日本史の「災難」16 幕末貧乏くじを背負い込む

いわゆる「貧乏クジ」とは、平たく言えば「損な役回り」のことを意味し
ますが、そういう役回り、あるいはそうした境遇に立った人物も歴史の中には
数多登場しています。
で、そういう「日本史の中の貧乏くじ」ということなら、筆者なぞにはすぐさま
松平容保の名が浮かんでくるところです。

こんな風に紹介されています。
~松平容保(1836-1983年)は幕末の大名であり、陸奥国・会津藩
 第9代(実質的に最後の)藩主~
 さらに、続いて
~京都守護職に任命され、公武合体を推進。 会津戦争に敗れ、
 明治元(1868)年鳥取藩のち和歌山藩に「永預」(えいあずけ)となる~

罪人の立場だった時期もあるということです。


 matudaira_katamori_51.jpg 松平容保
 
少し横道に逸れますが、その「会津戦争」にも触れておきましょう。
筆者の頭の中を整理する必要があるという自分の都合からです。
~慶応4 (1868) 年、奥羽、北越を舞台に官軍と旧佐幕系諸藩との間に
 起った戦い~


あれれ、先ほどの「永預」の場合は明治元年=1868年になっているのに、
今度の「会津戦争」の場合は慶応4年=1968年になっているゾ。
一体どちらが正しいのか、ここでまた横道へ。

~慶応4年9月8日より明治に改元したが、「慶応4年をもって明治元年と
 する」としているため旧暦1月1日に遡って適用される。
 なお慶応4年9月8日は西暦で1868年10月23日である。
 この年の1年間の長さは、閏4月のある13か月間で383日間あった~

大変革期であった幕末は、カレンダーだってややこしい。

さて、お話を「松平容保」に戻すと、こんな記述もあります。
~高須四兄弟の一人で、血統的には水戸藩主・徳川治保(はるもり/
 1751-1805年)の子孫~

さらに触れておくなら、現在の徳川宗家はこの容保の男系子孫という
ことです。

さらには、この幕末期の理解を助けるために先の「高須四兄弟」
ついての予備知識も必要でしょう。
~美濃国高須藩第10代藩主・松平義建(1800-1862年)の多く子供のうち、
 幕末期に活躍 した以下の四人を「高須四兄弟」と呼ぶことがある~


話の流れですから、その四人も列記。
徳川義勝(1824-1883年)尾張徳川家当主/第一次長州征討軍総督
徳川茂栄(1831-1884年)一橋徳川家当主/慶喜の将軍就任に伴い
松平容保(1836-1884年)会津松平家当主/京都守護職就任(28歳)
松平定敬(1847-1908年)桑名松平久松家当主/幕府から半独立した形で、
      一橋家・会津藩・桑名藩のいわゆる「一会桑政権」を形成

いずれにしても、四人ともが江戸幕府最後の(15代)将軍となった徳川慶喜
(1837-1913年)との関りが深いところで幕末の活動を続けていたことになり、
その姿を俯瞰的に眺めるなら、要するに、滅びゆく江戸幕府と運命共同体的な
立場にあったとは言えそうです。

では、なぜ松平容保に貧乏くじのイメージがあるのか?
まず第一には、京都守護職就任を巡る経緯を挙げることができます。
なんですか、その「京都守護職」って? いえネ、こう説明されています。
~江戸時代末期、京都に設置された江戸幕府の官職~

幕府の朝廷統制を目的とした「京都所司代」という機構が、江戸時代初期から
設置されていました。 なのに「京都守護職」って?
黒船来航(1853年)後には、幕府の開国政策に抵抗する、特に長州藩を
中心とした倒幕勢力が一段と過激さを増していた状況がありました。

そこで、~そうした動きを鎮圧するために新しく設けた役職~
これが「京都守護職」でした。
しかも、これには、京都所司代、大坂城代を指揮下に置くという極めて強大な
権限を与えました。 この役職が容保に打診されたわけです。


 koumei_tennou_shinkan_01.jpg takasu_4kyoudai_51.jpg
 孝明天皇 宸翰 / 高須四兄弟(左から定敬、容保、茂栄、慶勝) 

