日本史の「謎解き」08 赤穂浪士のユニフォーム姿

時は1703年(元禄15年)、赤穂藩遺臣(赤穂浪士)が吉良屋敷に
討ち入った、いわゆる「赤穂事件」。
これをモデルにしたお芝居「忠臣蔵」は多大な人気を集め、
現在でもその状況は変わっていません。

さて、そこに登場する「赤穂浪士」のイメージは、まあ平均的に
下の絵のようなものではないでしょうか?
すなわち、左襟部分には「身元=播州赤穂」、右襟部分には
「氏名=ナンノタロベエ」と明記されたお馴染みの上着?姿です。

しかし、浪士たちが本当にこの装束をまとっていたとしたら、
以下に補足するように少しヘンなのです。 ですから、これは
映画やお芝居でにおける観客向けサービスのひとつと
受け止めておいた方が無難なのかもしれません。

画像











では何がヘンか?
まず第一に、四十数人が徒党を組んで「吉良邸」へ襲撃を
かけるのですから、少なくともこの集団の移動が目的地へ
到着するまで怪しまれないことが必要です。

しかもこの場合、戦闘用武器以外にも、吉良邸の内部まで入る
ための門扉を打ち壊す道具「掛矢(木製大型ハンマー?)」とか、
塀を越えるための「梯子(ハシゴ)」など、多彩な道具を携行
しているのですからそれなりの隠蔽操作?も必要になります。

では、上の絵のようなド派手な衣装を身にまとった上に、こんな
仰々しい道具を携えた四十数人の集団が、なんら怪しまれる
ことなく木戸を通過できたものでしょうか?
おそらくはできなかったででしょう。

なぜなら、まだ誰の記憶にも浅野内匠頭・刃傷事件が残っている
時期であり、しかも装束の左襟にはご丁寧に「播州赤穂浪士」と
明記してあるのですから、この姿を見ればよほど鈍感な人間でも
「スワッ、これは吉良邸への襲撃だ!」と気が付くはずです。
そんなもん、ワタシだって気が付くゾ!

つまりは、その瞬間に「今から襲撃する」ことが吉良側に漏れて
しまうということになります。
これでは、折角永い間続けてきた隠密行動が決行直前で
台無しになってしまうワケですから、これは常識的に考えても
かなり「非常識」なことといえます。

ということは、史実の方は映画やお芝居でお馴染みのあの
ユニフォーム姿ではなかったということになりますが、では、
一体この四十数人の武装集団はどんな「いでたち」をしていた
のでしょうか?

その要件として挙げられるのは、
1・吉良邸に到着するまで怪しまれないものであること。
2・敵と味方が瞬時に見分けられるものであること。
3・チャンバラ(戦闘)時に適した動きやすいものであること。
少なくともこの程度のことはクリアする必要があります。

実はこの要件にピッタリ当てはまる「服装」があります。
「火消し姿」、そう、すなわち「火事装束」です。

1・消防団?ですから集団行動でも怪しまれません。
2・吉良側の護衛に、おそらく火事装束を身にまとった者はいない
  でしょうから敵と味方の区別は一目瞭然!
3・消火作業に適した服装なら動きやすいものであることは
  間違いなく、同時にチャンバラ(戦闘)向きともいえます。

でも、この「説」には反論が出るかも知れません。
~ハシゴの方は了解してやってもいいが、いくら火消し衆だとて
掛矢を携帯していてはさすがに怪しまれるだろうが・・・~
そんなことを思っているアナタ、その考え方は新しすぎる!

そう、現代でこそ放水して消火するのが常識になっていますが、
昔は違うゾ。
強力なポンプなどハナからないのですから、必然的に延焼が
心配される建物を先回りして壊してしまう消火方法になります。

ですから、火事装束と掛矢はセット品とみてもいいでしょう。
また、そのような作業をする人間は、自分の命がかかっている
のですから当然敏捷な動きが取れる服装になります。
その意味では、火事装束ならチャンバラをするにもぴったり
マッチしていることになります。

と、ここまでは自信満々で「火事装束」説を展開してきたのです
が、「元禄時代の火消し服」というものの写真をつらつら眺めて
みると、デザインは現代の消防団が行事の折によく着る「半纏」
に似ているものの、素材の質感は結構ゴワゴワという印象です。

で、本当にこんなゴワゴワ服でチャンバラをしたのかしらと
考えたら、途端に自信がなくなっちゃった次第です。

まあ、そういう大事なことも棚上げして一言付け加えるなら、
「史実」としてはあの左襟に「播州赤穂」、右襟に「ナンノタロベエ」
と明記した上着?姿はなかったとしても、映画やお芝居での
「討ち入り」チャンバラ・シーンでは誰が誰を倒したのかを随分と
分かりやすくしていることも事実です。

右襟に「堀部安兵衛」と明記してあるからこそ、安兵衛の強さも
分かるわけですし、清水一学や小林平八郎とて、これら浪士の
お揃いの服装とは異なっていることで吉良側の人間と分かる
仕掛けになっているわけです。

誰が思いついたのかは知りませんが、その意味では映画や
お芝居における「赤穂浪士のユニフォーム姿」というアイデアは
なかなかに優れたものだと言えそうです。

ただ愛知県人としては、地元の名君・吉良上野介を徹底した
悪人に描くという、こちらのアイデアにはいささか賛成いたし
かねるところですが・・・。



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