日本史の「忘れ物」10 コスプレの元祖?
高邁な理論を自分なりに分かりやすく理解しようとすると、妙に
冗談っぽい絵解きになってしまって困ることがあります。
ここで取り上げる「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」もその
通りで、これを「コスプレの元祖?」と言いきってしまうことは、
不敬の極みで、さすがに気が引ける思いもあるのですが・・・
念のために申し添えますが、この場合の「コスプレ」とは文字通り
「アニメやゲームなどの登場人物のキャラクターに扮する行為」を
指していますから、神様や仏様をこのようにたとえるワタシは、
もうこれだけで充分に地獄へ堕ちる資格があります。
さて、6世紀頃、日本にも仏教(仏様)が伝わってきました。
しかし、元々「古参?の神様」しかいなかったこの国に最新科学で
ある「新参?の仏様」の概念が伝わったのですから、その扱い
には苦慮したようです。
ハテ困ったことです。従来同様に「神様」だけを信仰する態度では
先端科学である「仏様」を否定することになりますし、さりとて新参
の「仏様」だけを優遇することは、神様に対して今までのご恩を
仇で返すようなカタチになってしまいます。
事実、「神様を取るか仏様を取るか」という悩ましい問題は、結局
のところ親仏教派・蘇我氏と反仏教派・物部氏による、いわゆる
「崇仏戦争」にまで発展しました。 結果は反仏教派の負け。
※ただし、「神仏」は理由づけに過ぎず実態は完全な権力闘争か?
このことで、いわば「神様・仏様、両雄並び立たず」の状況が発生
したのですが、さすがに我らの先人達は頭がいい!
ここで登場したのが冒頭の「本地垂迹説」で、早い話が「神様の
正体は何を隠そう仏様である」とする考え方です。
この説明には、昔の人だってツッコミを入れた違いありません。
「じゃあ、なんで今まで神様だけがいて、今回いきなり仏様が登場
したのだ!こんなことは奇妙奇天烈で変チクリンではないか!」
そのツッコミの回答がこれです。
~ええか、よく聞けヨ!異国の仏様は見た目も違えば風俗も衣装
も違う。 ましてやキンキラキンでけっこうケバイのだから、仮に
そのままのお姿で突然に目の前に現われたとしたら、オマエたち
だってきっとビックリ仰天してしまうだろうが。
そのビックリさ加減によっては、折角の尊い教えも伝わらない心配
があるによって、とにかく初めのういはオマエたちが驚かずにすむ
見慣れた姿、すなわち「神様」として登場されていたのだ。~
これって、いわゆる「コスプレ」ですよね。
今風にイメージするなら、いきなり「ド派手な舞台衣装」で登場する
のもなんだから、差し当たりは「地味めの普段着」にしてきましたよ
と言ったところでしょうか。
~だから、このありがたい気配りを思えばオマエたちとしても、
ああじゃこうじゃとツッコミを入れている場合ではないのだゾ、
ええか、わかったか?~
いったい誰がこの説明を考え出したのかはわかりません。
でも、神様と仏様の両方を否定することなく、ツッコミを回避したの
ですから、なかなか上手い説明ではあります。
ところが、この説明があまりに巧みだったために、もうひとつの
作業が必要になりました。
つまり、それなら一体どの神様がどの仏様のコスプレなの?
