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ヤジ馬の日本史

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ヤジ馬の日本史
ブログ紹介
日本の常識は世界の非常識?
そんな風土を培った「日本史」の不思議を
せっせとヤジ馬しよう! by 住兵衛
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部分に注目すれば ”大勢の人の姿”に、
全体を眺めれば ”人の顔”に見える不思議。
ならば、「日本史」こそは究極の ”だまし絵”
なのかもしれんゾ! by だまし絵師

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タイトル 日 時
日本史の「誤算」05 佐渡への島流しと島送り
日本史の「誤算」05 佐渡への島流しと島送り 少しマニアックなクイズですが、以下の有名人?四人の共通点はなに? ○第84代・順徳天皇(1197-1242年) ○日蓮宗宗祖・日蓮(1222-1282年) ○後醍醐天皇側近・日野資朝(すけとも/1290-1332年) ○能楽の祖・世阿弥(1363?-1443年) ...続きを見る

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2017/06/20 02:40
日本史の「お国自慢」16 弘法サン”あゆち”に参上!
日本史の「お国自慢」16 弘法サン”あゆち”に参上! 筆者の生息地は、昔は「尾張国」、現在は「愛知県」と呼ばれています。  そこでヒョッコリ思い出したのが、とある「愛知県人」が宣(のたま)わっていた、 こんな御高説です。 〜ええか、よく聞け。 日本語「哲学」の語源はラテン語の“philosophia”だ。   これは“philo”が愛を、“sophia”が智恵を意味しているからして、要するに   「愛プラス知」で「愛知」なのだ!    つまり、「愛知県民」とは「哲学者」集団ということになるッ!〜 さらには、ダメ押しするかのようにこんな... ...続きを見る

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2017/06/15 00:01
日本史の「災難」06 ”先取り維新”は悔し涙から
日本史の「災難」06 ”先取り維新”は悔し涙から いわゆる「黒船来航」(1853年)より半世紀ほど前のこと、鎖国体制にあった 日本の長崎港にイギリス軍艦が突如侵入するという事件がありました。 その軍艦の名から「フェートン号事件」(1808年)と呼ばれています。 ...続きを見る

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2017/06/10 00:01
日本史の「付録」01 旅人よ隠密バイトはいかが
日本史の「付録」01 旅人よ隠密バイトはいかが 「隠密」(おんみつ)とは、こう説明されています。 〜主君などの密命を受けて秘かに情報収集などに従事する者〜  要するに「隠れて秘密裏に」というところがミソですから、現代風にいうなら、 「スパイ稼業」、つまりは秘密諜報員/地下工作員/産業スパイもどきの イメージになるのでしょうか。 ...続きを見る

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2017/06/05 00:01
日本史の「油断」07 平成鈍感力は江戸ゆずり?
日本史の「油断」07 平成鈍感力は江戸ゆずり? 〜泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず〜 これは“黒船来航”(1853年)で慌てふためく幕府の姿を揶揄した幕末の 狂歌ですが、ただこの歌にはこんな誤解?を招く側面も備えています。 〜鎖国・日本に最初に到来した外国船がこの“黒船“〜 ...続きを見る

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2017/05/30 00:01
日本史の「微妙」02 蓬莱山の”左”にそれはある
日本史の「微妙」02 蓬莱山の”左”にそれはある 地理については、例えば本州の「北」端部には青森県があり、山口県なら 同じく「西」端部に位置するといった具合に、現代ではその位置を 「東西南北」で説明するのが普通です。 ...続きを見る

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2017/05/25 00:01
日本史の「言葉」24 西洋人がなぜ”南蛮人”なの?
日本史の「言葉」24 西洋人がなぜ”南蛮人”なの? こんな概念を「中華思想」と呼ぶそうです。 〜宇宙の中心である中国王朝の文化・思想のみが最高のものであり、   それを持たない周辺(辺境)の異民族は単なる野蛮人に過ぎない〜 ...続きを見る

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2017/05/20 00:01
日本史の「トホホ」23 家康の英断!集団高台移転
日本史の「トホホ」23 家康の英断!集団高台移転 筆者の生息地・名古屋市が自ら行ったアンケート調査の結果は・・・全国主要 都市の中で「魅力に欠ける街」、もっと直截な表現なら、「行きたいと思わない し、住民もお薦めできない街」としてトップ、すなわち魅力の順番ではダントツ の「ドベ」(名古屋弁で最下位/ビリ/ワースト1/テールエンドの意味)・・・ ...続きを見る

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2017/05/15 05:25
日本史の「冗談?」15 新政府は”借金清算”事業団?
日本史の「冗談?」15 新政府は”借金清算”事業団? 現代なら莫大な借金を抱えて返済不能に陥った場合、普通は会社は「倒産」、 個人は「自己破産」に至ることで、一応の決着はつくものです。 では、これが江戸期の「藩」の場合だったらいったいどうなるものなのか? ...続きを見る

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2017/05/10 00:01
日本史の「世界標準」21 宣教師仰天のニッポン女性
日本史の「世界標準」21 宣教師仰天のニッポン女性 日本に訪れた(1549年)最初のキリスト教宣教師フランシスコ・ザビエルより 十数年遅れて来日(1563年)したルイス・フロイス(1532-1597年)は、他の 宣教師と共に熱心な布教活動に努めるかたわら、日本滞在中の見聞録 「日本史」を著したことでもよく知られています。 ...続きを見る

