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ヤジ馬の日本史

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ヤジ馬の日本史
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日本の常識は世界の非常識?
そんな風土を培った「日本史」の不思議を
せっせとヤジ馬しよう! by 住兵衛
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部分に注目すれば ”大勢の人の姿”に、
全体を眺めれば ”人の顔”に見える不思議。
ならば、「日本史」こそは究極の ”だまし絵”
なのかもしれんゾ! by だまし絵師

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タイトル 日 時
日本史の「災難」12 アウェイ幕府は曇り空
日本史の「災難」12 アウェイ幕府は曇り空 それまでにはなかった新しい階層「武士」の登場。 その経緯を探ってみると、たいていはこのくらいの説明になっています。 〜王朝国家体制の確立によって、朝廷は地方統治を事実上放棄した。   その上、桓武天皇が軍団を廃止した結果として、地方は治安が悪化し   無政府状態に陥り、16世紀まで日本列島は戦乱が頻発するようになった。   国家から土地経営や人民支配の権限を委譲された有力百姓(田堵・名主)   層は、自衛のために武装し、武士へと成長した〜 Wikipedia 「平安時代」 ...続きを見る

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2019/06/15 00:01
日本史の「事始め」18 だから不比等はミステリー
日本史の「事始め」18 だから不比等はミステリー 〜「藤原」姓は、中大兄皇子(後の第38第・天智天皇/626-672年)に協力し、   後の国家改造を導くことになった中臣鎌足(614-669年)に下賜された〜  通説ではこのように「藤原氏」の始祖は鎌足と説明されることが多いのですが、 しかし、その鎌足の子である「藤原不比等」(659-720年)と事実上の家祖と 見る向きもあります。 鎌足に下賜されたのがなんと「死の前日」・・・このあまりに劇的なタイミングに いささか眉唾チックな雰囲気を感じてしまうということかもしれません。 ...続きを見る

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2019/06/10 00:01
日本史の「謎解き」29 豊前豊後はトヨのくに
日本史の「謎解き」29 豊前豊後はトヨのくに 昔々の大昔、戦国の織田信長も源平の源義経も、それどころか飛鳥の 聖徳太子すらもまだ生まれていなかった三世紀頃、九州の一角に 「豊国(とよのくに)」と呼ばれる地域がありました。 九州の東北部に位置し、現在の地名なら福岡県東部および大分県全域に 相当する地域です。 ...続きを見る

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2019/06/05 00:01
日本史の「落胆」03 将軍後継と同時多発テロ
日本史の「落胆」03 将軍後継と同時多発テロ 二度にわたる「大坂の陣」(冬1614年/夏1615年)を制したことによって、 かつての主家・豊臣家を滅亡にまで追い込んだ徳川家康(1543-1616年)は その後も諸大名への干渉を怠ることはありませんでした。 これには、豊臣家の死に物狂いの抵抗にいささかのトラウマを覚えたことの 影響があったかもしれません。 ...続きを見る

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2019/05/30 00:01
日本史の「ライバル」02 武士政権七百年の夜明け前
日本史の「ライバル」02 武士政権七百年の夜明け前 いわゆる「武士政権」を最初に立ち上げた人物として、普通は平安時代末期に 活動した平清盛(1118-1181年)の名が挙げられ、その仕組みを所在地の 名称から(京の)「六波羅政権」という呼び方もしているようです。 ...続きを見る

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2019/05/25 00:01
日本史の「怪人」21 素性も政策も虫が好かぬ
日本史の「怪人」21 素性も政策も虫が好かぬ 広く武士の教養・規範とすべく「朱子学」に注目したのは江戸幕府創立者・ 徳川家康(1543-1616年)その人でした。 いや、江戸幕府においては人というより、神様に祀り上げられた「神君」と 言った方が正しいかもしれません。 ...続きを見る

