日本史の「陰謀」28 名君なおもて暗君をや

昔々の時代劇映画お多くは、主君が絶対的な権力を持ち、家臣はそれに
ひれ伏す姿を当然のものとして描いていた印象があります。
君臣の立場にはハナから絶対的な違いがある、と言ったところでしょうか。

ですから、仮に家臣側が異を唱えるにしても、それはやんちゃな若殿に
対して、古手の家老がちょいと御意見を述べる程度の姿に留まります。
それ以上の攻勢は、一種のタブーにも似た感覚があったのでしょう。
もっとも、物語設定が、根っからの悪家老・悪臣となっている場合は、
また別のお話ですが。

当時のこうした時代劇を観るにつけ、ついついこんな印象すら抱きます。
~殿様(藩主・主君)とは、気楽な稼業ときたもんだ~
だって、絶対的な存在なのですからねぇ。
ところが実際には、そうした主君の言動に家臣団は結構神経質だったようです。

主君のウッカリ失言・失態をしでかそうものなら、ひょっこり幕府に目を
付けられることにもなりかねないからです。
そうした流れにはまってしまうと、最悪の場合「改易」(御家取潰し)すら
あり得ることになります。
ですから、「不出来な主君」の存在は、どの藩にとっても、それほど
お気楽な問題ではありませんでした。

実際、「(主)君は一代、御家は末代」意識の実践とも受け取れる
「主君押込」という、主君に対する家臣側の反逆行動が採られたケースも
あるのです。
何ですか?いったいその「主君押込」(しゅくんおしこめ)ってのは?

~鎌倉時代以降、主に武家社会で見られた「クーデター」の類型である~
このように説明されていますが、実際のところイマイチ良くわかりません。
第一その「クーデター」ってのは、「革命」とどう違うのさ?

話がこのように複雑な道に入っていくことは筆者の好むところではありません。
その理由は単純で、当面の課題に捉われると、つい先ほどの課題を忘れ、
その逆もありですから、結局お話全体がシュールなものになってしまう
からに他なりません。
さて、その複雑難解な部分はこう説明されていました。

~既存の支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって政権を奪うこと~
さらには、ご丁寧に、
~支配階級内部での権力移動であり、体制そのものの変異を目的とする
 革命とは区別される~


要するに「主君押込」とは、厳密な意味での武力行使かどうかはともかく
として、たとえばその首謀者がそのまま藩主になるというような、
いわゆる「体制の変異」を目的とした行動・行為ではないので、ここは
「革命」ではあり得ず、「クーデター」に当たるとしているわけです。
その上で、さらなる説明が続きます。

~手順はおおむね決まっていた。 藩主の行跡が悪い場合、家老らに
 よって行いを改めるよう、諫言が行われる~

しかし、出来が悪い主君は、こうした耳の痛い言葉を嫌います。
~このような諫言は、場合によっては藩主の怒りを買い、手討ちに
 されかねない危険な行為であったが、家臣としての義務であった~


なるほど、「(主)君は一代、御家は末代」の意識からすれば、
当然の義務(権利?)ということになります。 ところが、
~諫言が何度か行われ、それでも藩主の行いが改まらない場合、家老ら
 重臣が集まって協議が行われる~

こうした運びとなり、それでも埒が空きそうにない場合に至って初めて、
~主君押込もやむを得ずとの結論に至り実行される~

そこで興味が湧いてくるのは、その具体的な行動です。
~腕の立つ者を側に控えさせておき、家老一同が藩主の前に並び、
 「お身持ちよろしからず、暫くお慎みあるべし」と藩主に告げ~

さらには、
~家臣が藩主を座敷牢のような所へ強制的に監禁してしまう~
あっちゃー、殿様から一気に罪人扱いです。

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伊達綱宗/上杉鷹山

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藩主監禁の決行はともかく、ではその後の藩体制はどうなるの?
~藩主は数ヶ月にわたり監禁され、その間に家老ら重臣と面談を繰り返す~
この面談は、藩主の「意識調査」を目的としたものでしょう。
~家老ら重臣により、藩主が十分に改心して今後の行いも改まるであろう
 と判断された場合、藩主は「誓約書」を書いて元の地位に復帰する~


