日本史の「誤算」15 幕末騒乱は変則タッグ続き

敵味方の立場がコロッと入れ替わってしまうような一筋縄ではいかない
政治的な動きが、幕末には結構多く登場しました。
そうした出来事を並べ立てるなら、それこそ枚挙に暇がないので、そこで
断片的ですが、今回はそうした幕末の変則タッグを取り上げてみました。
時系列にはとんと頓着していませんので、その辺は悪しからずネ。

まずは、公武合体派であった薩摩・会津両藩が、過激な尊王攘夷を唱える
長州藩を京都から武力追放した事件、いわゆる「八月十八日の政変」(1863年)
を見てみます。


 818no_seihen_01.jpg 八月十八日の政変 

この政変の標的となった長州藩は元々から過激な体質を備えていました。
思想的指導者でもあった吉田松陰(1830-1859年)自身の姿勢からしてが、
まさにその通りで、たとえばこんな具合です。
いわゆる「黒船来航」(1853年)の翌年にペリー代将が日米和親条約締結の
ために再来航した際のこと、松陰は無断で旗艦ポーハタン号に乗り込むや、
大胆にも自身のアメリカ行きを希望しています。

そればかりではありません。
その後に、幕府が無勅許のまま日米修好通商条約を締結(1858年)したことを
知った際には、激怒のあまり、老中を引っ捕らえて条約破棄と攘夷実行を
迫る計画まで企てました。

念入りなことに、老中がそれを受け入れない場合には討ち取る計画まで用意
していたのですから、昨今よく見聞きする「長州テロリスト集団」という
表現もあながち的外れでもないかもしれません。

それはともかく、この「八月十八日の政変」において、長州藩は薩摩・
会津両藩の手によって突如御所から追放されました。
それまでは共に御所警護に当たっていたのですから、この扱いに長州藩が
頭へ来てしまうのは無理からぬところです。

翌年の「禁門の変」(蛤御門の変/1864年)は、そうした長州藩のリベンジ
戦?ほどの意味合いになるのでしょう。 
しかし、御所に対してさえ見境いなしの武力行動に出る。
こうした過激一途な姿勢を取り続ける長州藩を放ったままにしていたのでは、
今度は朝廷に対して幕府の面目が立ちません。

そこで長州藩を「朝敵」の立場に追い込むや、返す手で「長州征討」
(第一次・1864年/第二次・1866年)を展開しました。
また、天皇のお膝元である京都では、後に「一会桑政権」と呼ばれる政治
体制も姿を現しています。
えっ、ちゃんとした幕府があるでしょうに、ナニ、その「一会桑政権」って?

こんな説明になっています。
~幕末の政治動向の中心地京都において、
 徳川慶喜(禁裏御守衛総督・一橋徳川家当主/1837-1913年)、
 松平容保(京都守護職・会津藩主     /1836-1893年)、
 松平定敬(京都所司代・桑名藩主     /1847-1908年)
 の三者により構成された体制~


併せて、
~この体制は尊皇攘夷急進派・長州藩への対抗を通じて形成された~
とされていますから、これ以降の歴史は幕府を初めとする公武合体派の
思惑通り展開していったと受け止めたいところです。 
しかし、そうはなっていないのですから、不思議と言えば不思議です。

そのキッカケは1866年にありました。
長州征伐は第二次を迎えていましたが、そんな中で第14代将軍・徳川家茂
(1846-1866年)が20歳そこそこの若さで、ぱったり死んでしまったのです。 
家茂にとっては、この長州征討もかなりのストレスになったようです。
後継の第15代将軍には徳川慶喜が就きました。

さらには、長州征伐休戦の勅命を下したそのすぐ後に、第121代・
孝明天皇(1831-1867年)が崩御されました。
孝明天皇の妹姫・和宮(1846-1877年)を将軍・家茂に降嫁させることで
義兄弟となり、公武合体推進の象徴的存在となった二人が、あろうことか
続けざまにこの世を去ってしまったことになります。


 tyousyuu_02seibatsu_01.jpg tokugawa_yoshinobu_01.jpg 
 長州征討 / 徳川慶喜

 応援クリックを→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ ←にほんブログ村



ただでさえ変遷の激しい政局にあるのに、この二人の死はさらなる混乱を
招きました。
そうしたこともあって、それまでには予想もできなかった「変則タッグ」が
あちこちで見られるようになります。

たとえば孝明天皇は、祭祀と政治とを、朝廷と幕府が役割分担する体制を
正しい在り方とする考えをお持ちでした。
これまで、700年も続いてきた伝統と実績を備えたシステムだからです。
その意味では、倒幕も視野に入れた長州藩の過激な言動を、孝明天皇が
毛嫌いするのは当然です。

一方で、この孝明天皇は会津藩・松平容保には絶大な信頼を寄せていました。 
こんな意味の宸翰(天皇直筆)を与えたほどです。
~オマエ(容保)を頼りにしているゾ~

しかし、この崩御がキッカケとなって朝廷が親長州の立場に変わってしまった
のです。
孝明天皇の後を継いだ第122代・明治天皇(1852-1912年)の後見人?である
外祖父・中山忠能(ただやす/1809-1888年)が大の長州贔屓だったからです。