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言葉を換えれば、従来ある「京都所司代」ではとてもじゃないが対応しきれ
ないと踏んだ幕府が、新たに「京都守護職」を設置したことになります。
だったら、その仕事が容易でないことは誰にだって分かり切ったことです。

ですから、容保も固辞しました。 
えぇ、「それだけは勘弁してくださいよ」と言ったわけです。
この時の容保は病の床にあったとされていますから、体力的な不安などを
理由にしたのかもしれません。

しかし、幕府も必死ですから、懸命に食い下がります。
この説得に幕府の命運を賭けていた一面もあったからで、会津藩祖・保科正之
(第3代将軍・家光の異母弟/1611-1673年)が、遥か昔に定めた家訓まで
持ち出して、頑なに固辞する容保の切り崩しを図ります。

~会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が(それを)裏切るよう
 なことがあれば、家臣は従ってはならない・・・尊藩の藩祖(保科正之)は
 確かこのように言い遺されたと耳にしておりますが、いかが?~


「徳川宗家原理主義者」もどきの存在である会津藩がこう言われて、なおも
辞退を重ねることは醜態でもあります。
そこで、結局容保はこの貧乏くじを引かざるを得ませんでした。 
1862年、容保28歳の出来事です。

さて、尊王派弾圧を目的として組織された幕府警備隊「新選組」
その肩書を名刺風に表せばこうなります。
~京都守護職 会津藩松平肥後守容保中将御預浪士 新撰組~ つまり、容保は
武装(テロ?)集団・新選組のボスにされちゃったということです。 あっちゃー。

その容保が京都守護職に就任した翌年に勃発したのが「八月十八日の政変」
共に御所の警護も勤めていた長州藩を朝廷から排除した政変でした。
この時の容保の働きを大きく評価したのが、長州藩の過激さを心底から
嫌っていた時の第121代・孝明天皇(1831-1867年)で、宸翰を授けたほど
でした。

なんですか、その宸翰(しんかん)って。
天皇の直筆を意味し、この場合なら孝明天皇直筆の表彰状?を容保に与えた
という感じになるのでしょうか。
日本史的に眺めても、宸翰を臣下に授けるなぞは全く異例のことのようです
から、当然容保は大感激。
小さな竹の筒にそれを納め、生涯肌身から離すことはありませんでした。

このように、朝廷側・孝明天皇と幕府側・京都守護代の容保との相互信頼も
篤いことから、このまま何事もなければ、朝廷・幕府の協調路線がさらに
強化されたに違いありません。
既に、孝明天皇の妹姫・和宮(1846-1877年)と幕府第14代将軍・徳川家茂
(1846-1866年)の婚儀(1861年)が成り、文字通りに「公武合体」体制が
実現していたからです。

ところが、その孝明天皇が突然の崩御。
その後を継承した明治天皇(1852-1912年)の姿勢は、従来の公武合体路線
とは真逆の討幕路線でした。
このことによって、「将軍家第一」を死守する会津藩は一気に「賊軍」
(朝廷に逆らう者)の立場に追い込まれてしまったのです。

容保も大いに困惑したに違いないでしょうが、さりとて今さら「態度転向」?
するわけにもいきません。
なにせ「将軍家第一」は藩祖の遺訓なのですから。
結局、幕府が大政奉還(1867年)した後も、さらには翌年の会津戦争
(1868年)でも「将軍家(幕府)」を守るために新政府軍を相手に「徹底抗戦」を
続けるハメになりました。

ジリ貧の賊軍・会津藩に対し、天皇を後ろ盾に持つ官軍はイケイケドンドン。
そうした両者間の激戦はおよそ五か月にも渡りましたが、結局その末に会津軍は
追い詰められ、大将である容保はついに降伏。 

容保の降伏後も、なお徹底抗戦を主張し続けた者もいました。
ですから、今度は逆に容保が残る家臣に対して降伏を説得する立場です。
ところが、どっこい。
~藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない~

これを家訓としてきた家臣たちにとって、容保の降伏説得は「藩主の裏切り」
そのものですから、その声に耳を傾ける者は多くありませんでした。
容保はここでも損な役割を背負い込んだ、言葉を換えれば、またまた
「貧乏くじを引かされた」ということになるのかもしれません。




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