日本史の「忘れ物」27 慧眼!アントニーの法則

~英雄(偉人)の死するや 生前の善行は墓に葬られ、 
  悪事のみ千載の後まで語り継がれる~

イングランドの劇作家ウィリアム・シェークスピア(1564-1616年)の作品
「ジュリアス・シーザー」(1599年)の中で、マルクス・アントニウス(マーク・
アントニー)が吐くセリフです。 ちなみに原文では、
~The evil that men do lives after them, The good is oft interred with
  their bones.~
となるそうです。 (※oht → ohtenの古語)

余談ですが、戦国の三英傑夫々の生涯は○織田信長(1534-1582年)/
○豊臣秀吉(1537-1598年)/○徳川家康(1543-1616年)となっていますから
シェークスピアは彼ら三英傑よりは20~30歳ほど若く、亡くなったのは
奇しくも家康と同じ年のことになります。

それはさておき、このセリフをもう少し日常的な言葉に直すと、要するに、
~何事にせよ「善行」というものはさっさと忘れ去られちゃうものであり、
  逆に「悪事」の方は当人の死んだ後もしつこく語られ続けるものである~

こうした傾向?原理?を「逆説の日本史」の著者・井沢元彦氏は、勝手に
「アントニーの(歴史)法則」と命名したそうです。
その法則の実例をいくつか織り交ぜながらの日本史のお話、題して、
~井沢元彦の歴史を見る「極意」(コツ)~に接する機会を得ました。

その全貌にまではとても触れることができませんが、井沢氏が勝手に命名
したというその「アントニーの(歴史)法則」の実例として、たとえば、こんな
歴史出来事が取り上げられました。
「比叡山焼き討ち」(1571年) 織田信長VS比叡山・延暦寺の全面戦争。
「慶安の変」(1651年) 由比正雪らによる幕府に対する謀反計画。
「生類憐みの令」(1680年代-1709年)将軍・徳川綱吉による動物愛護法?
まだまだ他にもありましたが、ここではこれだけに留めます。
な~に、ケチな筆者のやることですから、あまり気にしないでください。

上の歴史事件については多種多様な見解があることは当然ですが、さて
では、比較的多くの方が抱く平均的なイメージなら、どうなるのか?
おそらくはこのくらいの印象になるのでしょう。

「比叡山焼き討ち」 無辜な者達を大虐殺した残虐非道な織田信長
「慶安の変」 幕府転覆を企てた由比正雪らは反体制極悪人集団。
「生類憐みの令」 庶民に大変な苦労を強いた犬バカ将軍・徳川綱吉

改めて確認するまでもありませんが、信長も正雪らも綱吉も、すべてが
大マイナスの評価になっています。 
確かに現在でも、こうした目線で描かれるドラマも少なくありません。
ところがギッチョン!なのですねぇ。
井沢氏に言わせれば、これらの全部が「アントニーの(歴史)法則」、つまり
「善行忘却・悪事永久」?あるいは「善行は一代、悪事は末代までも」と
いうべきか、その実例そのものに他ならないとのことです。

どういうことなの? いったい何を言っているの?
その前後の社会状況を見比べると、「時代の常識」が大変化していることに、
それこそ一目瞭然で気が付きます。 なにっ気が付かないってか?
気が付いてくださいよ、そうでないとお話が進みません。

たとえば、信長の「比叡山焼き討ち」に場合なら、ガチガチの武装を備える
ことで、ほぼほぼ治外法権もどきの特権を当たり前としていた宗教勢力が、
事件後には非武装の平和団体に生まれ変わっています。

もっとも、これは信長一代ではさすがに時間不足だったようで、その後の
秀吉や家康が同様の路線を引き継ぎ継続させたことで、やっとのこと成し
遂げられたものですが。
つまり、「宗教の非武装化」という善行はすっかり忘れ去られ、その経緯の
中で起こった「虐殺」という悪行の方だけは、今なおひつこく語り継がれて
いるわけです。

もっとも、この「宗教の非武装化」という歴史結果に辿り着くために、井沢氏は
「天文法華の乱」(1536年) 延暦寺側が日蓮宗の21か寺を襲撃破却。
「サン・バルテルミの虐殺」(1572年) キリスト教新教徒(ユグノー)が
  フランスで旧教徒により虐殺(2千人?~10万人?)された事件。
など、さらなる補足説明も加えましたが、ケチな筆者はこれを割愛します。

画像 マーク・アントニー02










    由比正雪/ 映画「ジュリアス・シーザー」(1953年)の
   「慶安の乱」      マーク・アントニー(演:マーロン・ブランド)

