日本史の「パクリ」04 血筋をブランドに!

後援者 「長期低迷状態とお聞きしていますが、ホントに?」
蓮如様 「確かにイマイチ! と言うより人気サッパリ!かな。」
後援者 「では、思い切った”目玉商品“を企画しましょうヨ!」
蓮如様 「はて、そんな”目玉商品”なんかがあろうかいね?」

蓮如は教祖・親鸞上人の直系八代目の子孫に当たる真宗
の僧で、この頃の教団をリードしていた人物です。
ところが、この教団の布教方法が伝統的に「真っ向真面目」に
過ぎる?こともあってか、大した人気も得られないまま、この頃は
「細々と」という表現がピッタリ似合う状況に陥っていました。

まあ1440年頃、蓮如25歳くらいの時のお話と思ってください。
室町六代将軍・足利義教(よしのり)が暗殺されたのが
1441年ですから、この事件の少し前のことです。

後援者の熱心なプレゼンテーションは続きます。
後援者 「ビジネスの世界でもその通りですが、“他の店にはない
     モノを売る“、これこそが成功の秘訣なのです!」
蓮如様 「そうは言うもののアンタ、阿弥陀如来サマなぞはどの
      寺にもあるものだゾ」

後援者 「蓮如サマァ~、仏像を売っ払ってどうするんですか!
     カリスマ性を”売り”にするのです、売るのはカリスマ性!」
蓮如様 「よくわからん! もそっと噛み砕いたレクチャーを!」

実は、この後援者の頭の中にはボンヤリながらこんな疑問と
解答があったのです。 ~確かに「権威」はあるものの「武力」も
「権力」も持たない“天皇家”が滅びることもなく連綿と続いている
のは一体なぜだ? えええ、なぜだ!~

~それはどう考えても、すなわち「天照大神」のご子孫であると
いう「血筋のカリスマ性」、この一点に絞られる。
う~む、考えれば考えるほど確かにその通りだ!~

~だったら、同様に蓮如サマも「教祖・親鸞サマ」のご子孫である
ことを前面に打ち出して他の宗派との差別化を図るべきでは
なかろうか。 
これこそは、僧の結婚を正式に認めているわが宗派・真宗にしか
できない超難度ウルトラCの隠し技であるゾ。~
※ちなみに「ウルトラC」は東京オリンピック・体操で使われた言葉です。

確かに、他宗は僧の「結婚」を認めていないのですから、自分の
子供へ伝えようとしても、それは無理な相談に違いなく、結局の
ところ、教えは弟子から弟子へ(つまり他人から他人へ)と伝える
だけなのです。 この点に気がついた後援者はエラい!

後援者 「そのカリスマ性とは、ズバリ、つまり子づくりなのです!」
蓮如様 「なんと!子づくりがカリスマ性とは、なんのことやら?」
後援者 「その理論の整合性については、当方にお任せくださり、
      とにかく、蓮如サマは子づくりにお励みなされ!」
蓮如様 「う~む、しかしイマイチ釈然としない説明ではあるなア」

で、結果としてこの後の蓮如サマは「子づくり」に励みました。
どのくらい励んだかと言えば、こうなります。
 出展:wikipedia 蓮如
~妻の死別を4回に渡り経験し、生涯に5度の婚姻をする。
子は男子13人・女子14人の計27子をもうける。
山科本願寺において85歳で示寂。死の直前まで公私共に
多忙を極めた。~ 

このように蓮如サマは1499年(85歳)に亡くなるのですが、
末っ子13男はその前年の1498年生まれ、つまり蓮如サマが
84歳の時に誕生しています。
これはスゴい! みなさんもきちんと見習うべきです。

さて、この大勢の子供達が布教拡大の中心的パワーになった
ことはいうまでもありません。

しかも、その子供達の全員が全員、間違いなく「教祖・親鸞サマ」
の直系子孫なのですから、このカリスマ性が他派には絶対に
マネのできない強味(歴然とした差別化)となって、事実その後の
真宗は勢力を盛り返していきます。

盛り返しすぎて、後の時代には十一世・顕如と織田信長との間で
11年に渡る戦争(石山合戦・1570年-1580年)を繰りひろげる
ところまで行き、それでも一歩も引かなかったくらいのものです。

実は、この天皇家の「血統のカリスマ性」をパクるスタイルは
後世の日本人にも結構人気が高く、意外に多方面で活用されて
います。

たとえば、家元制度とか会社の社長選びの一部などには、その
本人の技量・才覚の優劣よりも「血筋」の方を重視する傾向が
なきにしもあらず?

それだけでなく、一般市民とて無意識ながら「天皇家」が持つ
「カリスマ性」に対しての憧れを意外に強く持っているようで、
たとえば、系図を頼りにした自分の「ご先祖探し」などもその
ひとつの現れなのかもしれません。

これにハマると大抵は「天皇の誰か」にたどりくことになります。
そこで、たとえばワタシのオジのように怪しげな系図を広げては
「ワシは桓武天皇の○代目の子孫なのダ!頭が高い!」などと
無邪気にはしゃぐお茶目な人物も登場してくるわけです。

それでは、本当に日本国民の大多数がいずれかの天皇の
ご子孫かといえば決してそんなこともなく、「系図」というものは
元々そのように、つまり「天皇家」に辿りつくように作られている
モノなのだそうです。
(このことは高名な歴史学者さんも指摘されています。)

画像 それはそうかもしれませんネ。
 「天皇家」に辿りつけない「系図」だった上に
 自分の本当のご先祖様は「へのへのもへじ」
 だってなんてことではやっぱりヤル気が
 出ませんものネ。
 ちなみに現在でも「系図買い」という言葉は
 しぶとく生き残っているようですヨ。

 「へのへのもへじ」
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