日本史の「アレンジ」21 江戸に咲いた外食文化

筆者が購読してしている中日新聞には「サンデー版」と称する
日曜専用付録?みたいな増ページがあります。
その記事(2020・01・12)がたまたま目が付いたので、どうせのこと
なら皆様にもご紹介しておこうと思った次第です。


hiroshige_takanawa_01.jpg
胸が高鳴る催事には屋台がつきものだった
/歌川広重「東都名所 高輪廿六夜待遊興之図」


その紙面の大タイトルは「外食文化のルーツ」
それに続いて<江戸で始まったファストフード、デリバリー>との
見出しが並び、さらにはこんな案内も。
~急速なインフラ整備が求められ、単身赴任の男たちが集まったため、
 江戸では手軽に食事ができる屋台や、野菜、魚、総菜などを長屋の
 狭い路地にまで売りに来る行商が日常の光景になりました~


「急成長の背景」として、さらにこんな親切な説明も加えられています。
~江戸は日本の中心になるように、上水道の整備など大規模な
 インフラ工事が日々行われた。 
 それに伴い、全国から多くの男たちが単身で出稼ぎに来た。
 とりわけ、江戸市中の3分の2を焼き尽くした明暦の大火(1657年)
 以降はその動きに拍車がかかり、手っ取り早くおなかを満たして
 くれる外食産業が成長した~


ちなみにこの「明暦の大火」(別名・振袖火事)とは、多数の大名屋敷、
市街地の大半を焼失させたばかりか、被害は江戸城天守にまで及び、
その後天守が再建されることがなかったことでもよく知られる大火事
です。

で、江戸庶民が「住まいより食に関心」を寄せていた社会背景にも
触れています。
~明暦の大火に象徴されるように江戸に住む庶民にとって火事は
 日常茶飯事だった。 死と隣り合わせの日常。
 そして貧乏ながら借家住まいという気楽さから、庶民の関心は
 住まいよりも食や祭礼、縁日、花火見物と言った日々の楽しみに
 向いていた~


長期で多額な住宅ローンを背負い込むなんぞはハナから避けて、
ひたすら日々の楽しみに目を向けるというライフスタイルには、
現代人とはひと味違った趣が感じられます。
そうした環境にあった「外食文化」にお話を戻すと、こんな分類方法
でも整理がされています。 

○デリバリー  (配達・出前)      /長屋に様々な行商人
○ファストフード(素早く準備・食べられる食品)/バラエティ豊か
○ワンコイン  (硬貨1枚分の値段)   /現在の100円ショッブ

ここに示されたキーワードは、カタカナ書きかあるいは漢字混じりの
表現かの違いだけで、その内容は現代にも共通していることに気が
付きます。
折角ですから、それらキーワードを覗いていきましょう。
まずは「デリバリー」の項目で取り上げられているのが「棒手振り」
(ぼてふり)
です。

~天秤(てんびん)棒で荷を担ぎ、さまざまな食材や調味料、
 お惣菜などをかごに入れて、町の路地を売り歩いた。
 長屋に住む庶民は魚をさばいたり、総菜をつくるようなスペースも
 なかったので毎日の食事の材料は買うしかなかった。
 しかし、棒手振りが早朝から長屋の狭い路地まで売りに来たので
 人々は大変重宝した。 食品だけでも約50種類を扱っていた~


現代の「移動スーパー」といった感じでしょうか。
~中には注文に応じてまな板と包丁でその場でさばく行商人もいた。
 家でごみが出ないため、重宝した~

そういうことなら、現代のいわゆる「買い物弱者/買い物難民」の課題
に対応していただけでなく、もう一つ「家庭ごみを出さない」という
面でも有効なシステムだったように感じられます。


toyokuni_unohanatuki_01.png
のきさきにまで来てカツオをさばく行商人と皿を手に集まる女性
/歌川豊国「卯の花月」


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続いて「ファストフード」の項目では「屋台」について説明されています。
~江戸では盛り場や縁日、長屋の広場など人が集まるところには必ずと
 いっていいほど屋台が出た。
 ふだん使いのほか、花見や月見、祭りのときに町にでかけ買い物を
 するのが庶民の楽しみでもあった。  また、独身男性の比率が
 高かったため、ふだんの生活でも簡単に食事を済ませることができる
 「ファストフード」として人気があった~