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2019/05/20 00:01
日本史の「付録」10 皇位継承の現代風再考
日本史の「付録」10 皇位継承の現代風再考 およそ200年ぶりとされる天皇譲位によって、それまで30年ほど続いた 平成時代が幕を閉じ、新たに令和時代を迎えることになりました。 このことは、皇室にとっても、また国民にとっても「稀な体験」という 位置づけになりそうですが、これとは別に、現在の皇室及びその周辺には 別の危機意識があるとされています。 ...続きを見る

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2019/05/15 00:01
日本史の「トンデモ」03 精神が敵機を撃墜する
日本史の「トンデモ」03 精神が敵機を撃墜する 第119代・光格天皇(1771-1840年)以来およそ200年ぶりとなる平成の「譲位」 に当たって、天皇陛下(第125代/明仁/満85歳1933年生)は、その心境を こう漏らされました。 〜平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵して   います〜 その思いによほど強いものがあったのでしょう、いささか涙声にも聞こえた ほどでした。 ...続きを見る

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2019/05/10 00:01
日本史の「例外」01 歴代以外にも覆面天皇が
日本史の「例外」01 歴代以外にも覆面天皇が 寿命がいつかは尽きてしまうのは「生物」の宿命で、その点は人間も その通りなら、神の子孫とされる「天皇」も例外ではありません。 その天皇が至高の存在であることを強調する意味もあるのでしょうか、 「崩御(死去)」されると、それまで使っていた名とは別に生前の事績を 勘案した名「諡名」(諡号)が奉られます。 ごく普通に使っている「○○天皇」という称号がそれです。 もっとも業界の大立者の立場にある人などを「××界の天皇」と呼ぶことも ありますが、それは俗称・愛称の類のものですから話がちょっと... ...続きを見る

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2019/05/05 00:01
日本史の「発明発見」23 小牧山城から天下を見渡す
日本史の「発明発見」23 小牧山城から天下を見渡す 筆者の生息地・名古屋から車で30分ほどの「小牧(市)」。 用事を早めに済ませ、空いた時間を「小牧山」探訪に充てたのが、数日前 (2019・04・27土曜)の午前のことでした。 割合近いエリアでありながら、ここを訪れたことがないという事実に、ふと 気が付いたからです。 ...続きを見る

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2019/04/30 00:01
日本史の「ツッパリ」24 幕末老中の御意見募集
日本史の「ツッパリ」24 幕末老中の御意見募集 いわゆる「黒船来航」(1853年)によって外国(アメリカ)から開国を求められる ことになった幕府でしたが、ハナから相手の希望に沿うつもりは持っていません でした。 鎖国政策は権現様、つまり幕府創立者である徳川家康(1543-1616年)も 遵守してきた祖法だと強く信じ込んでいたことがその理由です。 祖法違反とは、江戸幕府にとっては即ち重大犯罪?を犯すことに他なり ませんから、そもそも開国という選択肢自体がなかったことになります。 ...続きを見る

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2019/04/25 00:01
日本史の「信仰」15 儒教徒はメタボに憧れる
日本史の「信仰」15 儒教徒はメタボに憧れる 「儒教」あるいは「儒学者」という言葉は日本史の中にもよく登場しています。 では、その「儒教」って、いったいなんなの?  なんとなく分かっているようで、その実分かっていないのは、筆者とて その例外ではありません。 そこで、手っ取り早く一般的な説明の受け売りに走ると、 〜「儒教」は、(紀元前もかなり前の)孔子(前562-前479年)を始祖とした   思考・信仰の体系である〜  ...続きを見る

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2019/04/20 00:01
日本史の「タブー」10 神君祖法をシカトする?
日本史の「タブー」10 神君祖法をシカトする? 戦国の世の最終勝者・徳川家康(1543-1616年)が、自ら初代将軍に就き、 創立を果たしたのが江戸幕府(1603-1867年)でした。 その将軍職を2年ほどで辞し、家康はその後継として自分の息子秀忠を 第2代将軍に就けました。 ...続きを見る

