日本史の「付録」11 待ちかねたゾ武蔵ッ!

「史実」をヒントにして後の時代に創作された芝居や小説などが、元の「史実」
そのものよりも有名になってしまうことも、ままあるお話です。
少し古い時代なら、たとえば史実「元禄赤穂事件」(1701-1703年)をモデルに
した創作「忠臣蔵」がそうでしょうし、それよりは新しい時代で探すなら、幕末に
活動した土佐藩郷士・坂本龍馬(1836-1867)を題材にした作家・司馬遼太郎
(1923-1996年)による創作「竜馬がゆく」を挙げることができそうです。

そうした目線で眺めるなら、おそらくは剣豪・宮本武蔵(1584-1645年)に抱く
現代人のイメージも同じような流れの中にあるものでしょう。
剣に強いばかりでなく、同時に「剣の道」をひたすらに追求する求道者の姿
ですが、しかし、これを実在した宮本武蔵の本当の姿と見ることは、やはり
少し危険です。

なぜなら、こうしたイメージの大部分は「国民文学作家」と称された吉川英治
(1892-1962年)の新聞連載小説「宮本武蔵」(1935-1939年)によって創作
されたものだからです。

実際、この小説による宮本武蔵像は、後に俳優?徳川夢声(1894-1971年)
の名朗読でラジオ放送(1961-1963年)され、大変な人気を呼んだばかりか、
さらに映画全盛期の昭和30年代には立て続けに映画化され、こうしたことで、
日本人の「宮本武蔵」に対するイメージは完全に定着した印象になりました。
ですから、これも創作「忠臣蔵」創作「竜馬がゆく」などと同様に、史実とは
明らかに別物の創作「宮本武蔵」と言っていいでしょう。

さて、その宮本武蔵と剣豪ライバル?佐々木小次郎(生年不肖-1612年)
とのサシでの対決が、有名ないわゆる「巌流島の決闘」(1612年)です。
実はこの「決闘」にも創作と史実?との間に大きな違いがあるようです。

たとえば映画やドラマでは、この決闘に際して、小次郎の集中力をそぐ
ために、武蔵が意識的に大幅な遅刻をしたように描かれています。
しかし、実際には「遅刻」を事実とした記録もないようですから、そうすると、
この経緯も、お話を盛り上げるための作者・吉川英治の創作ということに
なりそうです。

さて、ここからお話がいささか逸れますが、この辺りは創作「宮本武蔵」の
クライマックスの部分ですから、詳細はともかく、一応の雰囲気だけは
整理しておくことにします。 
まず、決闘場所は関門海峡に浮かぶ無人の小島「船島」(現:山口県下関市)。
面積は1平方キロメートルほどですから小島も小島、ちんちくりんの小島です。
次に決闘の動機。
裏には複雑な事情があったようにも感じられなくはありませんが、表向きには
剣豪同士の腕比べ?・・・ただ、これには小次郎と関りがあった小倉藩の仲介?
というか、お膳立てがありました。
事実、映画ドラマでも、波打ち際で武蔵を待つ佐々木小次郎の傍らには、
立会人役・小倉藩士の姿があります。

律義者だったのか、約束の刻限を違えることなく、先に島に到着したのは、
ご存知の通り、佐々木小次郎でした。
しかし、待てども暮らせど決闘相手・武蔵は一向に姿を現しません。
小次郎は焦れます。

約束の刻限を2時間ほど(?)過ぎた頃になって、イラ立つ小次郎の目に、
ようやくのこと、小舟に揺られて島に近づく武蔵の姿が映りました。 
待ちくたびれた小次郎は、この時点ですでにかなりの平常心を失っていた
のでしょう。
小舟から降り立った武蔵に向かい、思わず、~待ちかねたゾ武蔵ッ!~

はやる気持ちで剣を取った小次郎でしたが、今度は武蔵がその小次郎に
向けてこんな言葉を浴びせます。 ~小次郎敗れたりッ!~
まだ、両者が切っ先を合わせる前なのにです。
小次郎がはやる気持ちから抜刀した瞬間には、武蔵はさらに追い打ちの
言葉を。 ~勝つ身であれば鞘(さや)を捨てるはずがないッ!~
小次郎にしてみれば、まさに虚を衝かれた言葉でした。 動揺もしますって。

というのは、小次郎は「物干し竿」との異名を持つ刀身三尺の規格外れ?の
長刀(大太刀)を愛用していましたから、当然その鞘も長い。
そんなやたらに長い鞘を、腰に差すにせよ背中に負うにせよ、身に付けた
ままで決闘に臨んでは動きもままなりません。
そんな理由で、刀を抜いた瞬間に邪魔になる鞘を投げ捨てたまでのこと
だったのです。

