日本史の「ライバル」01 日本と西欧の同時ビックリ

武士政権が滅び、明治という新しい時代を迎えた日本には、西洋の文明が
怒涛の如く押し寄せるようになりました。
ただ当初こそ、そうした物に対して戸惑いだけでなく、相当な抵抗感・
違和感も覚えた日本人の側も、接触する機会が増えるに従い、次第に
慣れ親しむようになっていきました。

たとえば、髪型(ヘアスタイル)一つをとっても、こんな案配です。
当初は~髷(まげ)を結わない西洋風の髪型なんぞは、いかにも間が
      抜けていて、とても正気の沙汰とは思えんゾゥ~

だったものが、自分の身の周りにも次第に「髷無し頭」が増え始めると、
~散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする~

ちなみに「散切り頭」とは髷を切り落とした髪型のことで、これを「とっても
トレンディな姿」
であると前向きに捉え賞賛しているわけです。
「ちなみに」をもう一つ加えておくと、「文明開化」とは、この時代に入って
来た西洋文明によって、それまでの社会制度や風習が大きく変化した現象を
指しています。

なんでも、慶応義塾の創設者・福澤諭吉(1835-1901年)が文明社会/
文化生活/開化/教化などを意味する「civilization」の訳語として使ったのが
始まりとされていますが、もっと平たい言葉にするなら、
~人間の知識が開け、社会が進歩すること~ほどになるのでしょうか。

明治新政府は「後進世界であるアジアを脱し、欧州列強の一員となるゾ」
するスローガン、いわゆる「脱亜入欧」の旗振り役を熱心に進めました。
そのことが、国民全体にどれほどの影響を及ぼしたのかは定かではない
ものの、ともかく先の髪型(散髪/断髪)を初めとして、服装(洋服)、
食事(洋食)、さらには建築(洋館)など、多岐に渡る西洋文明の摂取・消化に
社会全体が努めるようになっていったのも事実です。

これらの他にも、たとえば鉄道の開業(1872年)など、まさに「高度な文明」
そのもののハイテク技術が当時の日本を席巻していきました。
すでにプロの小説家として一本立ちしていた仮名書垣魯文(1829-1894年)
なぞは著書の中で、こんな感想を漏らしているほどです。

~牛(肉)鍋を食わないとは、とんでもない時代遅れな奴だ~
自分がちょっとばかり牛鍋の味を知ったからといって、すぐにこれですから、
心底イヤミな感じで、筆者などはお付き合いしたいとは思いません。
うっかり現代に生まれていようものなら、このくらいのセリフになったのかも。
~スマホや仮想通貨を使わないとは、とんでもない時代遅れな奴だ~

それはともかく、「百聞は一見に如かず」という言葉もあるように、目に見える
「文明」は多くの人々に確かな影響を与えました。
たとえば、「黒船来航」(1853年)によって、当時の最先端技術の結晶である
「黒船」そのものを見た幕府役職者の中には、それまで己の政治信条として
いた攘夷思想を改め、開国路線に切り替えた者も出たほどでした。

初めて身近に見て触れた「黒船」に対し、こんな感想をもったのでしょう。
~鉄の塊で造った船で、大海を高速往来するなんて、とても信じられん!
  そんな技術を持った国を相手に攘夷(外国を追い出せ)を実行しようなんて、
  とてもじゃないが正気の沙汰ではないゾ、いやホントに~

もっとも、当時はまだ黒船を見たことがない人の方が圧倒的に多数派です
から、攘夷活動自体は、その後もしばらく続きましたが。

こうした環境にあって、世の中には西洋(文明)フィーバーもどきの熱気も
生まれ、さらには、「(我が国のものはスカタンだが)西洋のものは何でも
優れている」
という、いささか極端な見方・考え方すら登場したようです。
いうなれば、西洋文明に触れた日本人の多くは、こんな率直な感想を抱いた
ということでしょう。
~ゲッ! 日本の外にはこんな「とてつもない世界」があったのか!~

ゴッホタンギー01 モネジャポネーズ01












ゴッホ「タンギー爺さん」1887年 / モネ「ラ・ジャポネーズ」1876年
背景に日本の浮世絵6作品が       着物姿の金髪女性

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その西欧(オランダ)の画家フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(1853-1890年)
は、弟・テオと共に約500点もの「浮世絵」を収集しましたが、それだけでは
済まず、実はその模写にも熱心に取んでいます。
同様な反応を示した画家は、ゴッホ以外にも、たとえばエドガー・ドガ(1834-
1917年)とか、クロード・モネ(1840-1926年)など、少なからずいたようですが、
版画である「浮世絵」を、こちらは絵具を使って再現しようというのですから、
彼らの目的が「贋作」の製作にあったのではないのはもちろんで、模写に
挑むことで「浮世絵」が備えた芸術的深淵、そして自ら受けた衝撃の源泉を
探り出そうとしたわけです。
今風なら「企業秘密」を解明しようとする姿です。

実際、1887年のゴッホは3枚の「浮世絵の模写作品」を描き上げています。
渓斎英泉(1791-1848年)の「雲龍打掛の花魁」
歌川広重(1797-1858年)の「名所江戸百景/亀戸梅屋舗」
○        〃       「名所江戸百景/大はし あたけの夕立」

「浮世絵」に対するゴッホの思い入れは、こうした模写ばかりではありません
でした。
たとえば1887年の作品「タンギー爺さん」(あるアートショップのオーナー)と
題された肖像画には、背景になんと浮世絵6作品まで描き込んでいるのです。

これとは別に、また、
~ゴッホは当時の恋人とともに、収集した膨大な日本絵画のコレクションを
  カフェで販売してお金にしようとしたほど~

というお話も残されているほどですから、ゴッホの浮世絵へののめり込み方は
ハンパでなく、こんな思いすら抱いていたのかもしれません。
~ゲッ! 日本という国にはこんな「とてつもない世界」があったのか!~

ですから、いささか乱暴なくくり方ですが、こんな言い方もできそうです。
~日本が西欧の持つハイテク技術を吸収すべく「文明開化」に取り組んで
  いたのとちょうど同じ頃、西欧では日本の持つ芸術手法(絵画技法)を
  自家薬籠中の物とすべく「文化開化」?に取り組んでいた~


つまり、この時期の日本と西欧は、互いの存在に対して「同時ビックリ」を
味わっていたことになりそうです。 



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