日本史の「言葉」05 唆(そそのか)す

~《言葉》は、実態を動かすパワーを秘めている~
ちょいとオカルトっぽい印象になりますが、実は現代日本人も
心の底ではこのことをキッチリ信じているのですね。
普段なにげに使っている「言葉」、実はこれがけっこう深い!

その一例です。
結婚式のスピーチの折に「切れる」「別れる」などの言葉を
避けたり、受験生の家庭で「すべる」「落ちる」などのの言葉を
慎もうとします。

ごく当たり前に考えれば、それを口に出したからといってその
せいで離婚や不合格の結果を招くわけでもなかろうに、それ
でもそれをけっこう律義に実行しているのですから、やっぱり
現代日本人も「言葉のパワー」を信じていることになります。

「迷信嫌いで科学好き」と自称する現代人にですら、その傾向が
あるからには科学知識が今ほど充分でなかった時代の人々は
もっともっと強く「言葉がもつパワー」を信じていたことでしょう。

これについては状況証拠があります。
「元寇」(1274年・1281年)の折、時の亀山上皇を初めとして
「敵が降伏するように」との祈願・祈祷が全国規模で展開されま
したが、その結果、運よく侵略を免れたとき、朝廷・公家の
お歴々は「敵を蹴散らしたのは、我々の祈祷・祈願(すなわち、
言葉のパワー)の賜物である」と固く信じ、また事実そのように
事後処理を行いました。

敵軍に対して、現実に鎌倉武士が武器を取って戦ったことを
評価するつもりもなかったし、事実しませんでした。
※このことは~日本史の「言葉」02敵国降伏~にも書きました。

そこで、今度は「唆(そそのか)す」です。
さて、この「唆す・唆される」ことを昔の人は一体どのように受け
止め理解していたのでしょうか?

現代人の感覚なら、おそらくはこう考えるところでしょう。
「唆(そそのか)された方が軽率だ!」
ところが、根っから言葉のパワーを信じていた昔の人たちの中
にはこう考えた人々も多かったのではないでしょうか?
「いいや、私の発した言葉のパワーが相手を動かしたのだ!」 

(ここから先はワタシの想像であり推測ですよ、念のため。)
そうすると、このとても便利なツール「言葉のパワー」は、折に
ふれ使われていたとも考えられるわけです。 
もちろんこれ使うのは「言葉のパワー」信者である朝廷公家の
お歴々であって、現実主義者である「武士」ではありません。

では、どんな場面で使ったのでしょうか?
最も考えやすいのは「手を汚す」必要がある仕事でしょう。
「元寇」の時も、侵略してきた敵に対して自らが「武器」を取る
ことはせず(つまり手を汚すことなく)、「祈り(言葉)」で降伏
させようとしているからです。

そこから、言葉(唆す)のパワーで「敵を倒す/自分達にとって
邪魔な敵を排除する/要するに暗殺教唆」の域まではそう遠い
ものでもないような気がします。

つまり、実行犯に向けて「唆(そそのか)す」を行ってみて、
仮に首尾よく「ターゲット」が死んだとすれば、それは「言葉の
パワー」がそうしたのであって、「唆(そそのか)した人間」本人
が、その暗殺を実行したことにはならないわけです。

しかも、この「唆(そそのか)す」ことは「呪詛」とは明らかに
違った側面を備えているのです。
「呪詛」は忌むべき悪意のパワーに他なりませんが、こちらの
「唆す」は少なくとも自分にとっては正義のパワーという解釈に
なりますから、つまりは自責の念とも無縁で済むわけです。

それどころか、むしろ「正義を行った」という満足感・達成感まで
味わえることになります。

つまり、「唆(そそのか)す」という行為は、「言葉」だけで済み
「手を汚す」必要もなく、「実行犯」は別に存在するので
「罪悪感」とは無縁の環境で、自分の「正義」が行える・・・
こういうことになりますから、これほど便利で強力なツールを
「言葉パワー」の信者たちが使わなかったはずがないのです! 

そこで、ひょいと思い出すのが「本能寺の変」(1582年)です。
謀反人・明智光秀は、朝廷・公家から「唆された」のではない
でしょうか?

~朝廷をコケにするような大悪人・織田信長がいなくなれば、
明智光秀君、キミこそ征夷大将軍の最有力候補者だよネ~
このくらいのことは耳打ちしていたかも知れません。

画像 それが意に反して「失敗」に終わっ
 たために、「唆(そそのか)した」側
 はダンマリを決め込んだ?
 言葉のやり取りですから、都合の
 良いことに「物的証拠」もナシ!

 朝廷・公家にとっては、セオリー通
 りの「言葉」だけで済み「手を汚す」
 必要もなく、「実行犯」は別にいて
 「罪悪感」を感じる必要もないし、
 さらには「証拠」も存在しない、
 「最強最上のプラン」」だった?

日本史にはこの手の「言葉のパワー」の熱烈信者も大勢登場
しますが、それには見向きもせず、まったく逆な発想を持つ人物も
います。 昭和の海軍大将・山本五十六の言葉。

「やって見せ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は
動かじ」

でも、平成にはさらにその逆を張るような人物もいます。
「手取り足取り教えられ、褒めて貰ったけれど、それでもやらない」
この手のヘソ曲がり、実はワタシです。


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~日本史の「言葉」04 女流名人~ 女流?・・・男女平等のハズではないか?
~日本史の「言葉」03 士農工商~ そうあって欲しかったイデオロギー?
~日本史の「言葉」02 敵国降伏~ みんなで祈って敵にダメージを?
~日本史の「言葉」01 もったいない~ なぜ日本語にしかない概念なのか?
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