日本史の「発明発見」21 タイムトラベル平等思想

キリスト教には「神の前の平等」という思想があります。 この思想のホントに意味するところはイマイチ詳しく知りませんが、どうやら、 ~神と自己とは一対一の関係にあって、神と自分との間に比較できる対象が   入り込む余地がない(から平等である)~という説明になるようです。 また、近代国家では「法の下の平等」とする理念を基本原則の一…
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日本史の「タブー」07 技術革新 300年の空白

遥かヨーロッパからこの日本に「鉄砲」が伝わった時期は、戦国の世 真っ只中の1542年か1543年のことだとされています。 いわゆる「鉄砲伝来」ですが、そのハイテク武器が最初に上陸した 大隅国・種子島の、今なら中学生ほどの年齢だった若き領主・種子島 時堯(1528-1579年)は、これに大きな関心を寄せ、大枚をはたいて 二丁を購…
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日本史の「付録」07 トレンディ学問アラカルト

一口に学術・学問とは言うものの、たとえば漢学/蘭学/洋学/ 国学/儒学/朱子学など、日本史の中には実に多くの名称が登場して いることに気が付きます。 仮にそうした字面に出くわしても、筆者なぞは、まあ大方の場合、自己流の 勝手な解釈でお茶を濁していますが、少し拘って探ってみると、そこには それなりに深い意味があるようです。 …
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日本史の「パクリ」14 忘れん坊将軍の悪巧み

徳川幕府(1603-1867年)が諸大名を管理・コントロールするため設けた御家の 「格付け」(家格)を少し整理してみると、概ねこんな具合になりそうです。 ○将軍家/幕祖・徳川家康(1543-1616年)を祖とした最高の家格を誇る。   →江戸幕府の長・征夷大将軍を建てるべく徳川本家。 ○御三家/親藩の中で最高位のランクであり…
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日本史の「信仰」11 一姫二太郎と四苦八苦

ちょっとした引っかけクイズとして、よく出題されるようですが、 ~「一姫二太郎」・・・これって全部で何人?~ ここで、うっかり ~姫(女の子)が一人で太郎(男の子)が二人なら、そんなもん、   合計三人に決まっとるがや~ こんな答えを返そうものなら、見事に「引っかかった」ことになります。 なぜなら、正解は「二人」・・・ ~…
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日本史の「事始め」16 明治150年とその前1500年

ひょんなことから、日本史に関する質疑応答の場に遭遇することができました。 自称・歴史ファンを自称する一般の方々の質問に対して、「逆説の日本史」の 著者・井沢元彦氏がそれに答えるという構図です。 折角のことですから、気の変わらないうちにその風景を報告しておこうと 思った次第です。 ただし、主たる質問者は名古屋地域を生息地とす…
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日本史の「世界標準」24 一国平和はリスクを背負う

どちらかと言えば、現代日本の国民感情には、自国の平和のみに絶対の 価値を置き、諸外国における紛争・対立などには割合に鈍感・無関心な、 いわば「一国平和主義」モードの中にあるようにも感じられます。 確かにこうした「平和」に絶対の価値を置く心情は、「戦争好き」よりは よほど好ましいことかもしれませんが、しかし反面では、たとえば某…
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日本史の「タブー」06 かくして御家は滅亡する

平清盛(1118-1181年)を頂点として朝廷を凌ぐほどの栄華を誇った 平家一門の隆盛ぶりを、同門にあった平時忠はこう評したそうです。 ~一門にあらざらん者はみな人非人なるべし~ (現代言葉に直した~平氏にあらずんば人にあらず~が有名) ところが、一時期はこの言葉の通りに飛ぶ鳥を落とす勢いを示していた 平家も、この少し後に…
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日本史の「トホホ」26 京の大仏様にツキはない

日本の場合、「大仏」サマと言えば、まあ普通には 「奈良の大仏」(東大寺廬舎那仏仏像/752年開眼)か、あるいは 「鎌倉の大仏」(高徳院阿弥陀如来像/開基時期不明)あたりを、 イメージするものと思われます。 では、この他に大仏サマがないかのと言えば、実は「さにあらず」で、 古い時代に限っても、たとえば方広寺には「京の大仏」(毘廬…
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日本史の「アレンジ」18 拙者の名前も御維新いたす

実際には、この他にもその該当者?は大勢いますが、幕末維新の頃に 大いなる活動を見せた人物の中からピックアップしたこの四人の 「共通点」に気が付きますか? ○長州藩士・村田 蔵六 (むらた・ぞうろく   /1824-1869年) ○福井藩士・三岡 八郎 (みつおか・はちろう /1829-1909年) ○長州藩士・桂 小五郎 (か…
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日本史の「謎解き」28 民族DNAは競争を嫌う?

