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zoom RSS 日本史の「世界標準」24 一国平和はリスクを背負う

<<   作成日時 : 2018/06/10 00:01   >>

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どちらかと言えば、現代日本の国民感情には、自国の平和のみに絶対の
価値を置き、諸外国における紛争・対立などには割合に鈍感・無関心な、
いわば「一国平和主義」モードの中にあるようにも感じられます。

確かにこうした「平和」に絶対の価値を置く心情は、「戦争好き」よりは
よほど好ましいことかもしれませんが、しかし反面では、たとえば某国に
よって自国民が拉致されたことが明白な状況にあってさえ、その返還交渉
には、実力を備えた強大国にその口添えを要請しなければならない現実も
あるわけです。
自国民を自国の実力をもって取り返すことができないこの姿は見ように
よっては、独立国家としていささかトホホな印象もするところです。

ですから、こうした「一国平和主義」?的な在り方が国民の絶対的な
幸福に直結するものかと言えば、いささかの疑問も伴います。
実際そうした不幸は現実の歴史の中にも散見することができ、たとえば
これは日本国内の出来事ではありませんが、比較的新しい時代の20世紀を
眺めただけでも、例えば「チベット」国がその通りの経緯を辿っています。

平和を愛し信仰を大切にすることで成り立っていた、要するに国際的には
「一国平和主義」もどきの体制でいた「チベット」国に対して、その姿を
「スキありッ!」と見たのが当時の「中国共産党」政権(中国)でした。
平和を愛することを国是としていたチベット国に強大な軍事力が備わっている
はずもなく、そこで中国はまるで「赤子の捻る」がごときのやりようをもって
この「チベット」国を自国の一部として併合してしまいました。(1951年)
結果、その元・平和国家は、現在では「中華人民共和国・チベット自治区」
地域名で呼ばれているのですから、いやはや歴史の現実は冷徹です。

こうしたことは海外だけでに留まるものではありません。
昔々の日本史を辿るなら、「奥州藤原氏」などにもそうした傾向が感じられ
るところです。
中央政府(朝廷)の影響力が及ばない僻地?一帯の統一に成功した
「奥州藤原氏」はその後中央政府に対して、御挨拶程度のことはしていた
ものの、その機構に自らが好んで関わることまでは控えていました。

言葉を変えるなら、自分たち独自のライフスタイル・文化※を確立することで
栄華を手にする、いわば「一国平和主義」を選択していたとも言えそうです。
※たとえば、代々の支配者の遺骸をミイラにして遺す文化は中央には無い。

ところが、実際にはこの「一国平和主義」は、残念なことに、
〜我が奥州藤原氏は永久に不滅です〜とは運びませんでした。
軍事力を背景に中央で頭角を現した武士の棟梁・源頼朝(1147-1199年)の
甘言にコロっと騙される形で、その挙句に「百年の栄華」(1087-1189年)は
終焉し、ついには「御家滅亡」に至ってしまったのです。

その原因を、百年に渡り一国平和主義を貫いたことで他の存在に向けての
政治における掛け引き能力が低下してしまったことに、求めることができる
のかもしれませんが、ともかく奥州藤原氏の「一国平和主義」は残念ながら
〜永久に不滅〜とはならなかったというのが歴史の現実です。

さらに思い起こすなら、「江戸時代」もその通りだったかもしれません。
そこには、やっとのことで過酷な戦国の世に終止符を打てたことで、少しは
ホッとしたいという思いが芽生えたのかもしれませんが、この時代の先人
たちはまさしく「一国平和主義」に突っ走りました。
諸外国との煩わしい付き合いを避けた「鎖国」体制の道を選んだのも
おそらくはそのせいでしょう。

奥州藤原三代51 ダライ・ラマ51









     奥州藤原三代///ダライ・ラマ14世(チベット)
(上:清衡|右:基衡|左:秀衡) 

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幸運というか不思議というか、ともかくその「平和社会」はその後二百数十年に
渡って続きました。
海という天然の堀に囲まれた国土であり、その上に諸外国の動静にすら
無頓着でいられる「鎖国」政策を布いたのですから、ある意味徹底した
「一国平和主義」です。
ですから、この二百数十年間の「平和社会」は、かつて地球上のどの国家
もが経験したことのない最上級・究極レベルのものだったかもしれません。

