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ヤジ馬の日本史

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ヤジ馬の日本史
ブログ紹介
日本の常識は世界の非常識?
そんな風土を培った「日本史」の不思議を
せっせとヤジ馬しよう! by 住兵衛
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部分に注目すれば ”大勢の人の姿”に、
全体を眺めれば ”人の顔”に見える不思議。
ならば、「日本史」こそは究極の ”だまし絵”
なのかもしれんゾ! by だまし絵師

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タイトル 日 時
日本史の「アレンジ」16 悲運に遭遇!公武合体
日本史の「アレンジ」16 悲運に遭遇!公武合体 「都市伝説」かもしれませんが、こんなお話が残されています。 ある時、舞踊家イサドラ・ダンカン※1(女性)が、作家バーナード・ ショー※2(男性)にこう言って結婚を申し込んだ。 〜貴男の頭脳と私の肉体を持った子供が生まれたら、   どんなにかすばらしい事でしょう〜  ところがショーはこう答えて辞退した。 〜私の肉体と貴女の頭脳を持った子供が生まれたら、   どんなにか大変ですよ〜 ※1 モダンダンスの祖と言われる(1878-1927年)アメリカ ※2 「皮肉屋」としても有名な作家... ...続きを見る

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2017/02/25 00:01
日本史の「陰謀」20 確信犯?”殺生関白”を吹聴す
日本史の「陰謀」20 確信犯?”殺生関白”を吹聴す 何が違うの?・・・大方はこのくらいの説明になっています。 摂政 → 天皇に代わって「政(まつりごと)を摂(と)る」       女性・幼年・病弱の天皇に代わって政務を執り行う。       いわば「天皇の代理人」で、政策決済権を有する。       ...続きを見る

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2017/02/20 00:01
日本史の「誤算」04 武士団スフィンクスに立つ
日本史の「誤算」04 武士団スフィンクスに立つ あまり有名な出来事ではない(筆者の無知?)かもしれませんが、 1864年のこと、備中国(現:岡山県)井原領主・池田長発 (ながおき/当時28歳/1837-1879年)をリーダーとした34名からなる 「遣欧使節団」が幕末の日本を離れ、遠くフランスへ渡航した 事実があります。  これより2年ほど前の「文久遣欧使節」を第1回とするなら、 これは第2回に当たるものでした。 ...続きを見る

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2017/02/15 01:35
日本史の「油断」06 龍馬はどれ?”○○屋事件”
日本史の「油断」06 龍馬はどれ?”○○屋事件” 寺田屋と池田屋・・・坂本龍馬(1836-1867年)の暗殺現場は どっちだっけ? 一瞬迷いが走りますが、どっこい、意地の悪いことに正解は 「近江屋」なんですねぇ、これが。 ちなみに(どうでもいいことですが)、筆者の町の「酒店」は 由緒正しく屋号「三河屋」を名乗っています。 ...続きを見る

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2017/02/10 00:15
日本史の「発明発見」15 霊薬は蓬莱島に”あつた”!
日本史の「発明発見」15 霊薬は蓬莱島に”あつた”! 〜不老不死 こんなものかと 見る造花〜  とあるお寺の掲示板で見かけた言葉ですが、思わず唸って しまいました。 〜うまい!座布団一枚ッ!〜 ...続きを見る

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2017/02/05 00:01
日本史の「デジャヴ」20 昔の古墳は今のオンカロ?
日本史の「デジャヴ」20 昔の古墳は今のオンカロ? 先進国と称される各国では、原子力発電所の使用済み核燃料 など、いわゆる「放射性廃棄物」の処理に大変な苦労をしている ようです。 なにせ、それが安全なレベルに達するまでには、ざっと10万年 の時間が必要とされているのですから、その間をキッチリ管理 することは確かに容易ではありません。 ...続きを見る