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2019/04/15 00:01
日本史の「付録」11 待ちかねたゾ武蔵ッ!
日本史の「付録」11 待ちかねたゾ武蔵ッ! 「史実」をヒントにして後の時代に創作された芝居や小説などが、元の「史実」 そのものよりも有名になってしまうことも、ままあるお話です。 少し古い時代なら、たとえば史実「元禄赤穂事件」(1701-1703年)をモデルに した創作「忠臣蔵」がそうでしょうし、それよりは新しい時代で探すなら、幕末に 活動した土佐藩郷士・坂本龍馬(1836-1867)を題材にした作家・司馬遼太郎 (1923-1996年)による創作「竜馬がゆく」を挙げることができそうです。 ...続きを見る

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2019/04/10 00:01
日本史の「微妙」10 勝者は看板づくりに精を出す
日本史の「微妙」10 勝者は看板づくりに精を出す 筆者の生息地・尾張名古屋では、戦国時代に華々しい活躍を見せた 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の御三方を、その死後数百年経った現在でも 「郷土の三英傑」と呼んで称えています。 ...続きを見る

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2019/04/05 00:01
日本史の「異国」05 ♪日曜日に市場へ出かけぇ
日本史の「異国」05 ♪日曜日に市場へ出かけぇ ♪日曜日に 市場へでかけ 糸と麻を 買ってきた   (合いの手?) テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ リャ             テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ リャ ロシア民謡「一週間」の出だし部分ですが、ちなみに月曜日以降は、 ♪月曜日に おふろをたいて 火曜日は おふろにはいり  テュリャ・・・ ♪水曜日に ともだちが来て 木曜日は 送っていった    テュリャ・・・ ♪金曜日は 糸まきもせず  土曜日は おしゃべりばかり テュリャ・・・... ...続きを見る

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2019/03/30 00:01
日本史の「誤算」11 狂気の沙汰?領地返上
日本史の「誤算」11 狂気の沙汰?領地返上 戦国の世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、江戸幕府を成立 (1603年)させ、征夷大将軍として、それまで同格とされていた諸大名の上に 君臨することで新しい時代を誕生させました。 要するに、それまでの横並びの同僚関係を消滅し、家康率いる徳川家が 統治する形に作り変えたということです。 ...続きを見る

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2019/03/25 00:01
日本史の「世界標準」25 異端宗派は成敗すべし
日本史の「世界標準」25 異端宗派は成敗すべし 現代でこそ(一部を除いて)、こうした意識は幾分薄まってきている印象 ですが、宗教というものには、洋の東西を問わずどこもが、少なからず 「異端」を嫌う性癖を備えているようです。 もっとも、そんな言い方をすれば、原理原則を堅守する一神教の世界から 見た日本の神道なぞは、その存在自体がすでに異端ということになり かねませんが。 ...続きを見る

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2019/03/20 00:01
日本史の「忘れ物」27 慧眼!アントニーの法則
日本史の「忘れ物」27 慧眼!アントニーの法則 〜英雄(偉人)の死するや 生前の善行は墓に葬られ、    悪事のみ千載の後まで語り継がれる〜 イングランドの劇作家ウィリアム・シェークスピア(1564-1616年)の作品 「ジュリアス・シーザー」(1599年)の中で、マルクス・アントニウス(マーク・ アントニー)が吐くセリフです。 ちなみに原文では、 〜The evil that men do lives after them, The good is oft interred with   their bones.〜となるそうで... ...続きを見る

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2019/03/15 00:01
日本史の「陰謀」27 次期将軍の遊山帰り道
日本史の「陰謀」27 次期将軍の遊山帰り道 江戸幕府第10代将軍・徳川家治(1737-1786年)の長男・家基(1762-1779年) には、徳川宗家の通字である「家」の字を賜りながら将軍職には就けなかった ことから、「幻の第11代将軍」とのニックネーム?もあります。 では、幼年の頃から聡明で文武両道の才覚を認められていた人物で あった家基の「将軍職」はどうして「幻」に終わったのか? ...続きを見る

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2019/03/10 00:01

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