ですから明治天皇は、践祚(皇位の象徴である三種神器を受け継ぐ)されるや、
たちまちに「倒幕の勅命」(1867年)を下しています。
要するに、それまでは一種の協力関係にあった朝廷と幕府は、ここにおいて
一気に敵味方の立場になったということです。

孝明天皇時代は長州嫌いだった朝廷が、今度はその長州と手を組んだわけ
ですから、これも紛れもない「変則タッグ」です。
対する幕府も、家茂後継の第15代将軍に徳川慶喜を選びました。
ところが、このことによって、ここでもまた思わぬ「変則タッグ」が登場
しました。

あろうことか、ガチガチの公武合体推進派であった薩摩藩・島津久光
(1817-1887年)が幕府から離れたばかりか、薩摩藩としても討幕派へ
舵を切ったのです。

つまり、先の「禁門の変」で激しい戦闘の末に、双方に多大の犠牲者を出した
薩摩藩と長州藩の双方が手を組むことになったわけです。
これは、もう常識的には「絶対にあり得ない」はずの組み合わせですから、
「変則タッグ」という他に言いようがありません。

では、薩摩藩・国父(藩主・忠義の実父)島津久光は、なんでそんな行動に
出たのか?
どうやら、公武合体路線を推し進めるべく奮闘している島津久光の言動に、
当の慶喜がある種の疑念を抱いたようなのです。

~久光メは、徳川家を差し置いて自分が将軍になる野望を抱いているのでは
 ないか~

そこには当然、こんな意識もあったことでしょう。
~外様(薩摩藩)にすぎぬ田舎侍が、何を考えとるのじゃ~

慶喜のこうした気持ちは態度となって出ますから、久光もヘソを曲げます。
~なんだぁ、このやろう、偉そうに~
両者とも生まれながらのお殿様ですから、この辺は多少子供じみたツッパリ
合いみたいなものがあったのかもしれません。

それにしても、気の毒なのは会津藩です。
孝明天皇時代とは真逆に「朝敵」扱いを受けたのですから。
それには、こんな経緯がありました。

薩摩・長州・土佐軍を中心とした新政府軍と、幕府・会津・桑名軍を
中心とした旧幕府軍が激突した、いわゆる「鳥羽・伏見の戦い」(1868年)に
おいて、会津藩が参加した旧幕府軍は敗れました。

ところが、勝利を収めた新政府側は、負けた会津藩・庄内藩を容赦なく
「朝敵」扱いとしたのです。
この頃の朝敵とは「悪魔」と言われているのと同じですから、近隣の
陸奥国・出羽国・越後国の諸藩は「奥羽越列藩同盟」を組むことで、
これに抗議する姿勢を示しました。
しかし、勝てば官軍・イケイケドンドンの新政府側はこれを拒否。

憤怒冷めやらぬ「奥羽越列藩同盟」は軍事同盟と変貌し、ついには
新政府軍と激突するまでの抵抗を示したのです。
会津藩・松平容保がここまで戦い抜いたのは、将軍・慶喜が踏み切った
「大政奉還」(政権を天皇に返上)という行動が、幕府政治が続くことを
心底願っていた前帝・孝明天皇に対する裏切りに映ったのかもしれません。

ともかく容保の受け止めとしては、敵側の「薩長同盟」も、また自らの
「奥羽越列藩同盟」も、それまでの経緯からしたら想像を超えた「変則タッグ」
だった、ということになりそうです。




 応援クリックを→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ ←にほんブログ村



--直近の記事---------------------------
692 日本史の「トホホ」32 政権以前の武士の境遇 番犬もどきから脱却だ
691 日本史の「冗談?」20 首のためなら領国なんぞ 溜飲を下げる代償が
690 日本史の「付録」14 天照大神と野球用語 左右大臣と左右翼手の区別
689 日本史の「逆転」24 女帝の独善純粋数奇な生涯 高邁な思想が悪評に
688 日本史の「トンデモ」06 朱子学採用も科挙は別 その時の必要ツール
687 日本史の「災難」16 幕末の同時多発逆転劇 時勢豹変は日常茶飯事に
686 日本史の「数字」06 天皇賢臣の前と後の三房 天皇寄りの歴史は当然
----------------------------------
ヤジ馬の日本史~超駄級・600記事一覧~ №501-599編 だがしか史!
ヤジ馬の日本史~超駄級・500記事一覧~ №401-499編 満腹握りめ史!
ヤジ馬の日本史~超駄級・400記事一覧~ №301-400編 颯爽ろくでな史!
ヤジ馬の日本史~超駄級・300記事一覧~ №202-299編 堂々肩すか史!
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 後編「な→ん」巻 あゝ七転八倒!
ヤジ馬の日本史~超駄級・200記事一覧~ 前編「あ→と」巻 七転び八起き!
----------------------------------

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント