日本史の「逆転」15 世間は勝手?この落首
その時代を少し整理してみるとこうなります。
老中・田沼意次(1719-1788年)が幕政を主導していた期間は概ね
1767年から1786年までの20年ほどで、いわゆる「田沼時代」と
呼ばれています。
その田沼意次の失脚後に老中首座・将軍輔佐に就いたのが
いわゆる「寛政の改革」を断行した松平定信(1759-1829年)です。
つまり、二人の政治姿勢には大きな違いというよりは、むしろ
真逆な傾向があったわけで、それを比較書きすればこんな
ところになるのでしょうか。
田沼意次→革新派?/積極財政/実力主義/重商主義/
貿易拡大/異学保護/賄賂イメージ
------------------------------
松平定信→保守派?/緊縮財政/身分重視/重農主義/
貿易黙殺/異学弾圧/清潔イメージ
さらには、田沼の父が紀州藩の足軽という軽輩者だったのに
対し、松平はといえば、その紀州藩から出た八代将軍・吉宗の
孫という毛並みの良さを誇っていましたから、出自の点でも
もとから大きな違いがあったわけです。
では、世間はこの二人の政治にいったいどんな感想を持った
のか?
もちろん、綿密な世論調査などが行なわれることもなかったので
残っている記録から推理せざるを得ませんが、これがまた結構
「自分勝手」なんですねえ。
現代でも、たとえば「消費増税」など歓迎したくないプランが
浮かび上がった場合に、仔細な検討を加える前に、とりあえずは
「反対」の意思表示を示す姿に似た雰囲気が感じられます。
まずは、いわゆる「田沼時代」を皮肉った落首。
~田や沼や 汚れた御世を 改めて 清くぞ澄める 白河の水~
要するに、世論?はこう言っていたことになるのでしょうか。
~田沼の汚職政治は金輪際たまらんでえ、やっぱり
白河の殿様(定信)のご清潔政治でいかなくっちゃ~
松平はこうした世論を背景にして、今風にいうなら圧倒的な
支持率?をもって「総理大臣」?に迎えられたということに
なります。
ですから、世間様からは「やんやの喝采」・・・のハズでした。

田沼意次(老中1767-1786年) 松平定信(老中1787-1793年)
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ところが、そうは運びませんでした。 どうして?
○御政道批判を禁止/幕府は恒に正しいとの主張?
○寛政異学の禁/外国学問に触れることは断固禁止
○徹底した倹約政策/贅沢は敵だ!の徹底実践
○風紀の粛清/公衆浴場の混浴などはもってのほか!
なにも「混浴禁止」が、直接の引き金になったわけでもないので
しょうが、実は庶民の側からすれば「窮屈な社会」を押し付け
られた印象になり、こうした松平の「あれこれ禁止令」?に対して
世間はこんな落首を持ってブーイングを送りました。
(狂歌の大家・太田南畝が原作者?とも言われているようです)
~白河の 清きに魚の 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき~
~確かにご清潔かもしれんが、これでは息苦しくてやっておれん。
昔の田沼さんの頃の活気が懐かしくてかなわんゼ~
う~ん、世論って本当に「自分勝手」なものですね。
また、権力を握る前の松平自身も自らの幕閣入りを狙って、
えっさえっさと田沼に賄賂を贈っていたそうですから、世間から
評価されたほどに「ご清潔」だったかどうかも微妙なところです。
それはともかく、政権を握った後の松平は田沼を隠居に追い
込んだ上に政治犯として扱い、亡くなるまで屋敷に幽閉しただけ
ではなく、さらには領地であった遠州相良城までも破壊させた
のですから、「田沼憎し」の感情にはよほどのものがあったの
でしょうね。
それどころか2000年に発見された新史料にはこんな内容が・・・
~幕府が病床の田沼を監視し、逐一病状を報告させ、
医師の往診をわざと控えさせ死期を早めた~
この「未必の故意・殺人事件」?が事実なら、最高責任者・老中
の立場にあった定信自身も少なからず関わっていたことになり
ます。 う~ん、いったいどこが「ご清潔」なんだ?
~世間(世論)というものは、昔も今もまことに自分勝手なもの~
要はこう言いたかっただけのことでしたが、なにやら話が逸れて
200年以上も昔の疑惑事件?にまで遡るハメになりました。
そのために、お忙しい皆様方の足をお止めてしまいましたこと、
本当に心苦しく感じています。 許せな。
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---これまでの 「逆転」 シリーズ----------------
285 日本史の「逆転」14 維新”オセロゲーム”模様 全部が一気に裏返し
250 日本史の「逆転」13 武士団土壇場の女子パワー! 浮き足立つな!
238 日本史の「逆転」12 またか!殿中刃傷事件 一罰百戒も通じない?
225 日本史の「逆転」11 日本列島ウラオモテ 見慣れないから盲点に?
213 日本史の「逆転」10 貧乏だけど大金持ちだゾ 金はどこから流出した?
206 日本史の「逆転」09 虚像は実像を駆逐する 根も葉もあるウソ八百?
198 日本史の「逆転」08 世界遺産は○○のお蔭? 負の遺産?が脚光を!
181 日本史の「逆転」07 地名は”上”だが地図では”南”? 先人は方向音痴?
177 日本史の「逆転」06 将軍家激震スキャンダル 権力抗争の黒い霧?
161 日本史の「逆転」05 切れない名君と斬る暗君 殿様が背負った新任務?
151 日本史の「逆転」04 武士の正座と胡坐 おお、足の裏同士がぴったり!
122 日本史の「逆転」03 秀吉のシックス・センス 窮地で発揮した超能力?
