日本史の「異国」02 武器商人?勲章を賜る

つい先週の地元新聞にこんな記事が掲載されました。
/さらば グラバー号/ 名古屋-長崎 夜行バス 今月終了
~片道904キロ・11時間40分 平成走り抜けた~

  (中日新聞 朝刊/2018年11月09日/金曜日)

さらに、その「グラバー号」については、
~幕末に長崎を拠点に活躍した英国の武器商人トーマス・グラバー
 (1838-1911年)の名にちなむ路線は、名鉄バス(名古屋市)と
 長崎自動車(長崎市)が共同運航する。
 両者が一台ずつバスを出し、長崎行き、名古屋行きを毎日一便ずつ
 走らせる。
 ともに午後七時台に出発、片道十一時間四十分かけて目的地に着く。~


長年にわたり名古屋を生息地としながら、筆者なぞは不覚にもこの記事に
接するまでこの高速バス「グラバー号」の存在を知りませんでした。 
そこで、反省の意を込めながら、もう少し追ってみると、
~格安空港会社(LCC)への乗客流出に加え、燃料費の高騰が引き金に。
  一九八九(平成元)年九月のデビュー時に「日本最長距離」だった路線の
  歴史が、改元前に幕を閉じる。~


有為転変?波乱万丈?諸行無常? どう表現したら適切なのか、よく
わかりませんが、う~ん、これも時代の流れの一つということでしょうか。
ということで、地元の夜行バスが一つの歴史を迎えることはよく分かり
ましたが、記事中、夜行バスの名称になっている「グラバー」氏についての
説明にはちょっと引っかかるところがありました。

こう表現されています。
~幕末に長崎を拠点に活躍した英国の武器商人トーマス・グラバー
確かにグラバー氏に「武器商人」の一面があったことは事実ですが、
本記事のようにそこだけを強調するとグラバー氏が武器以外の商品・物品を
扱っていなかったように感じられますし、またこの夜行バスもそうした
「武器商人」(グラバー氏)の名をわざわざ頂戴したことになってしまいます。

確かに短い文章でグラバー氏の肩書?経歴?の詳細な紹介は無理で
しょうから、それならばそれで、もう少し幅を広げた「貿易商人」くらいの
表現のほうが穏やかな気もしたわけです。
なぜなら、そう表現することで、後年(明治41/1908年)明治政府がこの
グラバー氏に対して勲章を授与したことも、また、夜行バスの名に採用
されたことも、割合素直に理解できるからです。

もっとも、「武器商人」どころか、もっと露骨に「死の商人」と呼ぶ人もいる
ようです。
1859年に上海へ渡り、そこで貿易商社の社員となった、当時二十歳ほどの
グラバー氏は、同じ年に今度は日本の開港後間もない長崎に腰を据え、
二年後には就職先の代理店として、仲間とともに貿易会社「グラバー商会」を
設立し、当初は生糸や茶の輸出を中心に扱っていたのですが、折も折、
ちょうどその時期に、いわゆる「八月十八日の政変」(1863年)が勃発しました。

薩摩・会津藩を中心とする公武合体派が、尊皇攘夷過激派である長州藩・
急進派公家を一挙に朝廷から追放した事件です。
この突然の「長州追放劇」は、政治状況を一気に緊迫させ、結局双方共が、
相手に備えるため大量の武器・弾薬を必要とするようになりました。

この機に敏速な動きを見せたのが、創業からわずか二年の「グラバー商会」
で、討幕派の藩であろうが、佐幕派の藩であろうが、はたまた幕府であろうが
その政治理念に差別を設けることなく、どなたも「大切なお客様」として
取り込むエネルギッシュな営業活動を展開したわけです。

ですから、後の日本人がこうした姿を眺めれば、
~商売になるからと言って、相手かまわず武器を売りまくる無節操さは
  言語道断であり、それを平気で行っているグラバー氏は、まさに
  「死の商人」と言わざるを得ない~
ということになるのでしょう。
ところが、もとから日本国内の政治的イデオロギーには無縁な民間の
一貿易会社ですから、ビジネス優先の行動は当然でもあるわけです。

