日本史の「トホホ」30 人望なくば戦も勝てず ~とりわけ有能な官僚だが、武将としては戦下手~ 戦国時代の武将・石田三成(1560-1600年)に対する現代人の平均的な評価は 概ねのところこのあたりに落ち着きそうです。 戦争戦闘の類が得意ではなかったのは確かなようで、そのことは実質的な 大将デビュー戦となった「忍城の戦い」(1590年)でも例外ではありません でした。 … トラックバック:0 コメント:0 2020年05月05日 続きを読むread more
日本史の「付録」04 頂上決戦は伝統の原っぱで 現在の行政単位では、その東西十数Kmに渡るエリアを、西から 「岐阜県不破郡関ケ原町」、中央部が「同県不破郡垂井町」、そして、 東域を「同県大垣市」というように厳密な区分けをしていますが、おそらく 昔はこのあたり一帯は丸ごと「広い広い一面の原っぱ」ほどの印象だったと 思われます。 事実、この「一面の原っぱ」の西域を「関ヶ原」… トラックバック:0 コメント:0 2018年01月20日 続きを読むread more
日本史の「女性」22 手抜かり!戦国人質作戦 官僚的能力には抜きん出たものを持ちながら、武勇面では イマイチの評価だったのが、豊臣秀吉(1537-1598年)の腹心・ 石田三成(1560-1600年)です。 それを案じたものか、秀吉は「忍城」※の攻略(1590年)をこの 三成に命じました。 最も落としやすい城と睨んだからです。 ※忍城(おしじょう)/戦国時代の関東七名城の… トラックバック:0 コメント:0 2016年11月30日 続きを読むread more