119 日本史の「逆転」02 木曽三川 レ・ミゼラブル! 積もった恨みが爆発!
107 日本史の「逆転」01 “謎の絵師”に謎はない 謎は後から作られた?
-------------------------------
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 前編「あ→と」巻 七転び八起き!
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 後編「な→ん」巻 あゝ七転八倒!
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老中・田沼意次(1719-1788年)が幕政を主導していた期間は概ね
1767年から1786年までの20年ほどで、いわゆる「田沼時代」と
呼ばれています。
その田沼意次の失脚後に老中首座・将軍輔佐に就いたのが
いわゆる「寛政の改革」を断行した松平定信(1759-1829年)です。
つまり、二人の政治姿勢には大きな違いというよりは、むしろ
真逆な傾向があったわけで、それを比較書きすればこんな
ところになるのでしょうか。
田沼意次→革新派?/積極財政/実力主義/重商主義/
貿易拡大/異学保護/賄賂イメージ
------------------------------
松平定信→保守派?/緊縮財政/身分重視/重農主義/
貿易黙殺/異学弾圧/清潔イメージ
さらには、田沼の父が紀州藩の足軽という軽輩者だったのに
対し、松平はといえば、その紀州藩から出た八代将軍・吉宗の
孫という毛並みの良さを誇っていましたから、出自の点でも
もとから大きな違いがあったわけです。
では、世間はこの二人の政治にいったいどんな感想を持った
のか?
もちろん、綿密な世論調査などが行なわれることもなかったので
残っている記録から推理せざるを得ませんが、これがまた結構
「自分勝手」なんですねえ。
現代でも、たとえば「消費増税」など歓迎したくないプランが
浮かび上がった場合に、仔細な検討を加える前に、とりあえずは
「反対」の意思表示を示す姿に似た雰囲気が感じられます。
まずは、いわゆる「田沼時代」を皮肉った落首。
~田や沼や 汚れた御世を 改めて 清くぞ澄める 白河の水~
要するに、世論?はこう言っていたことになるのでしょうか。
~田沼の汚職政治は金輪際たまらんでえ、やっぱり
白河の殿様(定信)のご清潔政治でいかなくっちゃ~
松平はこうした世論を背景にして、今風にいうなら圧倒的な
支持率?をもって「総理大臣」?に迎えられたということに
なります。
ですから、世間様からは「やんやの喝采」・・・のハズでした。


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○御政道批判を禁止/幕府は恒に正しいとの主張?
○寛政異学の禁/外国学問に触れることは断固禁止
○徹底した倹約政策/贅沢は敵だ!の徹底実践
○風紀の粛清/公衆浴場の混浴などはもってのほか!
なにも「混浴禁止」が、直接の引き金になったわけでもないので
しょうが、実は庶民の側からすれば「窮屈な社会」を押し付け
られた印象になり、こうした松平の「あれこれ禁止令」?に対して
世間はこんな落首を持ってブーイングを送りました。
(狂歌の大家・太田南畝が原作者?とも言われているようです)
~白河の 清きに魚の 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき~
~確かにご清潔かもしれんが、これでは息苦しくてやっておれん。
昔の田沼さんの頃の活気が懐かしくてかなわんゼ~
う~ん、世論って本当に「自分勝手」なものですね。
また、権力を握る前の松平自身も自らの幕閣入りを狙って、
えっさえっさと田沼に賄賂を贈っていたそうですから、世間から
評価されたほどに「ご清潔」だったかどうかも微妙なところです。
それはともかく、政権を握った後の松平は田沼を隠居に追い
込んだ上に政治犯として扱い、亡くなるまで屋敷に幽閉しただけ
ではなく、さらには領地であった遠州相良城までも破壊させた
のですから、「田沼憎し」の感情にはよほどのものがあったの
でしょうね。
それどころか2000年に発見された新史料にはこんな内容が・・・
~幕府が病床の田沼を監視し、逐一病状を報告させ、
医師の往診をわざと控えさせ死期を早めた~
この「未必の故意・殺人事件」?が事実なら、最高責任者・老中
の立場にあった定信自身も少なからず関わっていたことになり
ます。 う~ん、いったいどこが「ご清潔」なんだ?
~世間(世論)というものは、昔も今もまことに自分勝手なもの~
要はこう言いたかっただけのことでしたが、なにやら話が逸れて
200年以上も昔の疑惑事件?にまで遡るハメになりました。
そのために、お忙しい皆様方の足をお止めてしまいましたこと、
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238 日本史の「逆転」12 またか!殿中刃傷事件 一罰百戒も通じない?
225 日本史の「逆転」11 日本列島ウラオモテ 見慣れないから盲点に?
213 日本史の「逆転」10 貧乏だけど大金持ちだゾ 金はどこから流出した?
206 日本史の「逆転」09 虚像は実像を駆逐する 根も葉もあるウソ八百?
198 日本史の「逆転」08 世界遺産は○○のお蔭? 負の遺産?が脚光を!
181 日本史の「逆転」07 地名は”上”だが地図では”南”? 先人は方向音痴?
177 日本史の「逆転」06 将軍家激震スキャンダル 権力抗争の黒い霧?
161 日本史の「逆転」05 切れない名君と斬る暗君 殿様が背負った新任務?
151 日本史の「逆転」04 武士の正座と胡坐 おお、足の裏同士がぴったり!
122 日本史の「逆転」03 秀吉のシックス・センス 窮地で発揮した超能力?
119 日本史の「逆転」02 木曽三川 レ・ミゼラブル! 積もった恨みが爆発!
107 日本史の「逆転」01 “謎の絵師”に謎はない 謎は後から作られた?
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ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 後編「な→ん」巻 あゝ七転八倒!
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