という点です。
それはこうなります。
天照大神=大日如来
八幡神(応神天皇)=阿弥陀如来
熊野権現=阿弥陀如来
スサノウ=薬師如来・・・などなど
出展:wikipedia 阿弥陀如来
この「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」思想、というより説明は、
割合に受け入れやすかったものか、明治期になって、~もう
仏様はいらない、これからは断然神様で行こうぜ!~とする
「廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)」運動が展開されるまで、その後も
ずっと続きました。
ということは、今でこそ奇妙に感じるのかも知れませんが、同じ
敷地内に「神社と寺院」が併存しているのが当たり前の姿だったと
いうことになります。
ちなみに現在でも「神宮寺(神社に付属して建てられた寺)」という
言葉が残っています。
ただ、明治になって列強に対する政治的な理由から「廃仏棄釈
(はいぶつきしゃく)」を行い、「国家神道」を誕生させたことで本来
の「神道」があらぬ誤解を受けるようになったのも事実です。
それが証拠に、今もって「神様」とか「神道」とかいう言葉から
「国家神道」を連想して過剰に反応する人もいます。
しかし、歴史的に見ればこれも一過性の鬼っ子みたいな存在
だったのですから、そんな時にはその昔に「コスプレ」という
無理なお願いにも気さくに応じてくれた神様のフトコロ深く
心優しい本来のお姿をぜひ思い出してあげてくださいナ。
-------------------------------
~日本史の「忘れ物」09 歴史学者のミスリード?~ ネクタイよりズボンだ!
~日本史の「忘れ物」08 天孫降臨の錯覚~ "天"は頭上だけではないゾ!
~日本史の「忘れ物」07 UFOの訪日と攘夷論~ とりあえずやっつけよう!
~日本史の「忘れ物」06 唯一のチベット寺院~ 寺から言霊まで勢ぞろい!
~日本史の「忘れ物」05 やじろべえ国家~ とにかく一極集中は悪だ!
~日本史の「忘れ物」04 幕府の無断転居~ 室町ってどこにあるのさ?
~日本史の「忘れ物」03 信長と平和事始~ それは平和への戦いだった!
~日本史の「忘れ物」02 奥州四代の奇習~ また何を思ってミイラに?
~日本史の「忘れ物」01 蓮如の業務改善~ その昔にも”カイゼン”はあった!
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冗談っぽい絵解きになってしまって困ることがあります。
ここで取り上げる「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」もその
通りで、これを「コスプレの元祖?」と言いきってしまうことは、
不敬の極みで、さすがに気が引ける思いもあるのですが・・・
念のために申し添えますが、この場合の「コスプレ」とは文字通り
「アニメやゲームなどの登場人物のキャラクターに扮する行為」を
指していますから、神様や仏様をこのようにたとえるワタシは、
もうこれだけで充分に地獄へ堕ちる資格があります。
さて、6世紀頃、日本にも仏教(仏様)が伝わってきました。
しかし、元々「古参?の神様」しかいなかったこの国に最新科学で
ある「新参?の仏様」の概念が伝わったのですから、その扱い
には苦慮したようです。
ハテ困ったことです。従来同様に「神様」だけを信仰する態度では
先端科学である「仏様」を否定することになりますし、さりとて新参
の「仏様」だけを優遇することは、神様に対して今までのご恩を
仇で返すようなカタチになってしまいます。
事実、「神様を取るか仏様を取るか」という悩ましい問題は、結局
のところ親仏教派・蘇我氏と反仏教派・物部氏による、いわゆる
「崇仏戦争」にまで発展しました。 結果は反仏教派の負け。
※ただし、「神仏」は理由づけに過ぎず実態は完全な権力闘争か?
このことで、いわば「神様・仏様、両雄並び立たず」の状況が発生
したのですが、さすがに我らの先人達は頭がいい!