宮本武蔵絵01 宮本武蔵01



















宮本武蔵画「枯木鳴鵙図」/宮本武蔵

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あぁそれなのに、その瞬間に~小次郎敗れたりッ!~ 
つまり「北斗の拳」風なら、~おまえはもう死んでいる~と言われたのと同じ
ことですから、動揺するのも当然です。
その影響が尾を引いたものか、結局小次郎はこの決闘に負け・・・
つまり、創作「宮本武蔵」の佐々木小次郎は、この「船島」で死んでしまいます。
ところが、「この時に生きていた(死んではいない)」とした記録も残されている
ようですから、史実・小次郎の実際の生死はよく分かっていません。

ちなみに、この「決闘」の折の両者の年齢もよく分かっていないのです。
映画ドラマなどで、両者が壮年と呼べる年代に設定されているのは、見栄え
や迫力を大切にするという理由が大きいのでしょうが、実際生年から逆算して
みると、この時の武蔵は30歳前ということに落ち着きます。
ただ一方の小次郎の年齢がとんと分からないのです。

ともかく「生年不肖」ということですから、これ幸いとばかりに、18歳ほどの
ハイティーンだったとする見方もあれば、前後の経緯からして50歳以上、
さらには70歳を軽く超えるジイサマだったとする説もあって、結局はこれも
「よく分からない」という結論に落ち着いているようです。

「分からない」づくしは年齢だけでなく、決闘場所の地名にしてからが
その通りなのです。
船島で行われた果し合いを、なぜ「巌流島の決闘」と呼ぶのか?
煎じ詰めれば、「剣の技量競争」に過ぎないのですから、どちらが勝利した
ところで歴史的影響はさほど大したものにはなりません。
だったら、その呼び方も素直に「船島の決闘」であってもなんらの不都合は
なかったはずなのに、それが何故か「巌流島の決闘」と呼んでいるのです。

確かに、それが本名なのか号なのかは別として、宮本武蔵が対戦相手とした
人物は、古い資料では「岩流小次郎」とか「巌流小次良/巌流小次郎」など、
ずっと後の芝居などでは「佐崎巌流」という呼び方もされていたようです。

ですから、武蔵を迎え撃った人物の名前が「巌流」絡みであることはほぼ
間違いありません。
しかし、島のニックネーム?が必要なら、こうした場合、普通はその栄誉を
称えて勝者の名を使いそうなものなのに、ドッコイそれとは逆に敢えて
「敗者の名前」を付けたことになり、これはとっても不自然です。

このことには、小倉藩を初めとする周辺関係者に何らかの事情があっての
こととも考えられますし、負けてしまった小次郎を気の毒に思い、日本民族
特有の一種の「判官贔屓」もどきの感情を発揮したせいとも考えられない
わけではありませんが、いったいどんな理由によるものなのでしょうか?

さて、映画ドラマなどの創作「宮本武蔵」は、この「巌流島の決闘」をもって
「完」とか「終」にされることが多いため、武蔵の剣豪ぶりの描写に比べ、
その分芸術家・武蔵の方に触れる機会が少なくなっている印象です。
ところがこの武蔵、その作品の何点かが重要文化財にも指定されている
ほどに、画才にも恵まれていたのです。

なかでも筆者のお気に入りの作品は「枯木鳴鵙図」(こぼくめいげきず)で、
ご参考までにアナタも、上の画面に漂うなんとも凛とした緊張感を味わって
みてください。
ちなみに、タイトルにある「鵙」とは鳥類の「モズ/百舌」のことです。

また画才だけでなく文才にも恵まれていたようで、「五輪書」という著作まで
あります。
ただ、これには武蔵本人の著作物ではないとの見解もあるようで、実は
この辺りのこともよくは分かっていません。
念のためですが、この「五輪書」とは、スポーツの祭典「オリンピック」とは、
およそ無縁の兵法書の類ですので、そそっかしい人はこの点に注意が
必要です。

さて、皆様の町にも出店されているのかどうかは知りませんが、筆者の
生息地・名古屋には、定食屋チェーン「宮本むなし」なるお店があります。
これは創業者の子供が幼い頃に「宮本武蔵」をうまく発音できず、どうしても
「宮本むなし」になってしまったことから、お店の名に採用したそうですから、
なかなかに深い店名です。

そこで「二匹目のどじょう」?
数年後には姉妹チェーン「ちゃちゃき小次郎」が誕生するとの噂も流れて
いるのですが、ところがドッコイ、この噂は筆者が故意に放った完全なる
ガセですので、そそっかしい人はこの点にも注意が必要ということです。



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