テーマ:源義経

日本史の「ライバル」02 武士政権七百年の夜明け前

いわゆる「武士政権」を最初に立ち上げた人物として、普通は平安時代末期に 活動した平清盛(1118-1181年)の名が挙げられ、その仕組みを所在地の 名称から(京の)「六波羅政権」という呼び方もしているようです。 さて、これを「最初の」とするからには、当然その続きもあるわけで、確かに これ以後は源頼朝による「鎌倉幕府」、足利尊…
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日本史の「怪人」17 ♪京の五条の橋の上

若武者・牛若丸(後の源義経/1159-1189年)と、後にその郎党となった 僧兵・武蔵坊弁慶(生年不詳-1189年)との出会いを、童謡「牛若丸」は このように歌っています。 ~♪京の五条の橋の上 大の男の弁慶が・・・~ 「太刀収集」?を趣味にしていたのでしょうか、京で千本の太刀を奪う悲願を 立て、通りがかった武者に決闘を挑…
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日本史の「発明発見」09 不憫な奴は死なせない

なに、「死んでも生きている」って?・・・ 別にフランケンシュタインやゾンビのお話ではありません。 実は、「その時死んだ」ことが歴史の定説になっているにも かかわらず、「いや、奴サンは実は死んではいなかったのだ」と 伝承される人物が、日本史には少なからず登場している事実を 言っているのです。 分りやすい例を挙げるなら、たと…
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日本史の「忘れ物」17 義経の常識のかけら

その多くはドラマなどで創られたものでしょうが、現代人が 抱く平均的な源義経(1159-1186年)のイメージといえば・・・ 頭も良くイケメン、かつ天才的な武将、さらには運動神経も 抜群で、その上に悲劇性も漂わせた超スーパーヒーロー・・・ こんなところでしょうか。 決してこの「イケメン」という部分にこだわるわけではありません…
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日本史の「言葉」09 奢る義経も久しからず

世の古今東西を問わず、「驕り」が原因となって我が身を 滅ぼすことは珍しいことでもなく、~奢る平家は久しからず~ という言葉は現代にも伝わっています。 確かに一時期の平家は栄耀栄華を極めました。 ところが、敵方に源義経(1159-1189年)という天才軍人が 登場したことで状況が一変、一の谷・屋島・壇ノ浦と三連戦・ 三連続…
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日本史の「忘れ物」02奥州四代の奇習

奥州藤原氏四代(清衡・基衡・秀衡・泰衡)のミイラについて、 あまり詳しいことは分かっていないようだ。 まず、自然にミイラになったものか、それとも意図があって 人工的にミイラにしたものか、この基本的なことについても 意見が分かれているようである。  自然ミイラか人工ミイラかいずれにせよ  遺体をキッチリ保存・保管していたと…
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「美貌の履歴書」と義経

昔も「ミスコンテスト」もどきの催しはあったようだ。 それは選りすぐりの召使いを集めるためのもので、その応募者の 中に「抜群の器量良し」で大きな評判になった女性がいる。 どんな経緯があったものか、ともかくその「美貌」が源義朝の目 に留まり、側室として迎えられたことで、その後の彼女の人生は 波乱に満ちたものになった。 ~少女時代…
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