アクセスカウンタ

ヤジ馬の日本史

プロフィール

ブログ名
ヤジ馬の日本史
ブログ紹介
日本の常識は世界の非常識?
そんな風土を培った「日本史」の不思議を
せっせとヤジ馬しよう! by 住兵衛
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
部分に注目すれば ”大勢の人の姿”に、
全体を眺めれば ”人の顔”に見える不思議。
ならば、「日本史」こそは究極の ”だまし絵”
なのかもしれんゾ! by だまし絵師

zoom RSS ブログ 新着記事

タイトル 日 時
日本史の「災難」08 伝統打破?女帝の選択
日本史の「災難」08 伝統打破?女帝の選択 「蕎麦(そば)のマヨネーズ和え」とか、ワサビならぬ「ジャム入り握り寿司」 ・・・試してみたら、案外に美味しいのかもしれませんが、日本人の感覚と してはまあ首を傾げたくもなります。 これまでの食文化の伝統を根底から破壊したものになっているからです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/11/20 00:01
日本史の「タブー」03 コメ将軍の”贅沢は敵だッ”
日本史の「タブー」03 コメ将軍の”贅沢は敵だッ” 将軍本家ではなく御三家の一つ紀州藩の出身で第8代将軍に就いたのが 徳川吉宗(1684-1751年)で、後に「享保の改革」(1716-?年)と呼ばれた 幕政改革に乗り出しています。(将軍在任1716-1745年) そうした大仕事に敢えて取り組んだのも、本家出身でないことに幾分の 引け目があってのことだったかもしれません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/11/15 00:01
日本史の「怪人」17 ♪京の五条の橋の上
日本史の「怪人」17 ♪京の五条の橋の上 若武者・牛若丸(後の源義経/1159-1189年)と、後にその郎党となった 僧兵・武蔵坊弁慶(生年不詳-1189年)との出会いを、童謡「牛若丸」は このように歌っています。 〜♪京の五条の橋の上 大の男の弁慶が・・・〜 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/11/10 00:10
日本史の「誤算」07 我が死は三年間秘すべし
日本史の「誤算」07 我が死は三年間秘すべし 自領に迫った甲斐・武田信玄(1521-1573年)軍。 これを阻止すべく、 徳川家康(1543-1616年)が、屈強な自前の軍団「三河武士団」及び 織田信長(1534-1582年)軍との「連合軍」を率いて挑んだのが、 いわゆる「三方ヶ原の戦い」(1573年/現:静岡県浜松市)でした。 ところが、武田軍は圧倒的に強く、徳川織田「連合軍」はボッコボコに。 撃退どころか、こともあろうに大将である家康自身ですら命からがら本拠・ 浜松城へ逃げ帰る有様でした。 ちなみに、この時の家康は恐怖のあ... ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/11/05 00:01
日本史の「陰謀」23 正史だってウソをこく
日本史の「陰謀」23 正史だってウソをこく なにも推理作家・横溝「正史」(1902-1981年)氏がウソコキであると言って いるわけではありません。 そうではなく、ここでは歴史を語る際によく使われている歴史用語で 〜主に国家によって公式に編纂された歴史書〜と定義?されている 「正史」を指しています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/10/30 00:01
日本史の「冗談?」16 豪胆衝動買いに栄光あれ!
日本史の「冗談?」16 豪胆衝動買いに栄光あれ! 幕末に活躍した人物の一部については、その評価が分かれることもあります。 その行動を肯定的に捉えれば、間違いなく一種の「先駆者/功労者」という 評価になるものの、一面ではちょっとばかり首を傾げたくもなる行動も併せて 取っているということで、たとえば、幕末尊王攘夷の志士として一般的には 高い評価を得ている長州・高杉晋作(1839-1867年)。 この御仁についても、ネガティブな一面に目をやれば、こんな評価も成り立ち そうです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/10/25 00:01
日本史の「微妙」05 多重国籍?将軍の苦悩
