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zoom RSS 日本史の「異国」01 鎖国明け奥地の細道

<<   作成日時 : 2018/10/10 00:01   >>

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明治の元号になってから11年後(1878年)のこと、極東の小国・日本に関心を
抱き、その地を見聞したイギリス人女性がいました。

ただこう書くと、その女性の関心は日本だけに向けられていたような印象にも
なりますが、決してそうではありませんでした。
イザベル・バード(1831-1904年)というそのイギリス人女性の「関心」は
それこそ世界に向けられていたのです。
どうやら病弱のため北米まで転地療養した幼少期の経験が、そうした
「関心」のきっかけになったようで、長じては旅に憧れるようになったばかり
でなく、さらには「旅行家」として、実際に世界中を旅するようにもなって
いたのです。

二十代の頃にはすでに「サンドイッチ諸島での六ヶ月」や、「ロッキー山脈に
おけるある婦人の生活」など、そうした旅行における自らの見聞記も
著わしていましたから、既に「女性旅行家」として認知されていたことに
なります。
※サンドイッチ諸島→「ハワイ諸島」の旧称
※ロッキー山脈→北米大陸西部を南北に平行して連なる数列の山脈群。

日本国の明治新政府絡みの仕事に従事する、いわゆる「お雇い外国人」の
一人が、話した日本滞在の経験談を、彼女も数回にわたり聞く機会を
得ました。
なにせ、当時最先端の「女性旅行家」ですから、話に聞いたその「日本」に
大いなる興味を持つのは当然です。
ただ、彼女は「日本行き」の実行には逡巡しました。
他の「世界」とは、ちょっとばかり勝手が違う印象があったからです。

場所にしてからが、感覚的には世界の果て「極東」に位置する小島であり、
そして、これまでの長い期間、世界との交際を絶った「孤立(鎖国)体制」を
貫き続けてきた、それこそ「文化果つる地」なのですから無理もありません。
しかも、従来の鎖国を止めて、「外国」という存在を認める新政府が成立して
たかだか十年そこそこなのです。

しかし、この「女性探検家」に日本情報をもたらした「お雇い外国人」は、
彼女に対して熱心なアドバイスを送るだけでなく、その実行に踏み出せる
よう何かと便宜も計らいました。
若い女性旅行家にとって、「古い上着にサヨナラ」したばかりの極東・日本は、
最高のモチーフになると捉えていたのかもしれません。
そして1878年(明治11年)、もう数年で五十歳に届こうかという年齢の彼女は
遂に日本を訪れたのです。

日本に到着するや、新しい首都になった東京を起点として、すぐさま
日光方面へ向かい、新潟を通り、さらには日本海側から北海道に至る
北日本を旅行しています。 6月から9月にかけての旅程でした。
(この後10月から、神戸・京都・伊勢・大阪を訪ねている)

旅行家という立場の旅行ですから、「行って眺めてそれでチョン」という
ワケにもいかず、そこには日本人通訳が同伴しました。
見聞した情報を十分に把握するためには、当然のこととして言葉の壁を
取り払う必要があったからです。

イザベラ自身は、2年後に「旅行記」として出版することで、この旅行を総括
していますが、この仕事には彼女なりの手応えを感じていたようです。
なぜ、それが分かるかと言えば、その著書の「はしがき」部分にこんな言葉を
並べているからです。

〜(私の)全行程を踏破したヨーロッパ人はこれまでに一人もいなかった〜
  →ヨーロッパ人による、この地の旅行は何を隠そう「世界初」のことですよ!
〜西洋人のよく出かけるところは日光を例外として詳しくは述べなかった〜
  →本書の内容は、従来の薄っぺらな観光記事とはひと味違いますよ!〜

イザベル・バード01 イザベラ本奥地01













イザベラ・バード/「日本奥地紀行」

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その著書のタイトルは「日本奥地紀行」
新潟から北海道へ至る日本海側を「奥地」と呼んでいるわけですが、
道路網・鉄道網が整備された現代からすれば、その地の呼び方としては
いささか奇異な感じもないではありません。
しかし、今から140年も前の「明治維新」(1867年)直後の現地を、
産業・経済が格段に発展したヨーロッパに身を置く女性の目から眺めれば、
確かに「奥地」という印象がしたのかもしれません。

