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ヤジ馬の日本史

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ヤジ馬の日本史
ブログ紹介
日本の常識は世界の非常識?
そんな風土を培った「日本史」の不思議を
せっせとヤジ馬しよう! by 住兵衛
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部分に注目すれば ”大勢の人の姿”に、
全体を眺めれば ”人の顔”に見える不思議。
ならば、「日本史」こそは究極の ”だまし絵”
なのかもしれんゾ! by だまし絵師

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タイトル 日 時
日本史の「微妙」04 コトはその前日に済んでいた!
日本史の「微妙」04 コトはその前日に済んでいた! 若い頃は嬉しくて、齢を重ねごとにイヤになっちゃうのが「誕生日」です。  昨今の日本ではこれを「三ケタ」(百歳)まで伸ばす人も珍しくありませんが、 それでも、さすがに「四ケタ」「五ケタ」までは無理なようで、このへんが 動物界の長寿者である鶴(千年)や亀(万年)との違いかもしれません。 それはともかく、「人間五十年」という言葉もあった通り、平均的に先人達は 現代人ほどには長命ではありませんでした。 ...続きを見る

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2017/09/20 00:01
日本史の「付録」02 世の中には二種類の人間がいる
日本史の「付録」02 世の中には二種類の人間がいる 随分と昔の映画の中にこんなセリフがあったことをヒョッコリ思い出しました。  正義の人VS悪漢の対決が見せ場という、お約束通りの展開の「西部劇」で、 その中で正義の人が悪漢に向かって吐いたこんな言葉です。 〜世の中には二種類の人間がいる。 (建物に)ドアから入るヤツと   (お前のように)窓から入るヤツだ〜 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/09/15 00:20
日本史の「逆転」21 イトコ同士の真逆な信念
日本史の「逆転」21 イトコ同士の真逆な信念 戦国の世の最終勝者となり、江戸幕府を開いた徳川家康(1543-1616年)の 子孫にはこんな人たちも混じっていました。 家康→  三男・秀忠→庶子・保科正之(1611-1673年) 家康→十一男・頼房→三男・徳川光圀(1628-1701年) ここでの保科正之の父“秀忠”と、徳川光圀の父“頼房”とは、24歳離れた 兄弟(共に家康の子)ということですから、要するに正之と光圀は共に家康の孫 であり、両者は17歳違いの「従兄弟(イトコ)」の間柄ということになります。 ...続きを見る

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2017/09/10 00:01
日本史の「謎解き」27 生身の神は意思を持つ
日本史の「謎解き」27 生身の神は意思を持つ 21世紀に入ってから、いわゆる「イスラム国(IS)」による活発な?行動をよく 耳にするようになりました。 いわゆる「テロ」行為です。 ところが現代日本人には、その「イスラム教」に平均的に縁が薄いことも あって、その宗教的・政治的な背景までには充分な理解が及んでいません。 概ねこんな程度の大雑把な理解が精一杯なところでしょう。 ...続きを見る

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2017/09/05 00:01
日本史の「ツッパリ」20 後期高齢源氏の一念発起!
日本史の「ツッパリ」20 後期高齢源氏の一念発起! 「年寄りの冷や水」・・・簡単にいうなら、無分別に若者のマネをする高齢者を 冷やかしたり警告したりする時に使われる言葉です。  ところが歴史は、それとは逆に「年寄りの熱血」と呼びたくなるような人物も 登場させています。  たとえば、イマイチさえない状況にあった源氏が栄華を極める平氏に挑んだ 時代の源頼政(1104-1180年)なぞは確実にその一人と言えるでしょう。 ...続きを見る

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2017/08/30 00:01
日本史の「タブー」02 先駆者は良心の呵責を抱く
日本史の「タブー」02 先駆者は良心の呵責を抱く 征夷大将軍・坂上田村麻呂を派遣し、東北地方のいわゆる「征伐」が一応の 成果を収めたと判断した第50代・桓武天皇(737-806年)は、もう御用済みと ばかりに、現代で言う軍隊も警察も実質的に無くしてしまいました。  随分と思い切った行動に思えますが、桓武天皇自身はそうしたものを 無くしてしまうことで、平和な世の中が訪れると考えたのでしょう。 ...続きを見る