日本史の「微妙」05 多重国籍?将軍の苦悩 艶福家として有名な?水戸藩主・徳川斉昭を父、またその正室である宮家 (有栖川)出身の吉子女王を母として、江戸・小石川の水戸藩邸で生まれた のが、江戸幕府最後の将軍となった第15代・徳川慶喜(1837-1913年)です。 ということは、慶喜の体には生まれながらにして「水戸藩()徳川家」と 「皇室(天皇家)」の両方の血が流れていたことになります。  ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/10/20 00:10
日本史の「トホホ」24 日蓮サン予言?の星取表
日本史の「トホホ」24 日蓮サン予言?の星取表 日本の歴史には、時として「日本人離れ」?した人物が登場します。  たぶん、日蓮宗(法華宗)宗祖・日蓮(1222-1282年)もそうした一人に 挙げていいのでしょう。 なにせ、みんな仲良くの「和」をモットーとする日本社会にあって、いわば 「唯我独尊」的なこんな主張をしていたのですから。 〜念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊〜  ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2017/10/15 00:01
日本史の「列伝」16 証文通りで何かご不審が?
日本史の「列伝」16 証文通りで何かご不審が? 現代社会で暮らすほとんどの人間には、社会通念として「公と私」という 観念上の境界線が存在しています。 〜「公」とは社会生活における自分(公人として)の立場であり、「私」とは   自分(私人として)のプライベートな生活〜  ごく大雑把に捉えるならこんなところでしょうか。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/10/10 00:01
日本史の「発明発見」17 情報新幹線の誕生と終焉
日本史の「発明発見」17 情報新幹線の誕生と終焉 〜殿中(江戸城内)において浅野長矩が吉良義央に刃傷に及ぶ〜 いわゆる「元禄赤穂事件」(1701年)の発端となった出来事ですが、 この第一報は、当時の常識を打ち破る“驚異的なスピード”をもって、 国許の赤穂まで届けられました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/10/05 00:01
日本史の「言葉」25 長い物には巻かれよ 戦国版
日本史の「言葉」25 長い物には巻かれよ 戦国版 〜勢力・権力のある者には逆らわないほうが身のためであるゾ〜 こうした意味の助言・忠告の格言が、〜長い物には巻かれよ〜 なかなかに説得力のある言葉ですが、幸いなことに、長い歴史の中には、 この言葉を彷彿とさせる出来事を見つけることができます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/09/30 00:01
日本史の「デジャブ」21 おデコの広さが命取り
日本史の「デジャブ」21 おデコの広さが命取り 顔面の上方にある“おデコ”(額/ひたい)の定義?は、一般的にこのくらいの ものでしょうか。 〜顔上部にある、眉(まゆ)と髪の生え際までの間のスペース〜 もっとも細かいことを言い出せば、その目印になる「生え際」の位置を特定 するのが困難な人もありそうですが。 しかしいずれにせよ、人体全体の大きさに比べたら、相当に「狭いエリア」で あることは間違いありません。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/09/25 00:01
日本史の「微妙」04 コトはその前日に済んでいた!
日本史の「微妙」04 コトはその前日に済んでいた! 若い頃は嬉しくて、齢を重ねごとにイヤになっちゃうのが「誕生日」です。  昨今の日本ではこれを「三ケタ」(百歳)まで伸ばす人も珍しくありませんが、 それでも、さすがに「四ケタ」「五ケタ」までは無理なようで、このへんが 動物界の長寿者である鶴(千年)や亀(万年)との違いかもしれません。 それはともかく、「人間五十年」という言葉もあった通り、平均的に先人達は 現代人ほどには長命ではありませんでした。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/09/20 00:01
日本史の「付録」02 世の中には二種類の人間がいる
