日本史の「付録」10 皇位継承の現代風再考

およそ200年ぶりとされる天皇譲位によって、それまで30年ほど続いた
平成時代が幕を閉じ、新たに令和時代を迎えることになりました。
このことは、皇室にとっても、また国民にとっても「稀な体験」という
位置づけになりそうですが、これとは別に、現在の皇室及びその周辺には
別の危機意識があるとされています。

それは現在~皇位継承資格者不足~の傾向を見せていることです。
現に、たった今現在の皇位継資格者は、
第1位・秋篠宮文仁親王(皇嗣/天皇徳仁の皇弟/1965年生)、
第2位・秋篠宮悠仁親王(皇嗣文仁の長男/2006年生)、
第3位・常陸宮正仁親王(上皇明仁の皇弟/1935年生)
の御三方のみとなっています。

天皇家周辺にそこそこの数の宮家があるにも関わらず、そうした中で
皇位継承資格を有するのがたったの御三方というのも、何やら不思議な気も
するのですが、その原因はこの~男系男子による皇位継承~という伝統に
あるようです。

要するに、~皇位継承資格者の不足~とは、~男系男子による皇位継承に
拘ること~
と言いかえることもできそうで、逆に言えば、そのことが
~これまで通りの方法で、皇位継承の伝統を守り通せるものか?~という
心配に直結していることになります。

もちろん、問題なく伝統が守り継がれていくことが、国民多くの素直な希望
なのでしょう。
しかし、客観的な目線で「(男系男子による)皇位継承」のシステムを眺める
なら、そこにはそれなりの危うさを感じるのもまた事実です。
なにせ、資格者はわずかに御三方という心細さなのです。
ちょっと意地悪な言い方になりますが、実際には「順調な継承」がばっちり
保証されているとまでは言い切れない印象です。

そうした皇位継承資格者不足の解消策としては、現在のところでは、
以下の2つの対策が主に考えられているようです。
○男系のみならず女系にも皇位継承資格を認める。
○皇籍離脱した男子(あるいはその男系子孫)を皇籍復帰させ、男系継承を
  維持する他、現在の皇室に血縁がもっとも近い天皇の男系子孫を指す
  皇別摂家の復帰の検討。

詳しい意味合い・定義・方法までは承知しませんが、要するに従来からの
伝統にいささかのアレンジ・改定を加えようとする方向性のようです。
しかしながら、仮にこうした方法が最も無理のない合理的なものだとしても、
おそらく一方では従来の伝統に変更を加えることに反対する意見も登場する
ことになるのでしょう。

その意味では、スムーズな意見統一は、実際にはそうそう簡単なことでもなく、
結局は意見が分かれることになりそうです。
だったら、~男系男子による皇位継承~という大前提を崩すことなく、
その伝統の元で、その安心感を大きくする方法はないものか?
現代の国民感情がそれを許すかどうかを別の問題とするなら、実は方法が
まったくないわけでもありません。

そのキーワードがこれ。
○皇后/天皇の正式な伴侶。
○中宮/皇后の別称。 二人の皇后が並立されることもあったとか。
○女御/后妃の名前の一つ。 但し中宮とともに女御の名も維新で廃止。
○御息所(みやすどころ)/天皇の御寝所に侍る女性指す。
○更衣(こうい)/女御よりも低い身分の妃。
要するに、天皇に「複数の正式な妻」を認めていた事実も「由緒ある伝統」に
含まれることになるわけです。

妻の人数が多ければ、それに応じて正式な男子も多くなりますから、こうした
方法によって~(男系男子の)皇位継承資格者の不足~という事態を回避
していたこともまた「伝統」と呼べることになります。
そこで、この伝統に注目し、資格者不足対策の一つとしての「天皇に複数の
正式な妻」
という考え方もアリかなと思うわけです。

天皇令和皇嗣01 推古天皇01










令和の皇嗣と天皇/最初の女帝・推古天皇

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「伝統的」というモノサシを持ち出し、理屈先行の言い方をするなら、ある意味、
合理的な方法であり、それどころか、むしろ、こちらのほうが正統な方法と
言えるような気もしてきます。

