日本史の「ツッパリ」08 釜かぶり今昔物語

これは割合に有名なエピソードですが、信長は家康に
その「本人」を前にして、普段通りのストレートな言葉で、
このように紹介したとされています。
しかし、それは同時に濃厚な尾張弁だったことも想像されます。

~ええきゃー家康ドノ。このジイ様が松永弾正だでぇ。
主家に背いたばっかでにゃーで、将軍も殺したしよぅ、そんで
その上に大仏も燃やしてまったんだわー。
てぁーてぇの人間なら、ひとつとてようせえへんことを、
ええきゃー、まとめてみっつともやってまったジイ様だでぇ。~


尾張以外の人には分かりにくいしょうから、以下はその翻訳文。
~家康殿、この人物が松永久秀(弾正)だ。
主家に背いただけでなく、将軍も殺した上に大仏も焼いた。
並の人間ならひとつでも無理なことを三つもやっているのだ。~


多分、信長としては「元気でヤンチャなジイ様だ」ということを
強調したのでしょうが、当の弾正はこの単刀直入の紹介ぶりに、
「ムッ!」としたと伝えられています。
(ちなみに、ワタシ的には、これは誤解で、実際には弾正がこの
濃すぎる尾張弁を理解できなかっただけ?と解釈しています。)


松永久秀(弾正1510?-1577年※信長より二十歳以上年上?)は、
信長の紹介通りに主家・三好家の領地を横取りする形で
大和・和泉を手中に収めたばかりか、領地拡大に邪魔になった
室町13代将軍・足利義輝を殺し(永禄の変1562年)、
さらには後の戦さで奈良の大仏殿を火にかけています。

ですから、日本史における「戦国の三大梟雄」の一人として、
この松永弾正の名が挙げられています。
しかし、仮にその「三大」に挙げられなかったとしても、それなりの
「ツッパリ人生」を歩んだことは間違いないところでしょう。

さて、「梟雄」とはあまり聞きなれない言葉ですが、(きょうゆう)と
読んで「残忍で強い人」を意味しているのだそうです。
ですから、とてもディープな尾張弁だったとはいえ、信長の
紹介内容は割合に的を得ていたことになります。

画像











「梟雄」(きょうゆう)と「梟の雄」(ふくろうのオス)とは意味が違うゾ!

波乱の人生を送ってきた人物にありがちなことですが、
この弾正もそれなりの「アクの強さ」を備えていましたから、
ひょっとしたら、それが同様の気性を持つ信長の気に入るところ
でもあり、そんな感情が「無遠慮で飾り気のない紹介」に
なったのかもしれません。

そうはいうものの、信長には元から「弾正を使い捨てにする」
腹があり、弾正は弾正でそれに気が付いていて反旗を翻す
時期を探っていたようですから、この両人の間では
静かに「腹の探り合い」が続いていたことになります。

しかし、二度ほど「フライング」を犯してしまったヤンチャな爺様・
弾正に対して、その時の信長は許しを与えています。
しかし、さすがに三度目はそうはならず、信長の方から
条件が出されました。

~お前の持っている茶器の逸品『平蜘蛛の釜』を差し出す
のなら許そう。~


しかし、この信長の言葉は単なる「エサ」に過ぎず
「既に進退窮まった」と判断した弾正は、その申し出をにべもなく
断わっています。 ・・・で、どうしたか?
「ツッパリ」のお手本のような方法で自決する道を選びました。

天守閣に火を放ち、信長が要求した当の『平蜘蛛の釜』に
火薬を詰めこんでそれを頭にかぶって『自爆』したとされて
いますから、これが事実なら歴史上でもちょいと珍しい
「ド派手」な自決ということになります。

でも、「火薬を詰めた釜を頭にかぶって自爆・・・」という
面白すぎる?部分は本当なのでしょうか?
少し冷静に考えれば多少の疑問が涌いてきます。

仮にその光景の「目撃者」がいたものとしたなら、
その後、その人物は一体どうやって生還したのか?
弾正もろともに木っ端微塵になって、折角のその「目撃」も
後世に伝えられなかったような気もするのですが・・・。

しかし、この「ド派手」なお話が今に伝わっているということは、
~あの松永久秀(弾正)ならそんなことだってやりかねないゾ~
と思われていたことにもなります。

「釜をかぶったか?かぶらなかったか?」という昔の美容院・
パーマネントのような論議は別として、このお話が残っている
こと自体が、松永久秀の正当派?のツッパリぶりを証明して
いるような気がするのです。

ひょとしたら今のお若い人には、この「昔のパーマネント」と
いう部分が少しばかり分かりにくいかもしれませんので、
念のために、ワタシの親切心から写真を一枚添えておきます。
(別に恩に着せるつもりはありませんヨ。)

画像












 どうです? 確かに「お釜」をかぶっているでしょ・・・





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