日本史の「信仰」14 民族癖が選んだ?維新三傑

たまたまのこと、目の中に「維新の三傑」という言葉が入ってきたので、
ことのついでに少し読み進めてみると、そこには以下の三人の名が
挙げられていました。
木戸  孝允(1833-1877年) 長州藩士/  病死・享年45歳
西郷  隆盛(1828-1877年) 薩摩藩士/  自刃・享年51歳
大久保利通(1830-1878年) 薩摩藩士/暗殺死・享年49歳

日本の歴史の中でも、大変革期に違いない「明治維新」の時期には
実に数多くの人間が、とんでもなく複雑な活動を見せました。
そうした中でもとりわけ大きな功績を認められる「ビッグスリー」、つまり
「維新の三傑」ともなると、ひょいと疑問も浮かんでくるわけです。
~この「維新の三傑」って、何を基準一体誰が選んだの?~

お話は飛びますが、筆者の生息地・愛知県には、実はこの「維新の三傑」に
似た「郷土の三英傑」という言葉があって、毎年の「名古屋まつり」では、
戦国の世に生きた以下の三人を主役に据えた「郷土英傑行列」なる、結構
大掛かりなパレード(英傑行列)が人気を博しているのです。
織田信長(1534-1582年)尾張国出身/独裁政治で乱世終焉にメドを
豊臣秀吉(1537-1598年)尾張国出身/天下人として独占権力を保持
徳川家康(1543-1616年)三河国出身/自前政権・江戸幕府を創立

素直な気持ちで、この「郷土の三英傑」の顔ぶれを眺めてみると、
なんとはなしに、その選抜基準めいたものがイメージできます。
○尾張国・三河国(現在の愛知県)の出身者。
○それぞれが、天下掌握を果たし、実質的な天下人として一時代を築いた。
これらが共通点になっていますから、この三人に「時代のビッグ3」なる
言葉を冠しても、まあ割合に納得しやすい面はあります。
ところが、もう一方の「維新の三傑」メンバーに目を向けると、必ずしも
そうも言えない気分になるのです。

三人が三人とも、天下取りどころか、それよりはむしろ道半ばにして倒れた
方々という印象の方が強いのです。
事実、年齢も満で数えれば、御三方共が50歳に到達前の若さで亡くなって
いますから、「人生100年時代」という構想が話題になっている21世紀日本に
比べたら、その半分にも満たない寿命でした。
ということは、つまり、こんな言い方もできるわけです。
~己の仕事を十分に果たせないうちに死んでしまったのに、それでも
  「維新の三傑」という最高ランクの評価を下している~


そこで、もう少し進んでみると、御三方の亡くなり方はそれぞれ異なるものの、
その時期に注目すれば、最初の木戸の死から最後の大久保の死までは
わずか一年に満たない非常に短い間の出来事であることに気が付きます。
三人が申し合わせたように、ほとんど同じ時期に亡くなったということです。
木戸(1877・05・26)/西郷(1877・09・24)/大久保(1878・05・14)
そうした意味からすれば、むしろ「残念無念組の御三方」と言った方が
適切にも思えてきます。

そして、この御三方を「三傑」とする評価は、実は意外に早い時期に登場
しているのです。
三人の死後間もない1878年11月のこと、すでに木戸・西郷・大久保の伝記を
まとめた「皇国三傑伝」(岩村吉太郎編)が刊行されています。
最後の大久保の死からわずか半年後のことです。

選考基準について言えば、おそらくは倒幕・維新遂行への貢献度だったで
しょうから、負け組である幕府側の人物を選ばないのは当然かもしれません。

しかし「明治維新」いう歴史的に見ても稀有な大事業に対して、先の
「三人」が他の者とは比較にならないほど、飛び抜けて大きな役割を果たした
とするのは、歴史の流れからしても、いささか無理があり、そのためこの数年の
後には、顔ぶれをさらに追加して「維新の十傑」とした本も登場しました。
山脇之人「維新元勲十傑論」(1884年3月))がそれです。

西郷隆盛51 大久保利通01












西郷隆盛/大久保利通

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その中には、こんな文言があるようです。
~西郷隆盛君の如きは木戸、大久保の二君と相並びて一時は
  明治の三傑とも称せられ・・・~

さらに、もう少し後の内山正如編『維新元勲三傑詩文集』(1892年11月)には、
~蓋し(けだし)明治復古の鴻業偉蹟は首として三氏(木戸・西郷・大久保)の
  忠誠に出つ故に世称して明治維新の三傑と云ふ~