戦国の世の最終勝者となり、その後に江戸幕府を創立した徳川家康 (1543-1616年)は、幕府の公式学問として「朱子学」を採用しました。 もともとは「孔子」(前552-前479年)が始めた「儒教」を、千数百年も後に なって南宋の「朱熹」(1130-1200年)が再構築したものが、この「朱子学」で あり、これはまた「新儒教」ともい…
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ヤジ馬の日本史~超駄級・500記事一覧~ №401-499編/満腹にぎりめ史!

これまで書き連ねた記事が通算500本に到達しましたので、 今回その節目として改めて直近100編(№400~499)を 整理してみました。 全編粒揃いの「超駄級」であることから、全国津々浦々の ヒマ人様からは、「時間潰し」の最適ツールとして、割合に 控えめなご好評?も頂いております。  管理人:住兵衛 500 ヤジ馬の日本…
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日本史の「微妙」07 会議は”根回し”にあり!

現代日本人には、議論をぶつけ合う形になる「会議」自体をあまり好まず、 むしろそれよりは事前の“根回し”という手続きの方に、より重点を置く習性が あるように感じられます。 根回し”という事前調整?を駆使することによって、本番の白熱議論を 避けておく方が仲間集団の和を保つためには無難とする意識でしょうか。 しかし、こうした「根…
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日本史の「タブー」05 偽勅が歴史を変えた?

「勅(ちょく)」とは、天皇の命令またはそれが書いてある文書(勅書とも)を 指す言葉です。 念のためですが、天皇が思いついたことを気まぐれに「チョクチョク」命令する ことから「勅」と呼ばれるようになったとする見解は、まあトンデモ説の類だと 受け止めておいた方が無難なのかもしれません。 ところが、長い歴史の中にはこのニセの「勅」、…
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日本史の「付録」06 幻に終わった一日五食

それまで縁のなかった日本にキリスト教を最初に紹介した人物は 宣教師フランシスコ・デ・ザビエル(1506?-1552年)とされています。 これ以後は日本にも多くの宣教師が訪れるようになり、熱心な布教活動を 展開するようになるのですが、ただ、その「布教活動」の中身が、現代 日本人の感覚からしたら、ちょっとばかり曲者で、むしろ「布教後…
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日本史の「怪人」19 オカルト学者?神仙界を探る

海上の異界や山中の異境などに不老不死の神人・仙人が実在することを 信じる、いわゆる「神仙思想」に大きな関心を寄せる人物がこの日本にも いました。 江戸後期のこと、とある少年の特異な体験談(1820年頃)が世間の注目を 集めたことがあり、この折にすかさず行動を起こしたのがその人物です。 ~神仙界に自由に行き来できる不思議な老…
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日本史の「陰謀」24 家康の朝廷封じ込め作戦

戦国の世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、その権力機構 である「幕府」(1603年)を江戸に置きました。 そこでちょっと気になるのは、家康がその「江戸」という地名をそのまま 使い続けたという事実です。 平安時代末期の頃にはすでに「江戸」という地名はあったとされていますが、 これは「穢土」にも通じる響きがあっ…
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日本史の「言葉」26 すべては言葉が創り出す?

その昔、桓武天皇(第50代/737-806年)は山背国(京都府)に移した 新しい都を「平安京」と名付け、その折ことのついでに国名の方も「山城国」 (発音は同じヤマシロ)と改めています。 世界最先進国・中国の雄大な城郭に囲まれた荘厳な都に憧れを持っていた 桓武としてもホントのところは、それと同様の城郭を備えたかったでしょう。 と…
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日本史の「デジャヴ」24 天魔王は不意を衝かれる

家臣・明智光秀(1528?-1582年)による主君・織田信長(1534-1582年)に 対する謀反「本能寺の変」(1582年)は、その後の政治状況を大きく 変えました。 もし、この事件で信長が命を落とすことなく健在であり続けたなら、一家臣に 過ぎなかった羽柴秀吉(豊臣/1537-1598年)がその後の天下を握ることも なか…
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日本史の「誤算」08 加賀一揆共和国の百年記

~「来世」を信じる者は(現世での)死を恐れない~ なぜなら、「来世」とは「現世」の苦労や悩みから解放された文句のつけようも ない素晴らしい場所であるとされているからで、こうした傾向は日本に限らず たとえばイスラム教過激派(原理主義)兵士の挑む行動(自爆テロ)などにも 感じられるところです。 もっとも本当に素晴らしいかといえ…
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