日本史の「列伝」11 御幼帝御用達?の歴史本

人によっては、その字面はちょくちょく目にするものの、その時代や内容に なると、とんと承知しない事柄も、ままあるようです。 実はそうした状況が筆者自身にもあって、その一つに「神皇正統記」を 挙げることができそうなのです。 これまでにも何回かはその字面には対面はしたことがあります。 しかし、いまだに正しい読み方すら承知していな…
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日本史の「タブー」11 怨霊封じ渾身プロジェクト

~「藤原」姓は天智天皇から亡くなるその前日の中臣鎌足に贈られた~ 通説ではそうされているものの、前後の経緯からしても、おそらくは鎌足に ではなく、その息子である不比等(659-720年)に下賜されたものでしょう。 不比等自身に、現在の権勢は姓を下賜された父親・鎌足による「親の七光り」 によるものとする態度を貫くことで、この頃の突…
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日本史の「例外」02 天皇家好きの将軍家親戚

~朝方(午前9時頃)、藩士15名を含めた総勢60名ほどの護衛を従え、   彦根藩邸を出た大老・井伊直弼(1815-1860年)は、江戸城の入口・   桜田門の前で暴漢集団に襲われ絶命(即死)に至った~ これが今から160年ほど前に起きた「桜田門外の変」(1860年)です。 その彦根藩邸から職場・江戸城の入口まで実は僅か五・六…
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日本史の「災難」12 アウェイ幕府は曇り空

それまでにはなかった新しい階層「武士」の登場。 その経緯を探ってみると、たいていはこのくらいの説明になっています。 ~王朝国家体制の確立によって、朝廷は地方統治を事実上放棄した。   その上、桓武天皇が軍団を廃止した結果として、地方は治安が悪化し   無政府状態に陥り、16世紀まで日本列島は戦乱が頻発するようになった。   国…
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日本史の「事始め」18 だから不比等はミステリー

~「藤原」姓は、中大兄皇子(後の第38第・天智天皇/626-672年)に協力し、   後の国家改造を導くことになった中臣鎌足(614-669年)に下賜された~  通説ではこのように「藤原氏」の始祖は鎌足と説明されることが多いのですが、 しかし、その鎌足の子である「藤原不比等」(659-720年)と事実上の家祖と 見る向きもありま…
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日本史の「謎解き」29 豊前豊後はトヨのくに

昔々の大昔、戦国の織田信長も源平の源義経も、それどころか飛鳥の 聖徳太子すらもまだ生まれていなかった三世紀頃、九州の一角に 「豊国(とよのくに)」と呼ばれる地域がありました。 九州の東北部に位置し、現在の地名なら福岡県東部および大分県全域に 相当する地域です。 おそらくは、地形的に安定した収穫を得られる豊かな地であったこと…
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