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2017/08/25 00:01
日本史の「事始め」15 日本の国旗はどう決めたの?
日本史の「事始め」15 日本の国旗はどう決めたの? 白地の中央に太陽(日章)の赤丸をあしらった日章旗(日の丸)を、いつ 日本国の国旗と決めたの? 突然にこんな素朴な疑問をぶつけられたら、 多分即答できない人の方が多数派だと思われます。 ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/08/20 00:20
日本史の「もしも」11 神仏系会員の匿名座談会
日本史の「もしも」11 神仏系会員の匿名座談会 キリスト教やイスラム教などいわゆる「一神教」において、数多の神サマ 仏サマが一堂に会することなぞは絶対にあり得ないことのひとつです。 なにせ、一神教の世界では「唯一」の存在ですから、それがグループに なったり集団になったりする概念はモトからありません。 ところが、これが日本の場合だと、決して無理難題というわけでも無くなって きます。 なにせ神サマだけでも「八百万」の上に、「数多」の仏サマが いらっしゃるのですから。 ...続きを見る

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2017/08/15 00:01
日本史の「信仰」08 時代は殉死を御法度に
日本史の「信仰」08 時代は殉死を御法度に 病死にせよ自然死にせよ、主君が亡くなった場合に家臣・従者や近親者が その死を悼んで「追い腹を切る」、いわゆる「殉死」は、戦たけなわの 「戦国時代」にはあまり流行らなかったそうです。 この時代に戦さ以外の理由で死んでしまったのでは、その分だけ戦力を低下 させてしまうわけですから、考えてみれば当然なのかもしれません。 ...続きを見る

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2017/08/10 00:01
日本史の「パクリ」12 頭のテッペンに”愛”がある
日本史の「パクリ」12 頭のテッペンに”愛”がある 工場作業や現場作業、はたまたオートバイに乗るときでさえ、現在は多くの 場合、”頭部”を守るヘルメットの着用が義務付けられています。 人体で最も大切で脆弱な部分が、その“頭部”に他ならないからです。 とは言うものの、丈夫さを優先させるあまり、それがデカすぎたり重すぎたり したのでは、本来の作業や動作に支障をきたすことにもなります。 仮にこれが原因で不測の事故を招いたとしたら、それこそ「本末転倒」です からね。 ...続きを見る

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2017/08/05 00:01
日本史の「誤算」05 ”盛者必衰”家康の回避方程式
日本史の「誤算」05 ”盛者必衰”家康の回避方程式 隣国の遠江・駿河を治める大大名・今川義元(1519-1560年)に屈する形で 人質生活を送ったのが、後に徳川家康(1543-1616年)と名乗ることになる 若き日の松平元康でした。 当主・元康自身が人質境遇ですから、その家臣達はほとんど奴隷?の扱いを 受け、そればかりか自領・三河は今川家の植民地?もどきの状況にあったと いうことになります。 ...続きを見る

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2017/07/30 00:01
日本史の「陰謀」22 歴史は勝者が作る・・・もの?
日本史の「陰謀」22 歴史は勝者が作る・・・もの? 〜歴史は勝者が作る〜という言葉があります。 新たに支配者となった「勝者」が、自らを正義とした主張に沿って次の時代の 社会秩序が構築されていくことを思えば、確かに説得力のある言葉です。 ...続きを見る

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2017/07/25 00:01
日本史の「忘れ物」25 列島民族生来の信仰DNA
日本史の「忘れ物」25 列島民族生来の信仰DNA 21世紀が明けたばかりの2001年、アメリカ「同時多発テロ(9・11)事件」が勃発 する半年前の3月12日のこと。  イスラム主義組織「タリバン」がアフガニスタンバーミヤンの大仏」(磨崖仏※) を爆破破壊するという大事件を引き起こしています。 ※「まがいぶつ」→そそり立つ岩壁に刻まれた仏像。 ...続きを見る

