個人的な感想ですが、個人個人の心こころに自由な形で抱かれているうちは、 信仰・信心と表現をされるものが、一定の広がりを持った集団的な行為に なると、これが「宗教」と呼ばれる印象がしています。 実は個人個人の信心に理論理屈は必要ありません。 その心のままで何らの制約もないからです。 ところが、大勢の集団による信仰・信心(宗教)ともなれば、そこにはやはり 皆を納得させるだけの説明(理論・理屈)が必要になってきます。 そうした「理論づけ」は、実はそうそう簡単な作業ではありません。 元々は個人個人の素朴な感情から始まっているものであり、そこには、 数多の考え方・受け止め方が混在しているからです、 そして、そう難儀を乗り越えた「理論づけ」の成果?を、一般的には「教義」 くらいに呼んでいます。 およそ宗教である以上、どの宗旨宗派の「教義」にも、少なからず不合理な 説明・解釈が含まれることになります。 その宗教が誕生した頃の人々の感性を、めったやたらと「科学慣れ」して しまった現代人が持つ常識の上に立って探究するのですから、「不合理」が 生じることは、決して「不合理」なことではありません。 ですから、何かにつけ不合理と感じられる「教義」も、少なからず、という よりはメッチャ豊富に見つけ出すことができます。 たとえばキリスト教における「三位一体説」なども、その例かもしれません。 質問〜聖書読んでいると、父なる神/神の子/精霊という言葉が繰り返し 登場しますが、いったいどなたがホンマモンの神なんですか?〜 質問者に悪意はないにせよ、その道の専門家にすれば、実はちょっと厄介な 質問で、多くの場合はこう答えるようになっているようです。 回答〜実は、これらはどれもキリスト教の神のことを指しているのです〜 これが、父なる神/神の子/精霊は3ツの存在ではなく、その正体?は 同じで「神そのもの」とする、いわゆる「三位一体説」です。 何かしら狐につままれたような、分かったようでわからない説明ですから、 当然のように追い打ちの質問も出ることになります。 質問〜わざわざ別の言葉を使い分けているのに、その正体はたった ひとつだなんて、そんな説明ってとってもヘンじゃありませんか?〜 回答〜ここは、つべこべ屁理屈をこねずに、ちゃんと聖書をお読みなさい。 そこには“われわれの神、主は唯一の主である”と書いてあるはず です。 よってもって神は一つ、“オンリーワン”の存在であり、 三位は一体ということになるのですなぁ・・・これが〜 熱心な信者はともかくとして、さほど熱心でない者や、はたまたキリスト教に 無縁な立場の人にとっては、「トンデモ説」と言いたくなるくらいにブッ飛んだ 説明になっています。 話の展開がかなり苦しい印象で、遠慮なく言うなら、むしろ一種の詭弁を イメージしてしまうところです。 しかし、このくらいがキリスト教のいわゆる「三位一体説」の一般的な 宗教解釈になっているようですから、この説明には不都合がないという ことなのでしょう。 これを聞いて、「超」が付く高齢者の中には、これも「超」昔に人気を博した 映画「七つの顔の男」(主演:片岡千恵蔵)のセリフ※を思い出す方が おられるかもしれません。 こちらも、折にふれ、数多な人間になりすまして活動する男が登場する のですが、その真の正体は「(藤村大造)ただ一人」という設定でした。 ですから、キリスト教に倣えば、「七位一体説」とも言えそうです。 ※七つの顔の男じゃよ/ある時は私立探偵/ある時は片目の運転手/ またある時は気障な中国人/またある時はインドの魔術師/ しかしてその実体は、正義と真実の使徒、藤村大造! ![]() ![]() キリスト教「三位一体説/仏教「本地垂迹説」 ![]() にほんブログ村 話が大きくそれてしまいましたが、教義におけるこうした苦しさ?は何も キリスト教に限ったものでもありません。 新たな外来神様として「仏教」が伝わった折には、日本でも同様の「理論化」? が必要になりました。 〜新参された「仏様」は、その人相風体からしても、やっぱり原住?神様で ある八百万神とはちょっと毛色の異なる「部族}?でしょう?〜 確かに、古参「八百万神」と新参「仏様」とを素直に見比べれば、その風貌も 服装も大きく異なるのですから、「異なる部族」と受け止めたこの質問は、 感覚的にも納得できるものです。 たぶん、これが個人レベルの信仰・信心であったなら、そんなことはどっち でもいいことですから、うっちゃられたまんまだったかもしれません。 ところが、これが「宗教」という社会現象になると、多くの信徒の連帯感を 育てるためにも「共通認識」、つまり「教義」というものが必要になりますから、 こんな説明が飛び出すことになります。 〜ええか、見た目にはまるで別の存在に見えるだろうがナ、実はナ、 「仏様」は決して新参者なんかではなく、その真の正体は、昔の昔から この地おられる「八百万神」の方々そのものであるのダ〜 いきなりこんなことを言われても、まあ大抵は疑心暗鬼が解けるものでは ありません。 