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2017/01/30 00:01
日本史の「信仰」05 無理を通せば”祟り”が怖い
日本史の「信仰」05 無理を通せば”祟り”が怖い 政界絶対の実力者・藤原不比等(659-720年)の三女として 生まれた光明子(701-760年)は、後に第45代・聖武天皇 (701-756年)に嫁ぎ、さらには史上初の「人臣皇后」にまで 上り詰めた(729年)ことで、別に「光明皇后」の名でも知られて います。 しかし、この〜皇族以外の者が「皇后」になること〜つまり 「人臣皇后」の出現は、この国の昔の昔からの伝統・ルールを 根底から覆す出来事でした。 ...続きを見る

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2017/01/25 00:01
日本史の「もしも」09 風前?日本版”アヘン戦争”
日本史の「もしも」09 風前?日本版”アヘン戦争” 七つの海を跨く「イギリス帝国」を構想し、世界各地に 「植民地」を拡大していたのが19世紀のイギリスです。  アジアにおいては、清国(中国)を標的とした「アヘン(阿片) 戦争」(1840-1842年)も、まさにそうした行動の一つでした。 ...続きを見る

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2017/01/20 00:30
日本史の「災難」04 複雑系?四兄弟の幕末維新
日本史の「災難」04 複雑系?四兄弟の幕末維新 いわゆる「幕末維新」のお話ですが、やや複雑系?の内容に なりますので、体調もしくは頭調が優れない方にはお奨め いたしておりません。 その点、悪しからずご了承ください。 ...続きを見る

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2017/01/15 00:01
日本史の「怪人」16 盗っ人伝説ねずみ小僧
日本史の「怪人」16 盗っ人伝説ねずみ小僧 創作上の人物とばかり思い込んでいた盗っ人「鼠小僧」(ねずみ こぞう)。 これが実在した人物だと知って、ちょっとビックリ。 〜顔は頬被り、「千両箱」を軽々と抱え、瓦屋根の上を身軽に   走り、ひと気のないところでフワリと路上に舞い下りる〜 映画ドラマで描かれる、いささか現実離れしたこんな姿が焼き ついていたからです。 ...続きを見る

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2017/01/10 00:45
日本史の「誤算」03 急進派・安兵衛の目論見
日本史の「誤算」03 急進派・安兵衛の目論見 「堀部武庸」(ほりべたけつね/1670-1703年)の名で、すぐさまピンと 来る人は少ないかもしれませんが、別の名乗りならかなりの 有名人と言えそうです。 チョンガー時代は「高田馬場の決闘」(1694年)の「中山安兵衛」 として、また所帯を持った後の「堀部安兵衛」の名は、赤穂事件・ 「吉良邸討ち入り」(1703年)浪士の一人としてよく知られている と思われるからです。 ...続きを見る

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2017/01/05 00:01
日本史の「謎解き」26 トンデモ?初代皇后の古墳
日本史の「謎解き」26 トンデモ?初代皇后の古墳 筆者の生息地・愛知県西部が「尾張」と呼ばれるようになった のは、こんな神話が元になっているそうです。(異説もあり) 〜「素戔嗚尊(スサノオ)」が怪獣「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)※」を   ずったずったに斬り倒したあと、その尾を割り裂いてみると、   中には一振りの剣があった〜  ※八つの頭と八本の尾を持ち、かつ八つの山と谷を渡るほどの巨大怪獣 ...続きを見る

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2016/12/30 00:20
ヤジ馬の日本史〜超駄級記事一覧〜 301-400編
ヤジ馬の日本史〜超駄級記事一覧〜 301-400編 これまでの記事が通算400本に到達したのを機に、 今回改めて直近100編(301〜399)を整理してみました。 全編が粒揃いの「超駄級」であるため、全国のヒマ人様からは 「時間潰し」のベストアイテムとしてご好評?を頂いています。                                   管理人:住兵衛 ...続きを見る