ここで登場したのが冒頭の「本地垂迹説」で、早い話が「神様の
正体は何を隠そう仏様である」とする考え方です。
この説明には、昔の人だってツッコミを入れた違いありません。
「じゃあ、なんで今まで神様だけがいて、今回いきなり仏様が登場
したのだ!こんなことは奇妙奇天烈で変チクリンではないか!」
そのツッコミの回答がこれです。
~ええか、よく聞けヨ!異国の仏様は見た目も違えば風俗も衣装
も違う。 ましてやキンキラキンでけっこうケバイのだから、仮に
そのままのお姿で突然に目の前に現われたとしたら、オマエたち
だってきっとビックリ仰天してしまうだろうが。
そのビックリさ加減によっては、折角の尊い教えも伝わらない心配
があるによって、とにかく初めのういはオマエたちが驚かずにすむ
見慣れた姿、すなわち「神様」として登場されていたのだ。~
これって、いわゆる「コスプレ」ですよね。
今風にイメージするなら、いきなり「ド派手な舞台衣装」で登場する
のもなんだから、差し当たりは「地味めの普段着」にしてきましたよ
と言ったところでしょうか。
~だから、このありがたい気配りを思えばオマエたちとしても、
ああじゃこうじゃとツッコミを入れている場合ではないのだゾ、
ええか、わかったか?~
いったい誰がこの説明を考え出したのかはわかりません。
でも、神様と仏様の両方を否定することなく、ツッコミを回避したの
ですから、なかなか上手い説明ではあります。
ところが、この説明があまりに巧みだったために、もうひとつの
作業が必要になりました。
つまり、それなら一体どの神様がどの仏様のコスプレなの?
という点です。

天照大神=大日如来
八幡神(応神天皇)=阿弥陀如来
熊野権現=阿弥陀如来
スサノウ=薬師如来・・・などなど
出展:wikipedia 阿弥陀如来
この「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」思想、というより説明は、
割合に受け入れやすかったものか、明治期になって、~もう
仏様はいらない、これからは断然神様で行こうぜ!~とする
「廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)」運動が展開されるまで、その後も
ずっと続きました。
ということは、今でこそ奇妙に感じるのかも知れませんが、同じ
敷地内に「神社と寺院」が併存しているのが当たり前の姿だったと
いうことになります。
ちなみに現在でも「神宮寺(神社に付属して建てられた寺)」という
言葉が残っています。
ただ、明治になって列強に対する政治的な理由から「廃仏棄釈
(はいぶつきしゃく)」を行い、「国家神道」を誕生させたことで本来
の「神道」があらぬ誤解を受けるようになったのも事実です。
それが証拠に、今もって「神様」とか「神道」とかいう言葉から
「国家神道」を連想して過剰に反応する人もいます。
しかし、歴史的に見ればこれも一過性の鬼っ子みたいな存在
だったのですから、そんな時にはその昔に「コスプレ」という
無理なお願いにも気さくに応じてくれた神様のフトコロ深く
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~日本史の「忘れ物」09 歴史学者のミスリード?~ ネクタイよりズボンだ!
~日本史の「忘れ物」08 天孫降臨の錯覚~ "天"は頭上だけではないゾ!
~日本史の「忘れ物」07 UFOの訪日と攘夷論~ とりあえずやっつけよう!
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~日本史の「忘れ物」03 信長と平和事始~ それは平和への戦いだった!
~日本史の「忘れ物」02 奥州四代の奇習~ また何を思ってミイラに?
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この記事へのコメント
ナチュラルインテリアの23位くらいのところにいます。
http://interior.blogmura.com/interior_natural/ranking_out.html
これからもよろしくお願いします。
それと私(ぽんぽこ、ペン太両方)のブログのブックマークのところに
住兵衛さんのブログのリンク貼らせてもらいました!
事後報告ですいません!
北野天満宮の隣に東向観音寺というお寺があるんですが
石碑に「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と書いてあります。
天満宮=菅原道真がコスプレした十一面観世音菩薩を祀っていますという意味ですよね。
ですが、寺では道真が掘った十一面観音をおまつりしていると説明していて
あれ~、と思いました。
お知らせありがとうございました。
「インテリア」の方も健在とのことで、
今後は新住所?の方へ伺います。
リンクの件は感謝感激あめミゾレです。
当方からもリンクを貼らせて頂きたいと思いますが、
何分にも、その編集手順を忘れてしまいましたので、
今少し試行錯誤のお時間をください。
また、「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」は
「道真サンの自作」であるというのが、どうも
「お寺の公式見解」になっているようですよ。
道真サンはぽんぽこサン同様に結構器用な方
だったのかも?(下記を参考にしました。)
http://everkyoto.web.fc2.com/report296.html