グラバー若い01 キリンビール01







若き日のトーマス・グラバー/ロゴマークに隠し文字「キ/リ/ン」

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確かにいっときはウハウハに儲けたようです。
何しろ、あの土佐郷士・坂本龍馬(1836-1867年)率いる、貿易会社と
政治組織を兼ねたような団体・亀山社中(後の海援隊)とも取引があった
らしい上に、ともかく「どなたにも武器を売ります」が信条のビジネス・スタイル
ですから、そりゃあそうかもしれません。

しかし、そうした政治的・武力的混乱に一応の終止符が打たれ、明治新政府が
成立(1868年)すると、これまで右肩上がりだった会社業績にも陰りが
見え始めます。

これも当然のことで、政治が安定すれば武器・弾薬の需要が減る、つまり
会社業績も悪化するからです。
それともう一つ、武器・弾薬を売りまくったのはいいものの、売り先の藩自体
に財政に四苦八苦するところが少なくなく、売上代金の回収も滞りがちだった
ことも原因の一つに挙げられそうです。

そこで、「グラバー商会」は1970年(明治三年)、ついに倒産。
創業からわずか10年そこそこで迎えた悲劇?でした。
こうなると、「死の商人」であり「経営者失格」の人物に、明治政府がわざわざ
栄誉ある勲章を授けた印象にもなるので、実際お話がよく見えません。
そこで、その受賞理由をもう少し根気よく探らねばなりません。

実はグラバー氏は倒産に至るまでに日本国内で多彩な活動も展開して
いたのです。 たとえば、
○1865年/大浦海岸(長崎県)において蒸気機関車を走らせた。
○1866年/製茶工場を建設(これも長崎県?)。
○1868年/肥前藩と契約し高島炭鉱(長崎県)開発に着手。
○1868年/小菅(長崎県)に船工場を建設(現:ソロバンドックとの愛称)。
○1868年/五代友厚の要請で成政府造幣局の造幣機械を調達。


いやあ、産声を上げたばかりの新生日本に対するグラバー氏の貢献は、
ちょっくらチョイのものではなかったことがよくわかります。
こうなると、外国人として破格と言われる「勲二等旭日重光章」
(上位から三番目くらい?)の授与も当然なのかもしれません。

このように、グラバー氏が当時の日本国の進歩発展に大きく寄与して
くれたことは確かですが、実を言えば、現代日本人の生活にも大きな
影響を与え続けているとも言えるのです。

三菱財閥の相談役に収まっていた時期のグラバー氏は、経営危機に
陥っていたスプリング・バレー・ブルワリーの再建参画を、三菱創始者である
岩崎弥太郎(1835-1885年)に勧めました。
このことが、日本初のブルワリー(ビール醸造所)設立のきっかけとなり、
それがさらに、後の「麒麟麦酒」(キリンビール)の誕生に繋がっていったと
されているのですから、グラバー氏が、ビール好きのアナタに無縁のはずが
ありません。

ちなみに、キリンビール(下のイラスト)の、おなじみのこのマークの誕生にも
グラバー氏の関与があったとみる向きもあるようですが、そこのところの
実際はよく分かっていません。
この「キリンビール」ブランドが誕生したのは1888年。
当時、西洋ビールは動物の絵柄をラベルにしたものが多かったこともあって、
翌1889年にはロゴマークに、古代中国神話に現れる伝説上の霊獣「麒麟」を
用いたとされ、それが現在まで130年近くに渡り使い続けられているわけです。

いまや、このロゴマークを知らない日本人は「モグリ」(但:子供は除く)と断言
できるほどの浸透を見せていますが、夜行バスから始まった今回のお話も、
ここで一旦脱輪?して、唐突にビールから身のクイズに移行します。 ゴメン!

「日本人でありながら知らないなんて!」と呆れられそうなクイズですが、
筆者の周りには正解を知らない人も少なからず存在していましたので、
今回改めて「出題」してみましょう。
出題>キリンのロゴマーク(麒麟のイラスト)に「キ/リ/ン」のカタカナ
     三文字が隠されていますが、ではいったいどの部分に?

解答>いずれも文字も、毛が渦を巻いている部分にあり、
     「キ」の字は、→ 頭のたてがみの部分、目の右上方に。
     「リ」の字は、→ それよりさらに右側へ進んだ部分に。 そして、
     「ン」の字は、→ 尻尾の毛の渦を巻いた部分に隠れています。

五分もの時間を費やしながら、とうとう見つけられなかったオジサンの言い分。
~「キ/リ/ン」がなんじゃい! オレは根っからの「アサヒビール」党じゃい~




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