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お話を、由比正雪(1605-1651年)らが決起(未遂)した「慶安の変」に戻します。
~何かと落ち度を探し出してはやたらに諸藩を改易に追い込む幕府政策は、
  大量の浪人(失業軍人)を生み出すばかりで、もはや限界にきている
  のだから、世情安定のためにも早々に救済施策を実施すべきである~


正雪のこうした考えは御政道批判にモロに該当しています。
ですから、幕府からすれば、実はこれだけでも大悪行ということになります。
その上に、腰の重い幕府に対しての武装決起を企てたのですから、そうした
正雪らをm幕府が言語道断の極悪人と断定するのも当然です。

しかし、さすがに頭を下げることはなかったものの、浪人(失業浪人)の
歯止めのきかない増加が世情不安・社会問題を引き起こしていることに
気が付いた幕府は、結果として、それまでの「諸藩たちまち改易」政策?を
見直して、実質的な方向転換を見せました。
浪人をこれ以上に増加させないために、その原因になっている「諸藩改易」
をなるべく行わないようにシステムを切り替えたということです。

つまりここでも、由比正雪の「無策幕府に諫言」という善行の方はすっかり
忘れられちゃっているのに、「謀反決起(未遂)」という悪行の方は現代に
おいても、しぶとく語られ続けているのですから、これも「アントニーの法則」の
慧眼ぶりを証明していると言えそうです。

さらにその後の江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉(1646-1709年)に至っては、
さらに極端なケースと言えるかもしれません。
まあ大抵は「お犬様」大事の「生類憐みの令」(1680年代-1709年)なる
悪法を布いて、人間庶民をメッチャ苦しめたという「犬公方(犬バカ将軍)」
のイメージが真っ先に浮かぶものです。
事実、現在でもドラマなどでは、この方向の描き方が繰り返されていますが、
こちらも「令」の前と後の時代を見比べてみると、実は世の中が激変している
のです。

時代の空気・常識というものはおいそれと変わるものでもなく、綱吉の時代には
まだ「戦国の遺風」と言えそうな、ちょい前の「敵を殺すことが手柄」だった
人命軽視の雰囲気が色濃く残っていました。
その分かりやすい例が、この時代の御意見番?もどきの立場にあった水戸
黄門(徳川光圀/1628-1701年)の若い頃、つまりまだまだ「戦国の遺風」が
色濃く残っていた頃ということですが、実は見ず知らずの何の関わりもない
人間(浮浪者)を斬り殺した経験を持っています。

それもダチに誘われた「浮浪者殺し」で、これには光圀もさすがに気が
進まず、一旦は断りますが、そのダチから「腰抜け」呼ばわりされたために、
気を取り直して?改めて斬殺に及んだものでした。
確かに、戦の折に敵を前にして怯んでいては腰抜けかもしれませんが、
罪のない無防備な浮浪者に対して持ち出す基準ではありません。
ところが、後の黄門様とあろう者までもが、「腰抜け」呼ばわり一つで
人殺しを実行したのですから、そうした「時代の殺伐とした空気」は確実に
残っていたことになります。

さて、世間庶民に対してメッチャ苦労を強いたとされ、悪評紛々のその
「生類憐みの令」をちょいと眺めてみると、実はこんなことを訴えているのです。
~捨て子や病人など(のいわゆる弱者)は言うに及ばず、動物なら
  犬・猫・鳥類・魚類・貝類・昆虫類に至るまで、およそ命あるものに対しては
  すべからく慈悲の心で接しなさいよ~


戦時から平時への「意識改革」を訴えているわけです。
~ちょい前の戦時の心構えは現在のような平時においては、すっかり古く
  なって無益どころか却って有害だから、もういい加減に捨て去りなさい~

確かに動物保護にも触れていますが、弱者の境遇にある人間に対する
福祉にまで言及している事実については、割合軽視あるいは無視されて
いるのです。

これも、「生類憐みの令」がもたらした人間の「意識改革」という善事は見事に
忘れ去られて、庶民が迷惑を被ったというマイナス面だけが語り継がれて
いるわけですから、やはり「アントニーの(歴史)法則」は正鵠を射ていると
言えそうです。

今回のお話は、~井沢元彦の歴史を見る「極意」(コツ)~と題した内容
でしたが、実は同様な趣旨に触れた本も発刊されています。
キャッチコピー?は~逆説シリーズ著者が「日本史の極意」を公開~
小学館新書「日本史真髄」著・井沢元彦 (定価 本体価格840円+税) 
ケチな筆者ではあるものの、今回のお話が有益かつ楽しいものでしたので、
そのお礼代わりにちょっとご紹介。



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