補足の案内も。
~てんぷらなどを串刺しにして食べ歩きする「江戸版ファストフード」
 のスタイルが流行した~
 
また「にぎりずし」についても、
~1820年ごろ(文政年間)ににぎりずしが生まれたといわれる。
 「早ずし(押しずしなど)」よりも時間を短縮、酢飯をその場で握り、
 具材をのせて完成というスピード感が江戸の庶民の心をつかんだ~


こうしてみると、江戸人も現代人に負けず劣らずのせっかちだった
ようですが、そうした江戸時代(天保年間/1840年ごろ)の
「庶民の食生活」を覗いてみると、
~江戸では約7割の人々が長屋住まいで、台所兼土間が1畳半、部屋が
 4畳半の間取りが一般的だった。
 土間にはかまど(へっつい)と水がめがあり、鍋や釜でご飯を炊い
 たり、みそ汁を作った。 魚を焼く場合はそとで七輪を使って焼いた。
 朝食の前はごはんとみそ汁、漬物のほかにおかずが1、2品付くくらい。
 昼食は朝の残り飯をありあわせのおかずでいただき、夕食は残り物の
 冷や飯を使ったお茶漬けなどで簡単に済ませるのがふつうだった~


どうやら、江戸人の多くの現代日本人のように晩御飯をドカッと豪華に
というスタイルではなかったようです。
そうなら、江戸庶民の方がヘルシーな食生活を営んでいたことに
なりそうで、現代に比べたら、おそらくは「糖尿病」患者の比率も
ぐっと低い水準にあったことでしょう。

さて、当時と現在の値段を比較したこんな試算があります。
(日本銀行金融研究所貨幣博物館)
   ○米の値段を比較すると 1両=  約4万円
    ○大工の手間賃では  1両=30~40万円
○お蕎麦(そば)の代金では  1両=12~13万円

これではややこしいのでエイヤッとばかりに、切りよく「1両=10万円」
とすると、「1文=1/4000両」ですから「1文=25円」という計算に
なり、さらには当り前ですが、「4文=100円」という数字が導き
出されます。

そこで、「四文屋(しもんや)」の登場です。
つまり「四文屋」とは、ずばり現代のワンコイン「100円ショップ」
にほかならないわけです。
→(四文屋とは) 総菜がワンコインで買える食べ物屋台。
  煮売り屋のひとつで、四文銭1枚(現代のお金で100円ほど)で
  焼き豆腐、こんにゃく、するめ、れんこん、ゴボウなどの総菜を
  売っていた~


こうして書くと、江戸庶民は何やら現代人と同じようなライフスタイル
を営んでいたように思えてきますが、ドッコイ、同記事中にはこんな
文章もありました。(歴史作家・歴史タレント/堀口茉純)

~ちなみに当時は食べ残しは厳禁。
 外食先で残してしまった場合は懐紙にくるむなどして必ず持ち帰り
 ました。
 飲食店側もその日に売り切る分だけを商い、食品ロスを出しません。
 食べ物を大切にする精神が徹底していたんですね。
 現代人のわれわれも見習うべき姿勢だと思います~


ちなみのちなみになりますが、ここに登場した「食品ロス」とは、
~売れ残りや食べ残し、期限切れ食品など、本来は食べることが
 できたはずの食品が廃棄されること~
 であり、また日本の
場合だと、その総量は米の年間収量の8割を超えるという驚愕の実態で、
こうした事実がさらに大きな社会問題にもなっています。

常々からこのあたりの「無駄/もったいない」に高い意識を払っている
筆者には決して「食べ残し」などはあり得ません。
その代わり、メタボ傾向にブレーキがかからないことがちょっとトホホ
なんですが。




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