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2016/12/25 00:01
日本史の「怪人」15 販促イベント?北斎の達磨
日本史の「怪人」15 販促イベント?北斎の達磨 江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849年)には、 ユニークな逸話が数多く残されています。 たとえば、 ○改号すること30回? (異見もあり/「北斎」はその内の一つ) ○生涯に93回?の引っ越しを繰り返した。 ○どの住まいも掃除をすることなく「ゴミ屋敷」化が常だった。 ○金銭に無頓着なあまり極端な貧乏生活だった。 ○当時の「人名録」には「居所不定」と記録されてしまう。   →頻繁な引っ越しや長期旅行がその理由か? ...続きを見る

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2016/12/20 00:01
日本史の「信仰」04 災い列島!幕末の改元
日本史の「信仰」04 災い列島!幕末の改元 芳しくないことが続くと、〜それまでのことを水に流す〜とか 〜祓い給え清め給え〜などの神道的感性をもって、心機一転、 あるいは気分一新、つまり「仕切り直し」をしたいとする心根を 日本人は昔から持っているようです。 ...続きを見る

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2016/12/15 00:01
日本史の「誤算」02 就職浪人?五畳に引き籠る
日本史の「誤算」02 就職浪人?五畳に引き籠る 〜ボクも大人になったら、父ちゃんがみたいに「賀茂御祖神社」   (下鴨神社/京都)の禰宜※様になるのだッ〜 こう心に誓った幼い頃の鴨長明(1155-1216年)は、恵まれた環境に あって、いわゆる「お坊っちゃま」の日々を送っていました。  ところがハイティーンの頃、その父ちゃんが亡くなり、生活は 一変。 ※禰宜(ねぎ)=神職の職名で偉い順に、宮司/禰宜/権禰宜 ...続きを見る

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2016/12/10 00:01
日本史の「パクリ」11 SF?占領軍の”降臨と神器”
日本史の「パクリ」11 SF?占領軍の”降臨と神器” 日本とアメリカとの衝突、いわゆる「太平洋戦争」(1941-1945年)に おいて、ハナから勝利を確信していたアメリカ側は、かなり早い 段階から「日本占領統治」の準備も進めていました。 「近い将来の敗戦国」?の実態を把握しておくことは、円滑な 「占領統治」に欠かせない課題と判断していたためです。 ...続きを見る

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2016/12/05 00:01
日本史の「女性」22 手抜かり!戦国人質作戦
日本史の「女性」22 手抜かり!戦国人質作戦 官僚的能力には抜きん出たものを持ちながら、武勇面では イマイチの評価だったのが、豊臣秀吉(1537-1598年)の腹心・ 石田三成(1560-1600年)です。 それを案じたものか、秀吉は「忍城」※の攻略(1590年)をこの 三成に命じました。 最も落としやすい城と睨んだからです。 ※忍城(おしじょう)/戦国時代の関東七名城の一つ/埼玉県行田市 ...続きを見る

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2016/11/30 00:01
日本史の「事始め」12 与力”捨身の写真”撮り!
日本史の「事始め」12 与力”捨身の写真”撮り! 後に日本最初期の職業写真師のひとりに数えられることに なる上野彦馬が生まれたのは1838年。  奇しくもその翌年(1939年)、写真(銀板写真/ダゲレオタイプ)の 技術が発明されています。  ...続きを見る

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2016/11/25 00:01
日本史の「列伝」14 洗えば落ちるやもしれぬゾ
日本史の「列伝」14 洗えば落ちるやもしれぬゾ 戦国時代の日本に渡来した巡察師・ヴァリニャーノに同行し、 織田信長(1534-1582年)に謁見(1581年)後、その献上品?と された黒人がいます。 〜切支丹国より黒坊主参り候/年齢26−27歳ほど/   十人力の剛力/牛のように黒い身体〜 よほどビックリこいた出来事だったのでしょう、「信長公記」は このように書き残しています。 ...続きを見る

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2016/11/20 00:01

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