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2017/07/20 00:01
日本史の「災難」07 トレンドは出世から平和へ
日本史の「災難」07 トレンドは出世から平和へ 平和をドップリ享受している現代人からすれば幾分首を傾げたくもなる風潮 ですが、戦国乱世の時代には国民の中にも「戦争」が無くならないことを 期待する気分が濃厚にありました。  〜なんでまた、そんな「命懸け」の事態を望むのか?〜 理由は単純。  実は絶好のサンプル?が目の前に存在していたからにほかなりません。 ...続きを見る

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2017/07/15 00:01
日本史の「微妙」03 ちょい過激?平伏号泣絶叫
日本史の「微妙」03 ちょい過激?平伏号泣絶叫 東洲斎写楽(生没年不詳)なる謎の?絵師が突如出現(1794年)したのも、 また伊能忠敬(1745-1818年)が蝦夷地を初めて測量(1800年)したのも、 元号で表すならいずれも「寛政年間」(元年〜13年/西暦1789〜1801年)の 出来事になります。 ...続きを見る

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2017/07/10 00:01
日本史の「陰謀」22 暗殺犯が築いた千年栄華
日本史の「陰謀」22 暗殺犯が築いた千年栄華 「暗殺」とは、概略こんな説明になっています。 〜主に政治的、宗教的または実利的な理由により、要人を不意打ちで殺害   する行為〜 この説明に沿えば、明智光秀(1528-1582年)が決行した「本能寺の変」 (1582年)を「織田信長暗殺事件」と呼ぶこともできそうです。 ...続きを見る

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2017/07/05 00:01
日本史の「信仰」07 夫婦天皇の合葬は何のため?
日本史の「信仰」07 夫婦天皇の合葬は何のため? 夫に当たる第40代「天武天皇」(生年不明-686年)とその妻だった第41代 「持統天皇」(645-703年/女帝)、このこの「御夫婦天皇」が眠る「陵」 (桧隈大内陵/奈良県)は、「合葬陵」?の形式になっているとのことです。  ※天皇の諡号はいずれも崩御後に付けられたものですが、便宜上 ここでは   諡号を優先した表記にしています。 ...続きを見る

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2017/06/30 00:15
日本史の「もしも」10 ビビった家康”薩摩”を安堵
日本史の「もしも」10 ビビった家康”薩摩”を安堵 薩摩国島津氏の「当主」?※島津義弘(1535-1619年)は屈指の猛将として 「鬼島津」の異名でも聞こえた人物で、殊に「関ヶ原の戦い」(1600年)で示した 度肝を抜く行動は敵味方双方の語り草になったほどです。 ※異説もあり ...続きを見る

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2017/06/25 00:01
日本史の「誤算」05 佐渡への島流しと島送り
日本史の「誤算」05 佐渡への島流しと島送り 少しマニアックなクイズですが、以下の有名人?四人の共通点はなに? ○第84代・順徳天皇(1197-1242年) ○日蓮宗宗祖・日蓮(1222-1282年) ○後醍醐天皇側近・日野資朝(すけとも/1290-1332年) ○能楽の祖・世阿弥(1363?-1443年) ...続きを見る

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2017/06/20 02:40
日本史の「お国自慢」16 弘法サン”あゆち”に参上!
日本史の「お国自慢」16 弘法サン”あゆち”に参上! 筆者の生息地は、昔は「尾張国」、現在は「愛知県」と呼ばれています。  そこでヒョッコリ思い出したのが、とある「愛知県人」が宣(のたま)わっていた、 こんな御高説です。 〜ええか、よく聞け。 日本語「哲学」の語源はラテン語の“philosophia”だ。   これは“philo”が愛を、“sophia”が智恵を意味しているからして、要するに   「愛プラス知」で「愛知」なのだ!    つまり、「愛知県民」とは「哲学者」集団ということになるッ!〜 さらには、ダメ押しするかのようにこんな... ...続きを見る

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2017/06/15 00:01

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