日本史の「迷宮入り」02 黄金ネコババ事件

よく知られた「史実」の中にも、何かしら忘れ物をしたような感じの
「出来事」があります。たとえば、「AとBが・・・」の部分で切れて
しまって、この後が何なのか不明なままの感じ。
で、AとBが一体どうしたのだ! 「転んだのか?それとも豆腐でも
食っていたのか?」 実際、こう叫びたくなってしまいます。
 奥州藤原氏三代 出展:wikipedia
画像 ワタシなぞは「その後の奥州黄
 金」にそんな印象を持っている
 ので、「あの黄金はいったい
 どこへ?」と叫びたくなるワケ
 ですが、まあ感情的にならず、
 少し整理してみましょう。

 奥州藤原氏は、初代から順に、
 清衡・基衡・秀衡、そして四代・
 泰衡と続きますが、あの有名
 な「中尊寺・金色堂」は、初代・
 清衡によって1124年に建立さ
 れたとされていますから、
この頃の「奥州黄金」は間違いなく健在だったと思われます。

また、それ以後も「平泉は京に肩を並べるほど繁栄していた」
とか、「四代・百年に渡っての栄華が続いた」と説明されている
点からしても、滅亡の直前までその繁栄に翳りはなかった、
つまり、その時点でも「奥州黄金は健在」だったとの解釈を
とるのが妥当なところでしょう。

さて、ここにおいて、兄・頼朝に追われた義経が、三代・秀衡を
頼ってこの地・平泉に落ち延びてきますが、その「保護者?」
秀衡がまもなく死んでしまいます。
結局のところ、頼朝側の攻撃に遭った義経は殺され、秀衡の
後継者である四代・泰衡すなわち奥州藤原氏は滅亡。(1189年)

抜け落ちた印象というのはここで、一般的説明はその後の
「奥州黄金」の経緯について、あまりに触れなくなってしまいます。
簡単に言えば、関心がその後の義経(死んだのか生き延びた
のか)に集中し、その分その後の「奥州黄金」についての話題が
雲散霧消したかのような印象・・・

また、いくら名古屋生まれの「田舎っぺと言えども、勝利者・頼朝
にしたところで、「奥州黄金」の噂くらいは耳にしていたでしょうし、
もしそうなら「戦利品」として自分の物にしてしまうことも容易に
できたはずです。
しかし、そのような経緯がキッチリ伝わってる感じもありません。

では、頼朝でなくて、この「奥州黄金」の利権?を他の誰かが継承
したとしたらどうでしょうか?
しかし、この点においても割合にモノ静かな印象です。

さらには、そもそも「奥州黄金は健在」だったのか、それとも既に
掘り尽くされてしまって「枯渇」していたものなのか?
このことについても、ナゼかみんながダンマリです。

ワタシは知っていますが、昔から人間急に無口になる時は怪しい
のであって、大体は「腹の中」にケシカラヌことを溜め込んだ場合
なのです。 そんな意味からも、この場面にはそのセオリーに
ピッタリの雰囲気がプンプンしているように感じます。

確かに、その時までに堀り尽くされてしまってもう「産出」できる
ようなレベルではなかった、とする見方もあるにはあるようです。
これでしたら、「その後のウワサ?」にならなかったことも不思議
ではないのですが、一方ではそれとはウラハラな説明が存在して
いることもまた事実です。

それは、ず~っと後のことになりますが、17世紀の記録に「奥州で
結構な量の金を産出した」とする報告も残されていますし、また、
これは20世紀に入ってのことですが、明治政府が「奥州の金山」
を担保として欧米から「借金」をした、という事実も残っています。

この記録が正しいとしたら、欧米は担保に見合うだけの価値を
認めていたということですから、素直に解釈すれば20世紀まで
「奥州金山は健在」だったということになります。
う~む、こうなるともうワケがわからんワイ!

奥州藤原氏滅亡直後のドサクサまぎれに、誰かが上手いこと
「ネコババ」したのかも。
もし、そうなら厳しく「緘口令」も布いたでしょうし、当人達も徹底
した「情報管理」を行ったハズです。

そのために詳しいコトが今に伝わらなかった・・・という仮説は
自他共に認める面倒がり屋の安直かつ短絡的な結論という
ことになるのでしょうか?
それとも、これもまた横着な仮説ですが、藤原氏の「奥州金山」と
明治政府の「奥州金山」はまったくの別物だった・・・とか。

結局よく分からないままで、これではまことに尻すぼみの結論に
なってしまいますので、そのお詫びの印と言ってはなんですが、
どうでもいいお話をひとつ。

金を採集する道具の一つに「ねこがき」というものがあるそうで、
この「ねこがき」の網目にくっ付いた砂金を丁寧に集める作業を
主に若い女性が担当していたようです。

その作業を見張るのが先輩女性の役割で、こちらの方はどうも
チョクチョクくすねることもしていたらしく、そこで「コッソリくすねる」
ことは「ねこがきの婆」がよくやること、ということから「ネコババ」
いう言葉が生まれたようですヨ。 へい!お退屈さま!


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~日本史の「迷宮入り」01 なぜ”八”がデカいのか~ 名古屋も”八”はデカい!
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    Excerpt: こういうことに触れるのは一種の「タブー」であり「掟破り」かも 知れませんので、最初に~以下の推理?は全くの「空想」 であり「フィクション」である~ことを明確にお断りしておきます。 ※決して興味本.. Weblog: ヤジ馬の日本史 racked: 2013-01-30 22:32