日本史の「事始め」21 鉛筆は鉄砲より強しか?

江戸時代を舞台にしたTV時代劇の劇中に登場した文字を書くシーンでは、 筆記ツールとして毛筆が使われていました。 その数日後、今度は幕末維新を描いたTVドラマです。 ここにも同様のシーンが登場しましたが、筆記ツールはやはり毛筆でした。 さて、こんなプチ体験から、個人的にちょっとした素朴な疑問を持つことに なりました。 ~す…
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日本史の「大雑把」05 名乗り数多の戦国生涯

たとえば、この戦国武将は諸事情も重なって、一生のうちに数多の名前を 持つことになりました。 もちろん数だけでいえば、もっと多かった人物もいるのかもしれませんが、 それにしても現代人の感覚からすれば、やはりこんな印象になるところです。 ~こんなに多くの名前を持って、逆に不自由はなかったのかしら~ せっかくですから、その例に挙…
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日本史の「トンデモ」05 江戸政界フィクサーの奔放

第10代将軍・徳川家治(1737-1786年)には、後継第11代将軍となるべく 嫡男・家基(1762-1779年)がいました。 幼年期より聡明であった家基は、文武両道の才能備えていたばかりか、 政治に対しても次第に関心を示すほどの人物でした。 また、その名には徳川宗家の通字である「家」が授けられています。 要するに、家治後…
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日本史の「発明発見」26 季節限定戦では埒が明かぬ

戦国三英傑の一人である尾張国・織田信長(1534-1582年)は、当時の大名の 誰もが思いつかなかった「兵農分離」という新政策を打ち出し、これを実行に 移しています。 これ、文字通りに「兵士と農民を分ける」ことを意味する政策でした。 逆に言えば、それまでは基本的に「兵農一致」の状況にあったことです。 なぁに? その「兵農一…
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日本史の「ライバル」06 公務?川中島の戦い

数多の戦が繰り広げられた戦国時代の中でも、とりわけ知名度の高い戦闘の 一つに、甲斐・武田信玄(1521-1573年)と越後・上杉謙信(1530-1578年) による激突「川中島の戦い」を挙げることができそうです。 両軍の激突は、実は一回に留まらず、意外なことに前後五回にわたって繰り 広げられました。 ですから、一般的な言い…
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日本史の「例外」04 天才武将暗黙のお約束

天才武将、天才軍人、あるいはそれに似たイメージで語られる人物は 日本史の中にも少ならからず登場しています。 具体的な名を挙げるなら、平安時代末期の源義経(1159-1189年)もその一人 でしょう。 殊に平家相手の「一の谷の戦い」(1184年)、「屋島の戦い」(1185年)、 さらには、その平家を滅亡に追い込んだ「壇ノ浦の…
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