日本史の「付録」02 世の中には二種類の人間がいる 随分と昔の映画の中にこんなセリフがあったことをヒョッコリ思い出しました。  正義の人VS悪漢の対決が見せ場という、お約束通りの展開の「西部劇」で、 その中で正義の人が悪漢に向かって吐いたこんな言葉です。 〜世の中には二種類の人間がいる。 (建物に)ドアから入るヤツと   (お前のように)窓から入るヤツだ〜 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/09/15 00:20
日本史の「逆転」21 イトコ同士の真逆な信念
日本史の「逆転」21 イトコ同士の真逆な信念 戦国の世の最終勝者となり、江戸幕府を開いた徳川家康(1543-1616年)の 子孫にはこんな人たちも混じっていました。 家康→  三男・秀忠→庶子・保科正之(1611-1673年) 家康→十一男・頼房→三男・徳川光圀(1628-1701年) ここでの保科正之の父“秀忠”と、徳川光圀の父“頼房”とは、24歳離れた 兄弟(共に家康の子)ということですから、要するに正之と光圀は共に家康の孫 であり、両者は17歳違いの「従兄弟(イトコ)」の間柄ということになります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/09/10 00:01
日本史の「謎解き」27 生身の神は意思を持つ
日本史の「謎解き」27 生身の神は意思を持つ 21世紀に入ってから、いわゆる「イスラム国(IS)」による活発な?行動をよく 耳にするようになりました。 いわゆる「テロ」行為です。 ところが現代日本人には、その「イスラム教」に平均的に縁が薄いことも あって、その宗教的・政治的な背景までには充分な理解が及んでいません。 概ねこんな程度の大雑把な理解が精一杯なところでしょう。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/09/05 00:01
日本史の「ツッパリ」20 後期高齢源氏の一念発起!
日本史の「ツッパリ」20 後期高齢源氏の一念発起! 「年寄りの冷や水」・・・簡単にいうなら、無分別に若者のマネをする高齢者を 冷やかしたり警告したりする時に使われる言葉です。  ところが歴史は、それとは逆に「年寄りの熱血」と呼びたくなるような人物も 登場させています。  たとえば、イマイチさえない状況にあった源氏が栄華を極める平氏に挑んだ 時代の源頼政(1104-1180年)なぞは確実にその一人と言えるでしょう。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/30 00:01
日本史の「タブー」02 先駆者は良心の呵責を抱く
日本史の「タブー」02 先駆者は良心の呵責を抱く 征夷大将軍・坂上田村麻呂を派遣し、東北地方のいわゆる「征伐」が一応の 成果を収めたと判断した第50代・桓武天皇(737-806年)は、もう御用済みと ばかりに、現代で言う軍隊も警察も実質的に無くしてしまいました。  随分と思い切った行動に思えますが、桓武天皇自身はそうしたものを 無くしてしまうことで、平和な世の中が訪れると考えたのでしょう。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/25 00:01
日本史の「事始め」15 日本の国旗はどう決めたの?
日本史の「事始め」15 日本の国旗はどう決めたの? 白地の中央に太陽(日章)の赤丸をあしらった日章旗(日の丸)を、いつ 日本国の国旗と決めたの? 突然にこんな素朴な疑問をぶつけられたら、 多分即答できない人の方が多数派だと思われます。 ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2017/08/20 00:20
日本史の「もしも」11 神仏系会員の匿名座談会
日本史の「もしも」11 神仏系会員の匿名座談会 キリスト教やイスラム教などいわゆる「一神教」において、数多の神サマ 仏サマが一堂に会することなぞは絶対にあり得ないことのひとつです。 なにせ、一神教の世界では「唯一」の存在ですから、それがグループに なったり集団になったりする概念はモトからありません。 ところが、これが日本の場合だと、決して無理難題というわけでも無くなって きます。 なにせ神サマだけでも「八百万」の上に、「数多」の仏サマが いらっしゃるのですから。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/08/15 00:01

続きを見る

トップへ

月別リンク

ヤジ馬の日本史/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる