「歴史の宝庫」散歩コース

拙宅から散歩セカセカ15分のところに「熱田神宮」がある。
この熱田神宮周辺は、実は「日本史」の宝庫なのだ。
あまり自慢するのも嫌味になるから、そこはぐっとこらえて
控え目なご紹介に留めておこう。

その熱田神宮境内で一番大きな楠の木は、なんと日本武尊
(ヤマトタケル)のお手植え、ということになっている。
少しは驚く方もあろうが、おそらく根も葉もない話ではなく、
身元確かな「目撃者」があっての話と想像される。

それはともかく、熱田神宮と日本武尊との関わりは、この熱田
神宮に三種の神器・草薙剣(くさなぎのつるぎ)が祀られている、
とされていることからしても、決していい加減なヨタ話ではない。

その証拠に、神宮から徒歩10分くらいのところに日本武尊の墓
が、その先にはその妻・宮簀媛命の墓(古墳)もある・・・のだが
実はこちらはチョット怪しい?

日本武尊、草薙剣、熱田神宮の関係は「記紀」にもきちんと
紹介されているようなので、ご関心のある向きは読んでみる
のも一興かもしれない。
(頭が痛くなりそうなので私はパスしますが)
※草薙剣は「壇ノ浦」で海中に沈んだのではないか、とお考えの方は、
  「三種の神器」については諸説あることをお含みください。


また、神宮境内には「信長塀」の一部が残されている。
信長は桶狭間の合戦に向かう前に、この神宮に立ち寄り
「戦勝祈願」をしている。
今川義元を討ち取ったことでその願いが叶えられ、後日、御礼
としてこの「信長塀」を寄進したわけである。

「信長は無神論者である」とする見方が少なくないようだが
「戦勝祈願」した上に「寄進」までした人間が「無神論者」だとは
考えにくい。
そうすると、この「信長塀」の存在は「日本史の定説」を軽く覆す
ことができる「物的証拠」と言える。

私はトンデモなく凄い所を歩いているようである。
さらに足を進めてみよう。
熱田神宮のお向かい(西側)には、鎌倉幕府を開いた源頼朝の
生誕地がある。

しかし、どういうわけか「頼朝の生誕地」であることが地元人にも
あまり知られていないようなのである。
だから、地元の英傑として名前が挙がるのは圧倒的に信長・
秀吉・家康であって頼朝ではない。
地元の「名古屋まつり」においても、三人は「英傑行列」を率いる
当選組なのだが、残念ながら頼朝は落選組である。

敢えて弁護するなら、他の三人とは生きた時代が違っていた
ことがハンディになっているのかもしれない。
ただ、その頼朝を深く尊敬していた家康が、この頼朝の生誕地
(現在は寺)を手厚く遇したことは、一言お伝えしておくべきで
あろう。
門の扉に徳川家の「葵の紋」が入っているのはそのためである。

七里の渡し・熱田・名古屋・ヤジ馬
 ※ 「七里の渡し」跡 現在は公園になっています。

その頼朝の生誕地から少し南へ行くと、宮の渡し(七里の渡し)
がある。 東海道五十三次で唯一の海路である「宮~桑名」の
出発(出航?)地点である。
宮~桑名間の距離が「七里(≒28km)」あったことから、この名で
呼ばれたものだろう。
ちなみに「宮」とは、そもそも「熱田神宮」のことを、人々が親しみを
込めてそう呼んだことに始まるのである。

おそらくは、弥次さん喜多さんもここから舟に乗ったはずだ。
明治時代になって、この周辺の埋め立てが進んだため、現在では
ここから川を下って伊勢湾まで出ることになるが、当時は目の前
に伊勢湾が広がっていたはずである。
その風景は広重の「五十三次」にも記録されている。

広重・東海道五十三次・宮宿・七里の渡し・ヤジ馬
 ※広重 「東海道五十三次」 宮

この地域の歴史観光案内をもっと続けても、私は一向に構わない
のだが、度を越して嫌われるハメになってもいけないので、
本日はこの辺で勘弁してやることにしよう。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ご協力ありがとうございます。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

面白い
ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 「目次」 ~2012・03・31

    Excerpt: 気がついたら、スタートから半年ほど経っていましたので、 これを機会に今までの記事を一覧整理してみました。 今後ともよろしくご愛顧のほどお願いいたします。 by 住兵衛 Weblog: ヤジ馬の日本史 racked: 2012-03-31 15:00