日本史の「逆転」04 武士の正座と胡坐
いまさらの感がありますが、TV時代劇を観ていて、戦国時代と
江戸時代の武士の座り方に違いがあることに気がつきました。
もっともソファーに腰を下ろすシーンはあまり見かけませんので、
つまりは正座(せいざ)と胡坐(あぐら)のことを言っています。
「正座」というからには、これが日本人のその昔からの作法で
あり、「由緒正しい」座り方かと思っていたら、どうもそうでも
ないようで、「正座」という言葉自体も明治以降に登場した?と
されています。
また、「胡坐」は~両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで
座る座り方~と定義されていますが、「武士風?胡坐」の場合は
実際には~足の裏を合わせて股関節を広げ、ひざを床に
落とした座り方~とのことですから、単なる「胡坐」に比べたら、
かなり厄介な代物になります。
二つの座法はそれぞれに欠点を抱えていますが、「正座」の
場合は、なんといっても足の神経が麻痺する「痺れ」に襲われる
ことで、足を解いてもすぐさま立てなかったり、立ったものの、
ついよろけたりした経験を持つ人も少なくないでしょう。
これが「メタボ人の正座」なると、足が支えるべき体重がド~ンと
増えますから、もうほとんど「拷問」と言っていいほどの「痺れ」に
なることは・・・このワタシにはよく理解できています。
そういえば、焼香する人が正座から立ち上がったものの激しい
痺れでよろけ、転倒すまいと思わず目の前にいた読教中の
お坊様に手をつき・・・ところが、手をついた場所がお坊様の
ツルツル頭だったために、その手が滑って結局転倒する、
というコントを観たことがあります。

織田信長 (おおッ、足の裏同士が密着しているゾ!)
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話が逸れたので元に戻しますが、それなら「武士風?胡坐」の
方が楽かといえば、実は世の中そんな甘いものではなく、
~股関節が柔らかくないとできない上に、骨盤と背筋の
バランスを取らなければならない~そうですから、体の堅い
現代人にはてんで不向きな座り方だと言っているのも同然です。
試しにワタシもチャレンジしてみましたが、それはもう痛い
ばかりで、決して楽しいものではなかったゾ。
ここまできて、やっと本題に。
では、~武士が「武士風?胡坐」から「正座」に転向?
つまり逆転したのはなぜ?~ 最初に思いつくのは、
やはり戦乱から平和へと「時代」が転換したことでしょう。
確かに戦乱の時代に「正座」をしていては、上のコントのように
「痺れ」で咄嗟の身動きがとれないでしょうから、ここはやっぱり
「武士風?胡坐」が最適です。
しかし、これが平和な時代になれば、そんな機敏な動作を
必要とする場面も必然的に減るでしょうから、必ずしも
「武士風?胡坐」にこだわらなくてもいいわけです。
事実、「正座」をするようになったのは、三代将軍家光の頃から
とされていますから、これは単に姿勢的な意味合いばかりでなく、
殿様に対して恭順の意を示す、つまりは言葉通りに「膝を屈する」
ことをビジュアル化したものなのかもしれません。
さらには座る場所の「床材」?の問題も指摘できそうです。
堅い板張りの時代には困難だったものが、畳式の床になって
「正座」が可能になった、という見方です。
まあ、「正座」にせよ「武士風?胡坐」にせよ、椅子のある生活を
採用したことで、そのどちらからも解放された現代日本人は、
それだけでも、ある意味、幸せというものでしょう。
そんな感慨にふけっていたとこる、さらに古い時代、~平安や
鎌倉時代には宮廷仕えの女官たちも「胡坐」をかいていた~
とか、また、もう少し最近でも、~桃山時代から江戸初期の女性は
「立て膝座り」を習慣にしていた~との説明にぶつかりました。
それなら、女性たちは、またどうしてその「座り方」を変更?
つまり逆転?させたのでしょうか?