前・天下人の血統である「豊臣家」を滅亡(1615年)させることで、戦国の世に
終止符を打った以後、武力を動員しなければならなかった騒動と言えば、
信仰絡みの「島原の乱」(天草一揆/1637-1638年)、あるいはその少し後に
なって、浪人(失業軍人)が決起した「由比正雪の乱」(慶安の変/1651年)
くらいでした。
しかも、これらの「乱」でさえ、国内を二分するような「内乱」規模の出来事
ではなく、新たに立った江戸幕府の政策に対する「不満表明デモ」?の
範疇に収まるレベルのものでした。

ここまでくれば、〜我が日本の平和は永久に不滅です〜となっていたと
しても不思議はありません。 ところがギッチョン。 
盤石であるはずのこの「一国平和主義」も、これまた続きませんでした。
「国土隔離」のための天然の巨大な堀だったはずの海を、なんと逆に
「航路」として利用する形で、諸外国が押し寄せるようになったのです。

慌てた日本は、接近を図る諸外国に対して、
〜我が国は鎖国をしておりますので、どうかお引き取りくださいませ〜
こんな頓珍漢な日本の意向を、素直に聞き入れるような諸外国では
ありません。 彼らは彼らで切実な事情を抱えていたからです。

〜我が国の捕鯨活動をさらに活発にするためにも、日本は開国しその基地と
  なる港を提供してほしい〜
 こう迫ったのがアメリカなら、ロシアはロシアで、
〜日本が開国し、冬でも凍らない港を提供してくれ、さらには食料などの
  流通機能を担ってくれることは、我が国のシベリア開発のためにも大変に
  ありがたいことであるぞよ〜


このアメリカ・ロシア両国の日本接近は割合に建設的な動機からであり、
さらにはそのアプローチも友好的なスタイルを踏んでいます。
しかし、ヨーロッパの列強国はそうでもありませんでした。
フランスはこの時期にやや出遅れた感じになりましたが、イギリスなぞは
お隣の清国(中国)を「アヘン戦争」(1839-1842年)でボッコボコにした
成功体験?があるだけに、日本に対してもそうした下心を抱きながら動いて
いたふしが感じられます。

いずれにせよ、江戸時代・日本の「一国平和主義」はこれらの外圧に
屈する形で、もろくも崩れ去りました。 
その結果としての「開国」は、まあ致し方のないことだとしても、その際の
諸外国に対する日本側の交渉能力は、あまりにも貧弱に過ぎました。
「一国平和主義」を謳歌している時期に、対外的な「交渉力」などは必用も
ありませんから、その能力・技術力が錆びついていくのは当然です。
別の言葉なら、「平和ボケ」に陥っていたということでしょうか。

実際諸外国に対する我が国の未熟でお粗末な交渉力では、海千山千の
諸外国を御すことは叶わず、結果として我が国にとんでもなく不利な
、いわゆる「不平等条約」の締結をもたらしています。
結果からみると、この「不平等条約」で被った我が国の損失は天文学的な
数字になるとされ、「明治時代」(1868-1912年)はこの不平等を解消する
ためにあったとする見方もあるほどです。

しかしまあ、この未熟な交渉力でも日本が「チベット」国のように、他国の
一部に組み込まれてしまうことにはなりませんでしたし、「奥州藤原氏」
ように滅亡に至ってしまうこともありませんでした。
望外のラッキーが重なったこともありますが、この結果にはやはり先人たち
の血のにじむ努力・奮闘があってのものということになるのでしょう。

そこで、間違いなくノンキな父さんの一人であろう筆者などは、この成り行き
を傍目八目的にこう眺めるわけです。
〜「一国平和主義」を採ることで、一つ間違えば亡国あるいは国土侵略の
  リスクを背負うくらいなら、これを選択することなく、ハナから  諸外国と
  足並みを揃えた、いわゆる「世界標準」でいけばいいのでは?〜


ところが、この考え方はとってもイケナイものだそうです。
〜国家が軍隊を備えることも、とりもなおさず「世界標準」に含まれる
  のだゾ。 それを可とするオマエは、つまりのところ「軍国主義者」で
  あるわけだナ?〜


これってモロに誤解で、じつはチョイとばかり違うんです。
〜一つ間違えば亡国あるいは他国の属国になるリスクがある〜
このことがメッチャとイヤであるだけでなく、その上に、
〜平和ボケしていると、天文学的な経済的損失を被るハメになる〜
こちらの方がさらにイヤなんですねぇ。
・・・何を隠そう、じつはワタシ、こう見えても筋金入りのドケチなんですッ。



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