日本史の「パクリ」02ニ世と三代

さて、前回で家康による天皇家システムの「パクリ」に
ついて書いた。 ただ、ここにひとつの謎がある。
~なぜ、三代将軍・家光のお守りには「二世将軍」と書かれて
いたのか~という点である。 そんなもん、家光の計算ミスか
書き間違いに決まっている、の一言で片付けてはイケナイ。


画像
~ヤジ馬の日本史~ 前回の→日本史の「パクリ」01天照と東照

この、三代将軍・家光がなぜ「二世将軍」との思いを持っている
のかについては色々な見解・推理があるようで、その中には
家光は二代・秀忠の子ではなく、初代・家康の子ではないか?
との見方もある。 ※この場合、母親は乳母である「春日局」を想定。

家光兄弟の名前にはハッキリ違いがあることと、両親が注いだ
愛情量の差がその根拠になっているようだ。
根拠1>弟・忠長には父・秀忠の「忠」の字が含まれているのに、
     兄・家光にはそれがなく、逆に祖父・家康の「家」の字が
     入っていること。

根拠2>また、秀忠夫妻は次期将軍に弟・忠長を考えていたにも
     関わらず、それが家康の「鶴の一声」で兄・家光に
     決まったこと。

根拠3>さらには、その経緯から家光は父・秀忠を無視した上で
     「自分こそが家康の後を継いだ二世将軍である」との
     思いを強く抱いていたのだろう・・・家光の心情面での
     解釈はこうなっている。

無理なく納得できそうな説明ではあるが、それについては
以下のような解釈も成り立つのではないだろうか。

根拠1については、
家康が自分の「子」であるからという理由から、家光に「家」の字を
付けたとする見方は変だ。
家光が仮に本当に家康の「子」であったとしても、天下に向けては
あくまでも秀忠の子であるのだから、普通はこのようなことは
しないものである。
これでは「指紋や足跡をわざわざ残す泥棒」もどきになってしまう。
「家」の字を残すことから、「家康が怪しい」までは一本道である。

根拠2については、
家光の「ホモっ気」タップリの性格が問題になったモノだろう。
現代でこそさほどに珍しいことでもなく、「性格上の特徴」程度に
捉えられているが、当時のことであれば、秀忠夫妻がこれを
かなり衝撃的に受け止めてしまい、「性格破綻者」くらいに
考えたとしても決して不自然ではない。
要するに「性格破綻者」は天下人にふさわしくないという、
当時としてはごくごく常識的な考え方に過ぎない。

それを家康がひっくり返せたのは、人間のデキに関わらず
「長子相続」がベストと決めていたからに他ならない。 
事実、家康自身もさほど優秀でもない秀忠を自分の後継者と
して将軍職に就けている。 これからの時代には将軍個人の
資質・カリスマ性よりも、幕閣のチームワークの方が重要になると
判断していたからそのようにしたし、家光の場合もその延長線上
にあった、というだけの話なのだろう。
※ただし、長男・信康は既に死去、次男・秀康は結城家を継いでいるため、
  秀忠は「三男」になる。


問題は3の「二世将軍」の解釈になる。
「二世将軍」問題は現代人が認識する「現実世界」のことではなく、
当時の徳川家の心に存在した「宗教・信仰の世界」での話である
ことをきちんと踏まえておかないと話が横道に逸れてしまう。

最初に「神」があって、その子孫が代々天下を治めていくという
スタイルがそれであり、天皇家ではアマテラスを「神」として、
その子孫に当たる「人間」の代に入って初めて天皇となった。

ここで肝心なのは「神」であるアマテラス自身は天皇の代数に
カウントされていない、という事実である。
「皇祖神」は原点であり、ゼロ世代ということになる。

だったら、そのシステムを「丸ごとそっくりコピー」した徳川将軍家
におけるカウント方法も当然天皇家と同じということになる。

ということは、「神」であるアズマテラス(東照大権現)自身は
将軍の代数にカウントされない・・・ということだ。
「幕祖神?」は原点であり、ゼロ世代ということになる。

すると、天皇家の初代天皇が人間である神武であったのと
同様に、徳川将軍家の一世将軍は人間である秀忠(二代将軍)と
いうことになり、家光(三代将軍)が問題の「二世将軍」に当たる
ことは自明の理であろう。

信仰の世界では家康はあくまでも「東照大権現」すなわち「神」で
あって、人間ではない、ということをウッカリしてはいけない。
このようにカウントすれば「二世将軍」というのは、家光の計算ミス
とか書き間違いとか、という問題ではなくなり、見事な正解となる。

しかし、家光も後世の誤解などを招かないように「二世将軍」の
文字の横にカッコ書きでいいから「三代将軍」と併記して
おくべきではなかったか。 それが「親切心」というものだ。
その意味では、家光は敢えて後世の人間の勘違いを誘導した
結構意地悪い「愉快犯」だった・・・と言えなくもないゾ。


採点をお願いします→ 5バツグン 4よろしい 3まあまあ 2イマイチ 1スカタン
               ~励みになります。ご協力ありがとうございました。~

この記事へのコメント

2012年01月01日 09:22
面白い見方ですね。
神を代数にカウントしない。もしかしたら、そうかもしれないと思えてきます。
2012年01月01日 11:45
桃源児さん、コメントありがとう。
ちなみに「逆説の日本史」の井沢元彦氏は
~家光は秀忠・江の子ではなく、家康・春日局の間の子であり、家康の次に当たる「二世将軍」~の見解を採っています。ぜひ、またのお立ち寄りを!

この記事へのトラックバック

  • 日本史の「パクリ」01天照と東照

    Excerpt: 自分より遥かに豊富な歴史知識を備えた人が目の前に いたとしたら、アナタだってきっと羨ましいと思うだろう。 それと同様に、戦国の世で数多くの「お家滅亡」を見てきた 徳川家康にとって、一度も途切れる.. Weblog: ヤジ馬の日本史 racked: 2011-12-30 16:11