日本史の「ツッパリ」04昭和軍閥の原点

A 「昔の話だけど、誰か”抜群”のことを”グンバツ!”なんてネ」
B 「そのグンバツでなくて、昭和軍閥のことを言っているノダ!」
A 「あ、思い出した。ケーシーだ、そうケーシー高峰だった!」
※この手の会話は無視した上で、今回のお話を進めます。

画像 「関ヶ原の合戦」は東軍・徳川家康に対して
 西軍・総大将には毛利輝元が就きました。
 これは「五大老」の家康に対抗するのが
 「五奉行」の石田三成では、いかにも格下
 ・・・との思いがあって、家康と同じ「五大老」
 である輝元に白羽の矢が立てられたもの
 でしょう。
 イラスト出展:Studio Robin

ところが、ここから先の輝元は「ポカ」の連続で、結局そのことが
ずっと後の昭和の戦争にまで大きな影響を及ぼします。
この後の歴史の流れを見れば、これは決して「言い過ぎ」とは
ならないでしょう。

まず第一に、輝元はこの西軍・総大将就任の件を重臣たちに
相談することもなく、独断専行で受けています。
コトの重大さを考えれば、あまりにも軽率な判断だったと批判
されても仕方がないところです。

その上、本番の「関ヶ原の合戦」では自らは出陣することもなく
大阪城に張り付いたままの有様で、これでは、何のための
西軍・総大将なのか分かりません。

さらに、「関ヶ原」の敗戦が決定的になるに及んで、部下が主張
する徹底抗戦論を退け、スタコラ大阪城から退去する行動に
出ています。
これは家康に「尻尾を巻いた」行動であることは否めません。

話はさらに展開します。 家康は断固輝元の「改易」を決めた
のですが、これは輝元の叔父・吉川広家の必死のとりなしに
よってなんとか免れることができました。 
しかし、結果的には、毛利家の所領は周防・長門の2ヶ国のみと
なって、120万石から37万石への大減封を喰らったのです。

収入を「三分の一以下」にされたら、家来・領民の暮らし向きも
さりながら、藩自体の財政も楽であろうハズがありません。
結局「財政破綻状態」になりましたが、それなりの理由もあって、
人件費削減のための「リストラ」さえも行わなかったのです。
 ※その理由は ~淀殿の青写真~ でも紹介したので割愛します。

辛酸をなめる・・・それもこれも「関ヶ原」における「殿様・輝元」の
チャランポランな行動が原因なのですが、家来・領民もそれは
さすがに面と向かって口に出せることではありません。

八つ当たり、と言えば確かにそうなのでしょうが、その分
「徳川憎し」の思いが募り、感情が高まることになります。
さて、話は一気に約260年後の「明治維新」まで飛びます。

このとき、薩摩藩と共に倒幕の先頭に立ったのが、この毛利の
「長州藩」であったことはご存知の通り。
高杉晋作、伊藤博文、桂小五郎(木戸孝允)、村田蔵六(大村
益次郎)など多数の志士を輩出していています。

その「倒幕」のエネルギーの源泉はどこにあったのか?
言うまでもなく、「徳川憎し」の感情であり、その元はと言えば
当然、「関ヶ原」以後の辛酸生活ということになるでしょう。

それに長州藩が「関ヶ原」で学んだことが、もうひとつありました。
それは、殿様や上役の意見より自分たちが信じる道を突き進む
べき、という固い信念、ツッパリです。
平たく言えば、「バカ殿」の命令なぞ無視する、ということです。

腰の定まらない殿様の判断に従ったがために、その後260年の
長きに渡る辛酸生活を続けるハメになったことを思えば、二度と
「関ヶ原」だけは繰り返したくない、という強固で悲愴な決意は
分からないこともありません。
でも、実は、これだけで話が終わったワケではないのです。

明治新政府成立の際には、倒幕の功労から新政府のスタッフと
して、長州の人間も少なからず重要な地位に就きます。

ただ、ここで問題なのは彼らの基本的な信条が「上司の意見より
自分たちが信じる道を突き進む」ことを是とするままに継承された
ことです。 つまり、「バカ殿」で味わったトラウマをまだ充分に
解消しきれないうちに、新政府の中枢を占めた、ということです。

だから、この遺伝子は日清・日露の戦争を経てなお「昭和」まで
強く受け継がれていくことになります。 昭和の一・一五や二・二六
などの「青年将校」の決起は、上官や天皇の考えよりも「自分たち
の信条を最優先する」ツッパリ姿勢
がハッキリ見てとれます。

その意味では、「関ヶ原」の結果は「明治維新」の原因を作り、
「維新」の結果が、また「昭和軍閥」の過激な思想を生んだ、と
言えるのではないでしょうか。
「関ヶ原」から「昭和軍閥瓦解」まで345年。

~歴史には流れがある~とか~歴史は繋がっている~とか
言われる「歴史の法則」の分かりやすい実例のひとつが、この
「関ヶ原」における毛利輝元なのかもしれません。

B 「だから”昭和軍閥”の源流は”関ヶ原”だ、とも言えるノダ」
A 「今わかった!石塚英彦の”まいう~!”は、ケーシー高峰の
  ”グンバツ!”が源流なんだ!確かに歴史は繋がっている!」
※やっぱり、この手の会話は無視した上で、お話を進めましょう。

~日本史の「ツッパリ」03吉宗と墓石牢~
~日本史の「ツッパリ」02崇徳の憤懣遺言~
~日本史の「ツッパリ」01金銀入歯組~


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