸時代を舞台にしたTV時代劇の劇中に登場した文字を書くシーンでは、 筆記ツールとして毛筆が使われていました。 その数日後、今度は幕末維新を描いたTVドラマです。 ここにも同様のシーンが登場しましたが、筆記ツールはやはり毛筆でした。 さて、こんなプチ体験から、個人的にちょっとした素朴な疑問を持つことに なりました。 ~す…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「大雑把」05 名乗り数多の戦国生涯

たとえば、この戦国武将は諸事情も重なって、一生のうちに数多の名前を 持つことになりました。 もちろん数だけでいえば、もっと多かった人物もいるのかもしれませんが、 それにしても現代人の感覚からすれば、やはりこんな印象になるところです。 ~こんなに多くの名前を持って、逆に不自由はなかったのかしら~ せっかくですから、その例に挙…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「トンデモ」05 江戸政界フィクサーの奔放

第10代将軍・徳川家治(1737-1786年)には、後継第11代将軍となるべく 嫡男・家基(1762-1779年)がいました。 幼年期より聡明であった家基は、文武両道の才能備えていたばかりか、 政治に対しても次第に関心を示すほどの人物でした。 また、その名には徳川宗家の通字である「家」が授けられています。 要するに、家治後…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「発明発見」26 季節限定戦では埒が明かぬ

戦国三英傑の一人である尾張国・織田信長(1534-1582年)は、当時の大名の 誰もが思いつかなかった「兵農分離」という新政策を打ち出し、これを実行に 移しています。 これ、文字通りに「兵士と農民を分ける」ことを意味する政策でした。 逆に言えば、それまでは基本的に「兵農一致」の状況にあったことです。 なぁに? その「兵農一…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「ライバル」06 公務?川中島の戦い

数多の戦が繰り広げられた戦国時代の中でも、とりわけ知名度の高い戦闘の 一つに、甲斐・武田信玄(1521-1573年)と越後・上杉謙信(1530-1578年) による激突「川中島の戦い」を挙げることができそうです。 両軍の激突は、実は一回に留まらず、意外なことに前後五回にわたって繰り 広げられました。 ですから、一般的な言い…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「例外」04 天才武将暗黙のお約束

天才武将、天才軍人、あるいはそれに似たイメージで語られる人物は 日本史の中にも少ならからず登場しています。 具体的な名を挙げるなら、平安時代末期の源義経(1159-1189年)もその一人 でしょう。 殊に平家相手の「一の谷の戦い」(1184年)、「屋島の戦い」(1185年)、 さらには、その平家を滅亡に追い込んだ「壇ノ浦の…
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「陰謀」30 正義はいつもサジ加減

国政の根幹に関わる問題であり、またそこに外国事情までが重なっていたこと もあって、その後の展開にいささかの複雑さを呈したのが、対馬藩による 国書偽造事件「柳川一件」でした。 第三代将軍・徳川家光(1604-1651年)の治世において告発されました。 これよりはるか昔のこと、聖徳太子(574-622年)が送った国書に対する …
コメント:0

続きを読むread more

日本史の「言葉」30 どちりいな・きりしたん

日本人初の「キリスト教徒」はどなたか? 史料で確認できる範囲に限れば、それは「ヤジロウ(弥次郎)/ 洗礼名アンジロー?」(1511年頃?-1550年頃?)だとされています。 あの有名な宣教師フランシスコ・ザビエル(1506年頃?-1552年)の 通訳も務めた人物です。 宣教師と通訳、この二人の関りはこのように説明されていま…
コメント:0

続きを読むread more