しかし、それは無条件というわけではなかったようで、
~「誓約書」には、行いを改めること、善政を施すこと、押込を行った
 家臣らに報復を行わないこと等が明記される~


しかし、この方法が必ず成果を上げるときまったものでもないようで、
~監禁の後も藩主に改悛の情が見えず、あるいは偽りの様子としか受け
 取れない場合や、再び悪行や暴政を行う可能性が高いと判断された場合~
 
ここに至るとこうなります。
~藩主は強制的に隠居させられ、藩主隠居の旨を幕府に届け出て、嫡子や
 兄弟などの妥当な人物が藩主となる~


こうした「主君押込」の実例として有名なのは、陸奥仙台藩第3代藩主・
伊達綱宗(1640-1711年)のケースかもしれません。
もっとも、どこまで公平な見方がされているのか、そこはいささか曖昧
ではあるものの、一応はこんな風に伝わっています。

~綱宗は若年で家督を継いだが、酒色に溺れて藩政を顧みない暗愚な藩主~
とされていたようですが、それだけに留まらず、さらには叔父
(一関藩主・伊達宗勝)の政治干渉、そして家臣団の対立などの様々な
要因が重なって、
~藩主として不適格と見なされて幕命(1660年)により、不作法の儀に
 より21歳で隠居させられた~


そして、~伊達綱宗の押込は、幕府の承認と監督のもとで行われた~
されていますから、なにやらその辺は、藩に対する幕府の「内政干渉」の
ようにも感じられるところです。 しかし、
~一方で幕府の内諾を得ない押込が発覚した際は処分されることもあった~
こうなると、主君押込という行動自体が、幕府の「ヒモツキ」が普通で、
藩独自の行動とは言えない印象になってきます。

しかし、この「主君押込」は、暗愚な殿様だけに起こり得るというほどに
単純なものでもありませんでした。
暗愚どころか、逆に後世「名君」との評価を得ている殿様の中にも、実は
そうした危険に遭遇した方々もいるのです。

たとえば、ほぼほぼ破綻していた藩財政の立て直しに真正面から取り組んだ
出羽国米沢藩第3代藩主・上杉鷹山(1751-1822年)すら、この「主君押込」
を受ける寸前まで追い込まれたことがあります。
鷹山と言えば、「江戸時代屈指の名君」として知られている人物で、
念のためですが決して「迷君」なぞではありません。

鷹山の場合は、こうした経緯を辿った一例と言えそうです。
~改革をなそうとする藩主が、既得権を維持せんとする重臣から「悪政」
 を咎められ、押込められる例も少なくなかった~

改革というものは、これは必ずと断じても差し支えなさそうですが、
それまで既得権を得ていた者から抵抗が出るものです。
そもそも、そうした既得権を一掃しようとするのが「改革」ですから、
こうした姿は決して不思議なことでもありません。

鷹山の場合は、土壇場の逆襲によって「主君押込」を何とか免れたものの、
この企みがうっかり成功していようものなら、現代の鷹山評が「暗愚な殿様」
になっていた可能性もあるのです。

逆にいえば、「主君押込」の目に遭った者の全員が暗愚であったとは
言えないわけで、そこには本来なら名君とされるべき人物が混じっている
可能性もあるのかもしれません。
ひょっとしたら、上の伊達綱宗だってその一人なのかも?

ちなみに「主君押込」は(おしこめ)と読みますが、「押込強盗」の
場合は(おしこみ)となります。
「押し込める」ことと「押し込む」ことの違いですが、もう一つこちらも
言葉は似てはいるものの、その意味はまったく違っている例があります。

「手が込む」→ 手間がかかっている。物事が複雑である。
 「手込め」→ 女性を暴力で犯すこと。強姦。
いやぁ、日本語って微妙に難しいですねぇ。



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