そこで、説明の追い打ちです。 〜仏様は確かに昔の昔からこの日本におられたのだが、しかしいきなり あの風貌衣装で現れては、それを見慣れておらぬ民の多くは慌て ふためいてパニックを引き起こしてしまうやもしれぬ〜 確かにそうかもしれん。 そこで説明はさらに続きます。 〜そこで、頃合いを見て、この度「仏様」がオリジナルの姿を現すことに したのじゃから、決して悪く思うではないゾ〜 意表を衝いた、なんともアクロバット的な説明ですが、ご丁寧なことに これには「本地垂迹説」※なる言葉まで用意されているのです。 ※乱暴に言い切れば、「本来の神仏が現れる」ほどの意味で、八百万神は 実は様々な仏が化身として現れたものとする神仏習合思想の一つ。 しかし、この説明には、万人を納得させられるほど説得力が備わって いません。 そこで念のために、さらなる「追加説明」です。 「○○神=△△仏」と比定した、いわば「神仏対比表」?がそれです。 代表的なところを二三取り上げるとこんな按配になっています。 ○天照大神 →← 大日如来 ○熊野権現 →← 阿弥陀如来 ○八幡神 →← 阿弥陀如来 ※ただし、神々に付会される仏は宗派・信仰・寺院・神社によって異なる。 万人を納得させるだけの「教義」を設定することには、世の古今東西を問わず、 難儀を伴うということで、中には詭弁・方便もどきの理論展開を見ることも 決して珍しくはありません。 ちなみに、「詭弁」とは 〜故意に行われる虚偽の議論であり、道理に合わないことを強引に 正当化しようとする弁論〜のことを言い、それに対し、 〜目的のために用いられる便宜的手段など〜を意味する仏教用語が 「方便」いう言葉になります。 ですから、それぞれの「教義」については、キリスト教の「三位一体説」の 場合は「詭弁」、仏教の「本地垂迹説」の場合は「方便」、という言葉の方が 似合っているのかもしれません。 ただ詭弁・方便のスケールとしては、キリスト教の「三位一体説」より 仏教の「本地垂迹説」の方がはるかに大きいように感じます。 なぜなら、「三位一体説」は、せいぜい「三つは一つ」と言っているに 過ぎませんが、「本地垂迹説」の方は、「八百万それぞれが、実は皆別々の 正体を持っている」と主張しているからです。 「三と八百万」なら、単純比較でも「八百万」の勝ちです。 その「三位一体説」から、今ひょっこり思い出しましたが、実は「三位一体島」 との名を持つ島が、この地球上に厳として存在しているそうです。 カリブ海・南米ベネズエラの沖に浮かぶ「トリニダード島」がそれで、 この「トリニダード」が「三位一体」を意味するスペイン語とのことです。 たったら「本地垂迹島」もある・・・のかどうか、その点については残念ながら 寡聞にして存じません。 ![]() にほんブログ村 −−直近の記事−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 523 日本史の「タブー」08 そして誰もが頓挫した 裸一貫無手勝流の奥義 522 日本史の「信仰」13 ヤマト民族の歩き方 宗教が決める民族の歩き方 521 日本史の「付録」08 現世は儚し来世は墓無し 墓じまいブーム来る 520 日本史の「トンデモ」01 ゼロ予算で城構えの気迫 民族の特有能力? 519 日本史の「女性」25 従一位なら噂も消せる? 躍起になった裏事情? 518 日本史の「災難」11 改革とミニ科挙と異学の禁 朱子学暴走族の元締? |
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日本史の「逆転」22 異国・異人に拘った幕末風景
黒船来航(1853年)の翌年に日本再来航を果たしたアメリカに対して、 心ならずも「日米和親条約」(1854年)を締結せざるを得なかったのが 時の幕府でした。 長崎「出島」に拠点を持つオランダ国以外の、新たな「異国」である欧米との 関りを持つことは、それまで継続してきた実質的な「鎖国体制」に幕府自身が 終止符を打ったことになり、その打ち方も含め、これはこれで新たな問題を 生みました。 ...続きを見る |
ヤジ馬の日本史 2018/11/07 23:54 |
日本史の「トンデモ」02 曲学阿世のイチャモン術
「林羅山」(1583-1657年)といえば、23歳の若さで徳川家康(1543-1616年)の ブレ−ンに収まったほどに優秀な学者さんですが、反面ちょいとばかりクセの ある?人物でした。 失礼を承知の上で言えば、「曲学阿世の徒」※という言葉に当てはまる 印象を備えた人物ということです。 ※真理を曲げて世間や時勢に迎合する言動を取る人物。 ...続きを見る |
ヤジ馬の日本史 2019/01/08 15:24 |
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