こんな記述もあるそうですから、「三傑」との評価は、その人選も妥当性を
含め、社会全般的に、この頃すでにほぼほぼの定着を見せていたのかも
しれません。

折角ですから、山脇氏が選んだその「十傑」にも触れておきます。
先の「三傑」に以下の七人が追加された体裁で、
  ○江藤新平(1834-74年)/初代・司法卿 佐賀の乱を主導 刑死41歳
  ○横井小楠(1809-69年)/幕政改革・公武合体を推進 暗殺死61歳
大村益次郎(1824-69年)/長州軍勝利の立役者 暗殺死45歳
  ○小松帯刀(1835-70年)/薩摩藩家老 病死36歳
  ○前原一誠(1834-76年)/長州藩士/萩の乱を主導 刑死43歳
  ○広沢真臣(1834-71年)/長州藩士/倒幕活動推進 暗殺死39歳。
  ○岩倉具視(1825-83年)/公家新政府外務卿など歴任 病死59歳

横井・岩倉を除けば、「十傑」の内なんと八人までが齢50を数える以前に
亡くなっていますし、その亡くなり方も寿命という生物学的な理由ではなく、
戦死・刑死・暗殺死など、人為的な理由が死因になっているケースが多い。
その点では、「人生100年時代」構想を高らかに謳う21世紀日本とは違って、
この時代の苛烈さが想像できようというものです。

それともう一つ。
こうした人選には、実は日本民族特有の性癖、というかある種のルール
みたいなものが働いているような気もするのです。
それをメッチャ乱暴に言い切ってしまうなら、己の願望や目標を成就できな
かった者に対する評価が、成就できた人間より大きくなりやすい傾向です。
もちろん、それは意識して行うのではなく、無意識のうちにそうなってしまう
わけですが。

源平時代に活躍した悲劇の武将・源義経(1159-1189年)に向けた感情と
同種のもので、言葉を換えれば「判官びいき」もどきの感性と言っていいの
かもしれません。 要するに、
~志半ばで倒れたとは、あまりにもお気の毒で、その点は盛大に顕彰する
  ことで充分に補填しますので、どうか恨みをこの世に残さないようにお願い
  しますね~


こうした感性は、日本民族が昔の昔から持ち続けている「怨霊信仰」そのもの
です。
ですから、文明開化・西欧化こそ正しい/信心信仰なぞは迷信に過ぎない/
こんなポリシーを掲げたはずの「新時代」でありながら、その「維新の三傑」
選抜する方法は、昔の昔から連綿と引き継がれてきた日本民族固有の
感性(怨霊信仰)をもって行っていたことになります。

しかも、「維新の三傑」がリストアップされた数年後には、
~(彼らを)世称して明治維新の三傑と云ふ~とされたほど定着していたの
ですから、当時の社会全体も、それを矛盾だと感じなかったのでしょう。
逆に言えば、「怨霊信仰」とは、日本民族にとって空気のようなもので、
その存在すら意識することのない、凄まじく強固な信仰なのかもしれません。

殊に「維新の三傑」の場合は、御三方の亡くなった時期が文字通り「相次いで」
だったことと、さらには「ごく普通」とは言えないそれぞれの「死にざま」が、
「怨霊信仰」をより強烈に喚起したものと思われます。

「三傑」の内、西郷隆盛について言えば、士族による武力反乱「西南戦争」
(1877年)を率いたわけですから、明治新政府からすれば、反政府軍を率いた
人物ということになり、この頃にもてはやされた西洋思想の合理性からしたら、
維新への貢献は減殺され、とても「三傑」に選抜されることは考えられません。

なにせ国家を敵に回すという暴挙?を指揮したということですから、
間違いなく重大犯罪であり、凶悪犯です。
それが「三傑」に加えられるのですから、結局そこには、民族固有の性癖?
「怨霊信仰」が働いていたと考えざるを得ないわけです。

ですから、当時の社会を席巻した感のある「文明開化」も、日本民族固有の
「怨霊信仰」には一敗地に塗(まみ)れたということになりそうですが、
念のために注意を喚起しておけば、この「一敗地に塗れる」とは、
「いっぱい血まみれになる」と似た語感になっていますが、その意味は
まるっきり違っていますので、使い分けには今後とも十分にご留意くださいね。



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