ただし、現代の平均的国民感情からすれば、女性に対する配慮欠如という
見方にもなるでしょうから、~女性の人格・尊厳を無視しているッ~
必然的にこういう結論に落ち着くことは間違いありません。

つまり、どんな方法を選択しようが、結局は堂々巡りとなって、誰もが
これならと膝を打つ名案には結び付きそうにもないことになりそうです。
そうなると、かつてもそうであったように、より穏やかな方法も、選択肢と
して浮かび上がろうというものです。

な~に、難しいことではありません。
天皇の歴史をよくよく眺めてみると、確かに「男系男子による皇位継承」
大原則としているものの、これが困難だった時代には「女性天皇」が登場して
いたことに気が付きます。
それも、さすがに頻繁とまでは言えないにしても、一度こっきり、あるいは
たった二度だけといったレベルの「特別現象」というわけでもありません。

ちょっと調べてみると、こうなっているのです。
 ○第33代・推古天皇(554-628年)/第30代・敏達天皇の異母妹であり妻。
 ○第35代・皇極天皇=重祚=第37代・斉明天皇(594-661年)
 ○第41代・持統天皇(645-703年)/第38代・天智天皇の母。
 ○第43代・元明天皇(661-721年)/第40代・天武天皇と持統天皇の子。
 ○第44代・元正天皇(680-748年)/元明天皇娘。結婚経験無し独身即位。
 ○第46代・斉明天皇=重祚=第48代・称徳天皇(718-770年)
○ 第109代・明正天皇(1624-1696年)/母方祖父が二代将軍・徳川秀忠。
○第117代・後桜町天皇(1740-1813年)/幕府に諮らず朝廷独自で決定。

要するに、何らかの事情があって、~男系男子による皇位継承~が困難
だった時代には、一時避難的な措置として「女性天皇」を立てていたわけです。
そして、状況が落ち着いたと判断したら、また~男系男子による皇位継承~
の大原則に復帰するのです。

こうした「女性天皇」の例を無視することなく、皇室のありのままの歴史を
「伝統」と受け止めるのであれば、筆者自身に限れば、
~(男系男子の)皇位継承資格者の不足~とする現在の状況を必要以上に
憂える必要もないような気がしてくるのです。

ここは一番、かつての歴史がそうだったように、原則は原則として場面場面に
よっては、それこそフレキシブルに対応していけばいいように思えるのです、
だって、こうしたフレキシブルさこそが、天皇家が昔の昔から備えている強さ
なのですからね。

そのフレキシブルさの例を挙げるなら、たとえば「万世一系」という大鉄則
だって、その例外ではありません。
幾分伝説や神話的な要素が加わったお話になりますが、第26代・継体天皇
(450?-531年)などは、先代の第25代・武烈天皇とは直接的な繋がりが
ないばかりでなく、なんと、第15代・応神天皇の5世孫であることが正統性の
根拠となっているのです。

普通はこのくらいに縁遠く離れた血筋にあれば、ほとんど「赤の他人」ほどの
意識になるものですが、ところが、天皇家は途中から枝分かれした5世孫
ほどの微かな繋がりであっても、そのことをもって堂々と「万世一系」
名乗る?のですから、そのことと同様に、仮に全体の一割くらいを「女性天皇」
が占めたところで、全体的には~男系男子による皇位継承~と称しても
何らの不都合はないような気にもさせられます。

しかしまあ、「女性天皇」の登場はあくまでも~男系男子による皇位継承~
例外編と位置づけされるのであれば、秋篠宮悠人親王殿下にはおかれ
ましては、お早めに皇后を迎えられ、早く多くの「男系男子」を儲けられる
ことがよいのかもしれません。

事実、悠仁親王誕生によって「(万世一系の)皇統が断絶しかねない危機」が
当面は解消されたという受け止め方も少なくなかったようです。
もっとも、永久に一つの系統が続くことを意味する、この「万世一系」という
言葉自体は、明治維新の折(1867年)に、維新十傑の一人・岩倉具視
(1825-1883年)が使ったのが最初とされています。

なんだぁ、「天壌無窮の神勅」と同じくらい古い言葉だと信じ切っていた
筆者などは、それこそちょっとばかりの肩透かし。



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