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2017/05/05 00:01
日本史の「タブー」01 天下人を脅した鬼作左
日本史の「タブー」01 天下人を脅した鬼作左 徳川家康(1543-1616年)の祖父・清康、次いでその子・広忠、さらには家康と 徳川家三代に仕えた譜代の臣・本多作左衛門重次(1529-1596年)は、特に 武勇に秀でたものがあったことから、「鬼作左」と綽名されたそうです。 その豪胆さは、戦時ばかりか平時においても遺憾なく発揮され、主君・家康 にも遠慮なく諫言した人物としても有名です。 ...続きを見る

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2017/04/30 00:01
日本史の「事始め」14 流人”第一号”の半世紀
日本史の「事始め」14 流人”第一号”の半世紀 苦労の末に手にした自らの権力を我が子・秀頼に継承させるべく心を砕いた 晩年の豊臣秀吉(1537-1598年)は、その政権運営を配下の有力武将、 いわゆる「五大老」にサポートさせる体制を整えました。 その「五大老」の中には徳川家康・前田利家・毛利輝元らに混じって、 秀吉に可愛がられて猶子となった武将「宇喜多秀家」(1572-1655年)の名も ありました。 ...続きを見る

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2017/04/25 00:01
日本史の「微妙」01 江戸民族?のお仕事ぶり
日本史の「微妙」01 江戸民族?のお仕事ぶり 現代の「お仕事ぶり」はといえば、概ねのところ、「週休2日・40時間労働」が 一つの基準になっています。 もっともこれは建前であり、必ずしも遵守されているとは言い切れません。 過労死などの報道に接することも少なくないからです。 ...続きを見る

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2017/04/20 00:01
日本史の「陰謀」21 歴史用語はブランド志向?
日本史の「陰謀」21 歴史用語はブランド志向? 多数の人物、あるいは出来事の中から、傑出した三人(三つ)を選んで、 「三○○」とか「三大××」との名称を付けて呼ぶことはさほど珍しいこと でもありません。 たとえば人物なら、「三英傑」※1や「維新の三傑」※2が そうですし、出来事なら「江戸幕府の三大改革」※3もその法則?に バッチリ当てはまっています。 ※1 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康 ※2 西郷隆盛(薩摩)・大久保利通(薩摩)・木戸孝允(桂小五郎/長州) ※3 享保(将軍・吉宗)・寛政(老中・松平定信)・天保(老中・水野忠邦)... ...続きを見る

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2017/04/15 00:01
日本史の「災難」05 百姓って誰のことさ?
日本史の「災難」05 百姓って誰のことさ? 「士農工商」とは、元々は中国・儒教が生んだ概念であり、日本では 江戸時代の身分序列を表わしたものとされています。 ところが、その下にさらに付け加えた「士・農・工・商・穢多・非人」という 表現もあったようで、これが部落差別を連想させる不適切?な言葉と されました。 その共犯?と見做されたものか、現在では元々の「士農工商」までもが 放送禁止(自粛)の扱いになっているとのことです。 ...続きを見る

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2017/04/10 00:01
日本史の「列伝」15 できるの?藩主の脱藩
日本史の「列伝」15 できるの?藩主の脱藩 その藩の籍から離れ、主従関係を解消する「脱藩」・・・この経験を持つ人物は 幕末に限っただけでも、すぐさま何人かの名を挙げることができます。 たとえば、長州藩士・吉田松陰(1830-1859年)は、我が目で東北の状況を 確かめるべく旅行を計画したものの、藩の許可発行が遅れたため、しびれを 切らして出発・・・これで脱藩。 ...続きを見る

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2017/04/05 01:30
日本史の「女性」23 女帝の孤独は我が栄華
日本史の「女性」23 女帝の孤独は我が栄華 天武天皇(631?-686年)崩御の後、その座に就いた持統天皇※ (645-703年)は隠れた「使命感」を抱いていたようにも見えます。 それは、〜この後の皇位継承者は、自分が父「天智天皇」から   引き継いだ「正当な血筋」にある者でなければならない〜 つまり、自分の直系子孫だけが、正当な皇位継承者であると するものです。 ※38代・天智天皇の娘であり、40代・天武天皇の皇后 ...続きを見る

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2017/03/30 00:01
日本史の「発明発見」16 地球一周!と徳川埋蔵金?
日本史の「発明発見」16 地球一周!と徳川埋蔵金? 江戸幕府がまだ健在だった頃、すでに「地球一周」を成し遂げた 77人の侍たちがいました。 日米修好通商条約批准のために 米軍艦・ポーハタン号で、アメリカに派遣された「万延元年遣米 使節団」(1860年)の一行がそれです。 ...続きを見る

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2017/03/25 00:01
日本史の「信仰」06 ”お蔭参り”サポートします
日本史の「信仰」06 ”お蔭参り”サポートします 江戸期には前後三回※1の「伊勢参り」フィーバーが起こって います。 @1705年(宝永2年)/A1771年(明和8年)、そして、 B1830年(文政13年/天保元年)です。 いずれも、いわゆる「お蔭年」※2に当たるため、別の言葉では 「お蔭参り」とも言いました。 ※1 推定参詣者数は@Bでは人口の12%以上、Aでは同6%以上 ※2 ほぼ60年間隔で巡ってくる「式年遷宮」の翌年のこと ...続きを見る

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2017/03/20 00:01
日本史の「言葉」23 恐ろしいものを二人見た
日本史の「言葉」23 恐ろしいものを二人見た 明治時代に入ってからのこと、元幕臣・勝海舟(1823-1899年)が こんな回想をしています。  〜おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た。    それは横井小楠と西郷南洲とだ〜 この場合の「恐ろしい」 とは、「夜叉面もどきの怖い面構え」という意味ではなくて、多分 人物の「桁外れの大きさ」を言ったものだと思われます。 ...続きを見る

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2017/03/15 02:15

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