しかし、実のところは、彼女の印象は「奥地」なんて生易しいレベルでは
ありませんでした。
オリジナルのタイトルが「Unbeaten Tracks in Japan」・・・これを素直に直訳
すると「日本における人跡未踏の道」となるそうです。
「人跡未踏」ですよ、「人跡未踏」・・・
えぇですか、〜人が未だ足を踏み入れたことがない〜って意味ですよ。

これでは、「現にそこに住んでいた人たち」は幽霊?ってことになって
さすがに拙い。
そこで、日本語タイトルに、それより少しおとなし目の「奥地」という表現を
敢えて採用したのでしょうが、、そこには日本人の同胞に寄せる同情心・
遠慮が大いに働いていたことでしょう。

この本には、当時の日本人に対するバード女史の率直な印象も披歴されて
います。
〜日本人は、西洋の服装をするととても小さく見えるし、実際どの服を
  着ても合わない〜

ご丁寧なことに、続けてその理由にも触れています。
〜(洋装は)日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた(ガニ股)足と
  いう国民的欠陥をいっそうひどくさせるだけである〜


この他にも、日本人の身体的特徴としては、こんなことも並べられています。
〜黄色い皮膚/馬のような固い髪/弱々しい瞼/細長い眼/尻下がりの
  眉毛/平べったい鼻/蒙古系の頬が出た顔形・・・〜

日本人としては、あまり愉快な気持ちになれないことを、よくもまあ、
こんなにたくさんに並べ立ててくれたものですが、ここでムカッ腹を立てる
よりは、「鋭い観察力」と評価すべきが、やはりオトナの態度というもの
でしょう。

こうした自身の観察結果?については、バード女史自身は(日本人の)
「国民的欠陥」というメッチャおどろおどろしい表現を用いていますが、
体格にせよ、胸部にせよ、はたまたガニ股にせよ、そんなもんは、あくまで
ヨーロッパ人種固有の価値観にすぎず、「それらを国民みんながこぞって
有している」日本人自身からすれば、欠点でもなんでもなく、単に
「国民の最大公約数的な共通点」ということに過ぎません。

ですから、バード女史が言う「国民的欠陥」とは、おそらく日本人的には
「国民的共通点」と表現すべきが正しいのでしょう。
ちなみに、これらは21世紀の日本民族も間違いなく引き継いでいます。
えぇ、確固たる証拠があって言っています。 
まさに21世紀日本人であるアナタの身体的特徴こそが、モロに
「貧弱・短躯/短足・ガニ股」であることが動かぬ証拠です。

さて、日本に対するバード女史のこうした感想は、ヨーロッパ女性に
ありがちな「上から目線」のものだけかと思いきや、実は日本人の持った
本質に対して感嘆の意を表しているところもあるのです。
〜外国の服装をした女性の一人旅は、わがイギリスを含めヨーロッパの
  多くの国々では、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすり取られる
  とられることもあるが、ここ(日本)では私(イザベラ・バード)は、一度として
  失礼な目にあったこともなければ、過当な料金を取られた例もないし、
  また群集にとり囲まれた際にも、失礼なことをされることはなかった〜


治安の良さにはぞっこん感心していますし、またこんな現地報告もしています。
〜ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していたことが判明した
  ので、もう暗くなっていたが、馬子がそれを探しに一里も戻った。
  (私は彼に)その骨折賃として幾らかを与えようとしたのだが、
  「旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だ」と言って、彼はどうしても
  お金を受け取らなかった〜


人間としての、あるいは自分の仕事・任務・モラルというものに対して、
ある意味高邁な美学を持っていたことを感じさせるお話ですが、この辺りの
意識は、なにやら21世紀の現代日本人にも当たり前のこと・常識として、
確実に受け継がれているように思えます。

例えば、被災地において、当面の生活物資を入手するために、整然と
「行列」を作る姿もそうした「人間としてのモラル」の一つのようですが、
こうした折には「略奪」行為がなかば常識となっている外国人の目から
すれば、この姿が「異常/奇異」?に映ることもままあるようです。

もしそうなら、これもまた逆の意味で〜日本の常識は世界の非常識〜
いうことになり、ひょっとしたら、この時のバード女史も、馬子が何気に
発揮したその「日本人の非常識」?ぶりに、ちょっくらビックリこいてしまった
のかもしれません。



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