日本史の「信仰」02 現代人の”神道”チックな風景

~日本人ほど「キレイ好き」な国民は世界にいない~
幕末維新の頃に来日した外国人は口を揃えてこんな感想を
披露しています。 
そして、おそらくはこの伝統?を引き継いだものでしょうが、
現代日本人にも同様の「キレイ好き」傾向があることもまた
確かなことのようです。。
例えば、1996年の「O-157」騒ぎがその通りで、この時以降は
いたるところに「消毒液」が置かれるようになりました。
~とことん「キレイ」でなくては気が済まないゾ~ 

う~ん、確かに「キレイ(清潔)好き」を物語る迫力ですが・・・
しかし、ちょっと待て! 逆の言葉なら、こう言っていることには
ならないか。
~日本人ほど「汚れ(バイ菌)」を嫌う国民は世界にいない~

振り返ってみれば、「O-157」騒ぎの折にいわゆる「抗菌グッズ」
呼ばれる諸々が人気を呼んだ事実も、そうした素地があっての
ことだったのでしょう。
ところが反面、いささか徹底さに欠けた面もあり、例えば「抗菌」
・・・この言葉の意味を承知している日本人はむしろ少数派で、
多くはその字面から~バイ菌をやっつける性能~と勝手に
思い込んでいたにすぎません。

早い話が、「抗菌」を有り難がるわりには、消毒/滅菌/殺菌
/除菌/静菌/減菌/抗菌などの違いについて、よくは
知っていなかったということです。

~「抗菌」の実態は確かによく知らない・・・しかしながらダ、
  その語感・響きには何となくありがたいものを感じるゾ~
 
こうだとしたら、「科学的清潔」よりも、むしろ「信仰的清潔」の
方を優先していることになります。

そして、この「宗教的」心情の源流を辿っていけば、おそらくは
日本民族固有の「清浄/穢れ」という神道的感性に行き当たる
のでしょう。
要するに、「バイ菌/汚れ」と聞けば、無意識かつ反射的に
「悪玉」、つまり神道でいう「穢れ/災い」に当たるものを連想
してしまうわけです。 

神道がこうした「穢れ」をタブー視している以上、「触穢」のリスク
を避けようとすれば、結局のところ「抗菌」グッズに頼らざるを
得ません。 ですから、
~「抗菌」グッズとは「祓い給え清め給え」の現代版である~
と言えなくもありません。

ところが反面では、こうした過激な?「清潔好き」が逆に現代人の
アレルギーなどを増加させているとの指摘もなされています。
~その昔から「バイ菌」と共生してきた人類~という生物学的
見地からすれば、確かにあり得ないことではありません。

つまり~「抗菌」環境によってアレルギーが増えようが、断じて
「バイ菌」だけはお断り~
と主張しているわけで、その意味では
まっこと~「穢れ」を嫌う日本人~にふさわしい神道チックな姿
だといえましょう。


禊スサノウ51 スサノウ命51









スサノウの「禊」/スサノウ

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お話は飛びますが、1995年に始まった食品の表示制度に対する
消費者の反応にも、「抗菌」と同様の神道的情緒を感じさせる
ものがあります。 「賞味期限」「消費期限」、この言葉の受け
止め方がまさにその通りなのです。

農林水産省はこう説明しています。 ~開封していない状態で、
表示されている保存方法に従って保存したときに~

「賞味期限」→おいしく食べられる期限を示しています。 
 ※ただし、賞味期限を過ぎても食べられなくなるとは限りません。
「消費期限」→食べても安全な期限を示しています。 
 ※消費期限内に食べるようにしましょう。

ところがこれを、
「賞味期限」→これを過ぎたら「不味く」てとても食べられないゾ。 
「消費期限」→これを過ぎたら「超危険」でとても食べられないゾ。 
こう解釈して、早々に「食品廃棄」に及ぶ傾向が少なくないと
感じられるのです。

この思考パターンにも、また日本民族特有の「神道的情緒」、
すなわち「清浄VS穢れ」というパターンの存在が疑われます。
もっと露骨な言葉使いなら、「不味い」のも「期限切れ」も
「穢れ」(災い)であり、それに対し「禊」(祓い清め)を行うことで、
「清浄」(安全)を保とうとする、神道チックな姿ということです。

そうした「穢れ」に対する「禊」「食品廃棄」という行動なの
かもしれません。
~日本では、まだ食べられるのに捨てられてしまう、いわゆる
  「食品ロス」が年間500万トンから900万トンもある~

驚くのは、これは2,000万人以上の人間が1年間食べていける
量だといわれていることです。
※調査機関により、その推定量にはばらつきがある。

振り返ってみれば、こうした法律が誕生する前の日本人は、
食品に関する可否の判定は、実はほとんど自己責任で行って
いました。
年配者なら、カビの生えた食パンのカビ部分だけを削り取って
トーストにするとか、冷蔵庫へ入れ放しだった3ケ月前の玉子を
目玉焼きにするなどして食べた経験もあるはずです。

ところが、親切な?食品表示制度がそうした行為をタブーにして
しまいました。 そのせいで、うっかり年配者のマネをしようもの
なら、「異常な行動」と見られてしまう心配もあるほどです。

そして、もしこの「食品廃棄」が「信仰」による「禊」、すなわち
信仰上の行動だとしたら、もう誰にも止めることはできません。
個人の「信教の自由」は憲法でも保障されているからです。

いやあ、変われば変わるものですが、しかしよく眺めてみれば、
忌避すべき「穢れ」の範囲が、昔に比べ幾分拡げられたという
だけのお話なのかもしれません。
かくして、本年も~2,000万人以上が1年間食べていける量~
「食品」を一生懸命に「廃棄」しているわけで、いやはやまことに
「神道信仰民族」?と呼ぶにふさわしい風景です。

余談ですが、いくらか以前まで見られた、塀に「鳥居」のマークを
描いて「立小便」の無差別攻撃?から自宅守ろうとした行動なぞ
もモロに神道チックな対応と言えるのかもしれませんね。




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---これまでの 「信仰」 シリーズ----------------
364 日本史の「信仰」01 ”奥津城”ってどこにある? 禰宜様に訊いてみた!
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