テーマ:寛政異学の禁

日本史の「災難」11 改革とミニ科挙と異学の禁

戦国の世を勝ち抜いた徳川家康(1543-1616年)は、自ら征夷大将軍と なって江戸幕府を開き、その公式学問として「朱子学」を採用しました。 理由は明快で、家康自身が目の当たりにした明智光秀(1528?-1582年)に よる主君・織田信長(1534-1582年)に対する謀反・謀殺や、その後の 豊臣秀吉(1537-1598年)によ…
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