どう考えても、「正座」よりは「胡坐」や「立て膝座り」の方が
楽だと思えるのですが、その楽な方を放棄して敢えて難儀な
「正座」の方を採用していることがなんとも不思議です。
これはどうやら室町時代頃から女性の服装に変化が現れた
ことが原因で、その新しい服装で「胡坐」をかくと、なんでも
秘部があらわになる危険が生じたために「正座」が広まった
とのことです。
ふ~ん、そうだったのか。
とは言いながら、それでもまだその「秘部」ってのが、
今ひとつ充分に理解できていないので、どなたかご存知の方が
おられましたら、どうぞお教えくださいナ。
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もっともソファーに腰を下ろすシーンはあまり見かけませんので、
つまりは正座(せいざ)と胡坐(あぐら)のことを言っています。
「正座」というからには、これが日本人のその昔からの作法で
あり、「由緒正しい」座り方かと思っていたら、どうもそうでも
ないようで、「正座」という言葉自体も明治以降に登場した?と
されています。
また、「胡坐」は~両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで
座る座り方~と定義されていますが、「武士風?胡坐」の場合は
実際には~足の裏を合わせて股関節を広げ、ひざを床に
落とした座り方~とのことですから、単なる「胡坐」に比べたら、
かなり厄介な代物になります。
二つの座法はそれぞれに欠点を抱えていますが、「正座」の
場合は、なんといっても足の神経が麻痺する「痺れ」に襲われる
ことで、足を解いてもすぐさま立てなかったり、立ったものの、
ついよろけたりした経験を持つ人も少なくないでしょう。
これが「メタボ人の正座」なると、足が支えるべき体重がド~ンと
増えますから、もうほとんど「拷問」と言っていいほどの「痺れ」に
なることは・・・このワタシにはよく理解できています。
そういえば、焼香する人が正座から立ち上がったものの激しい
痺れでよろけ、転倒すまいと思わず目の前にいた読教中の
お坊様に手をつき・・・ところが、手をついた場所がお坊様の
ツルツル頭だったために、その手が滑って結局転倒する、
というコントを観たことがあります。

織田信長 (おおッ、足の裏同士が密着しているゾ!)
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話が逸れたので元に戻しますが、それなら「武士風?胡坐」の
方が楽かといえば、実は世の中そんな甘いものではなく、
~股関節が柔らかくないとできない上に、骨盤と背筋の
バランスを取らなければならない~そうですから、体の堅い
現代人にはてんで不向きな座り方だと言っているのも同然です。
試しにワタシもチャレンジしてみましたが、それはもう痛い
ばかりで、決して楽しいものではなかったゾ。
ここまできて、やっと本題に。
では、~武士が「武士風?胡坐」から「正座」に転向?
つまり逆転したのはなぜ?~ 最初に思いつくのは、
やはり戦乱から平和へと「時代」が転換したことでしょう。
確かに戦乱の時代に「正座」をしていては、上のコントのように
「痺れ」で咄嗟の身動きがとれないでしょうから、ここはやっぱり
「武士風?胡坐」が最適です。
しかし、これが平和な時代になれば、そんな機敏な動作を
必要とする場面も必然的に減るでしょうから、必ずしも
「武士風?胡坐」にこだわらなくてもいいわけです。
事実、「正座」をするようになったのは、三代将軍家光の頃から
とされていますから、これは単に姿勢的な意味合いばかりでなく、
殿様に対して恭順の意を示す、つまりは言葉通りに「膝を屈する」
ことをビジュアル化したものなのかもしれません。
さらには座る場所の「床材」?の問題も指摘できそうです。
堅い板張りの時代には困難だったものが、畳式の床になって
「正座」が可能になった、という見方です。
まあ、「正座」にせよ「武士風?胡坐」にせよ、椅子のある生活を
採用したことで、そのどちらからも解放された現代日本人は、
それだけでも、ある意味、幸せというものでしょう。
そんな感慨にふけっていたとこる、さらに古い時代、~平安や
鎌倉時代には宮廷仕えの女官たちも「胡坐」をかいていた~
とか、また、もう少し最近でも、~桃山時代から江戸初期の女性は
「立て膝座り」を習慣にしていた~との説明にぶつかりました。
それなら、女性たちは、またどうしてその「座り方」を変更?
つまり逆転?させたのでしょうか?
どう考えても、「正座」よりは「胡坐」や「立て膝座り」の方が
楽だと思えるのですが、その楽な方を放棄して敢えて難儀な
「正座」の方を採用していることがなんとも不思議です。
これはどうやら室町時代頃から女性の服装に変化が現れた
ことが原因で、その新しい服装で「胡坐」をかくと、なんでも
秘部があらわになる危険が生じたために「正座」が広まった
とのことです。
ふ~ん、そうだったのか。
とは言いながら、それでもまだその「秘部」ってのが、
今ひとつ充分に理解できていないので、どなたかご存知の方が
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この記事へのコメント
服が変わったからとか無い
考えてみ?
「服が変わったから胡座かけない!囚人の座り方しよう・・・」
「やめなさい!みっともない!」
って成るに決まってんだろ
正座が変わったから服も変わっていったんだよ
当然だろ
あと胡座が実戦的ってのはない
当時の抜刀術も残っているが胡座ではなく蹲踞に似た形で行う
場合によっちゃこの蹲踞が一番礼儀正しいモノだった
貴重なご指摘をいただき大変勉強に
なりました。
ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いたします。