日本史の「もしも」11 神仏系会員の匿名座談会

キリスト教やイスラム教などいわゆる「一神教」において、数多の神サマ
仏サマが一堂に会することなぞは絶対にあり得ないことのひとつです。
なにせ、一神教の世界では「唯一」の存在ですから、それがグループに
なったり集団になったりする概念はモトからありません。
ところが、これが日本の場合だと、決して無理難題というわけでも無くなって
きます。 なにせ神サマだけでも「八百万」の上に、「数多」の仏サマが
いらっしゃるのですから。

さてここからが「もしも」ですが、そうして集まってくださったその神サマ仏サマ
のお歴々に、日本人の信仰に対する態度(信仰歴史)を自由に発言して
いただくとします。
ここでは便宜上、その存在を「神仏系会員」と呼びますが、これは筆者即興の
新造語ですからWikipediaにもその案内はない・・・ハズです。

それはともかく、個人情報保護を重視する昨今の風潮も尊重しなければ
なりませんから、ここは必然的に「匿名座談会」形式になります。
そのため、大変に失礼なことながら、神サマもア・イ・ウ、仏サマとてA・B・Cの
ように、皆々「匿名」でご登場いただきます。

司会~さて本日は「日本人の信仰」をテーマにしています。
    皆サマが経験ことのうち、一番思い出深い出来事は、いったい何だった
    のか? まずはこのあたりから伺って参りましょうか~
仏A~昔々のことになるが、ワシらがこの国に招かれた時のことはそりゃあ
    少しばかり印象深いネ。 なにせ土着の神サマのお歴々とは毛色の
    違う存在として色眼鏡で見られたくらいのものだったからネ~


確かに! それまでは土着(現地)の神サマしか知らなかった日本人にとって、
海外から渡ってこられた異国の仏サマの、その教義?といい人相風体といい、
見慣れないこともあって、受け入れ側にとっても、それなりのカルチャー・
ショックだったことは否めません。 
それが証拠に、国内では仏サマを迎えるべきか否かの「崇仏・廃仏論争」
(6世紀後半)が展開されたほどだったとされています。

司会~で、ここは結局「仏教容認派」が勝ったわけですよネ、まずはめでたし~
神ア~しかしだ、そのことに合理的な説明を加えるべく持ち出した
    「本地垂迹説」は多分に苦し紛れの感があったゾ。
    なにせ、僕たち土着の神サマと見知らぬ異国出身の仏様が「同じ存在」
    というのだからナ・・・その時は、飲んでたお茶を吹いてしまったゾ~


確かに! 生まれも育ちも全く異なる神サマ仏様の「正体」?を「同じ存在」と
した「本地垂迹説」は、いささか無理っぽい雰囲気もあって、必ずしも即合点の
いく説明ではなかったかもしれません。

仏B~とはいうものの、その点については日本人は頓着しなかったなア。
    良く言えば「懐が深い」、悪く言うなら「ノーテンキ」・・・そんな思いが
    したものダ~

神イ~原則匿名ということだから具体的な名は伏せるが、例を挙げるなら、
    ○○権現と◇◇如来が「同じ存在」というのも恐れ入ったな。 
    今だから言えることだが、両者はじつのところ家族でも親戚でもなければ
    知人関係にすらなかったのだゼ~


司会~しかしその説明を是とすることで、ともかく以降千年以上に渡り
    「神仏習合」のスタイルを続けてきたわけでしょ。
    それはそれとして、結果としては「良きこと」だったのでは?~

神仏習合51 廃仏毀釈500羅漢







「神仏習合」の名残り?の光景/「廃仏毀釈」破壊された五百羅漢像


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確かに! 「一神教」の世界ではついぞ想像も及ばない「神仏習合」の形式は
「神サマ仏サマも仲良くネ」という意味において、日本古来の伝統理念である
「和の精神」にぴったりフィットしていたわけです。

神ウ~そんなこと言うならよぅ、「明治維新」を忘れとりゃせんか?
     あ、いかん・・・ついついお国訛り(尾張弁)が出てまった!~

仏C~そうだそうだ、あの折の「廃仏毀釈」は滅茶苦茶だったよなぁ~

確かに! 江戸時代を通じ外国との関りを回避していた日本人が、その継続が
困難とみるや、やにわに「仏サマ」の排除に踏み込んだのですから。 
しかも半端でない熱心さをもって事に臨みました。

仏A~匿名の趣旨によって具体的な名称は出さないが、ワシの縄張りの寺
    なんぞはすっかり焼亡しちゃったくらいだ。
    その分神サマは優遇されることになり、儲けものだったのでは?~

神ア~なにをおっしゃる仏サン・・・それはゲスの勘ぐりというものですよ。 
    僕たち神サマだって負けず劣らずの大迷惑を被ったのです~

仏B~その言い草は聞き捨てなりませんな。 だって明治新政府はワシら
    仏サマを棄てて、肝入りの「国家神道」まで創ったじゃん。
    これって完全に神サマ限定の優遇政策でしょうに~


確かに! しかし神サマご本人?たちにすれば迷惑な話でもあったのです。
なぜなら、神サマが所属する団体?「神道」は、元々が
~森羅万象に神が宿る~という考え方を基本理念にしているからです。

この「森羅万象」とは、すなわち
~あらゆる現象、宇宙に存在する一切のもの~を指しています。
ならば当然仏サマも含まれるはずであり、そこから「仏教」を名指しする形で
「神サマはいいけど仏サマはいかん」ということでは、憲法違反ならぬ、
「本来趣旨」違反?になってしまいます。

神イ~だから明治期に誕生した「国家神道」とは、元々の懐の深い寛容が
    ウリの僕たち「神道」には馴染まない歪な考え方、つまり鬼っ子でも
    あったわけで、これが大迷惑だったわけサ~


仏C~そりゃあそうだよね。 つい千数百年前に打ち出した神も仏も同じだァと
    する「本地垂迹説」を、その舌の根も乾かないうちに取り消そうなんて、
    あまりにも節操のない言動だもんネ~


確かに! こうしてみると現代日本人の生活行動は、分け隔てを否とする
ご先祖様達の意に適っているのかもしれません。
大晦日には「お寺」で除夜の鐘を聞きながら越年し、その翌日元旦には
「神社」参拝で神サマにご挨拶し、何気に「神仏習合」を実践しているからです。

神ウ~それだけではあれせんゾ・・・イカンまたお国訛りだがや。 
     小耳に挟んだところでは、「除夜の鐘」の数日前には、誰かは知らん
     けど、異教開祖の誕生日「クリスマス」も祝っとるげなだし、昨今の
     子供たちは「ハロウィン」まで大層楽しみにしておるらしいナァ~


確かに! 近年の10月31日には魔女やお化けに扮装した子供たちの姿を、
この日本でも目撃する機会が増えました。
神ウ~おいおい、異教の行事を生活に取り入れるなんて、ついこの間起きた
     明治「廃仏毀釈」の大騒動を忘れとりゃせんのきゃあ?
     どうせのことなら、断食ダイエット代わりにイスラム教の「ラマダーン」を
     取り入れたらどうでゃあ? 案外健康維持にええかもだでぇ~


司会~なるほど! 日本の神サマの持つ包容力の大きさがよう分かる
     発言で感服してまったがねぇ・・・あれ、イカン。 「神ウ」サマのお国訛り
     (尾張弁)がうつってまったがねッ!
     まあそれはそれとして、神サマ仏サマ、本日はお忙しい中のご出席、
     本当にありがとうございました~



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