アクセスカウンタ

ヤジ馬の日本史

プロフィール

ブログ名
ヤジ馬の日本史
ブログ紹介
日本の常識は世界の非常識?
そんな風土を培った「日本史」の不思議を
せっせとヤジ馬しよう! by 住兵衛
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
部分に注目すれば ”大勢の人の姿”に、
全体を眺めれば ”人の顔”に見える不思議。
ならば、「日本史」こそは究極の ”だまし絵”
なのかもしれんゾ! by だまし絵師

zoom RSS ブログ 新着記事

タイトル 日 時
日本史の「災難」04 複雑系?四兄弟の幕末維新
日本史の「災難」04 複雑系?四兄弟の幕末維新 いわゆる「幕末維新」のお話ですが、やや複雑系?の内容に なりますので、体調もしくは頭調が優れない方にはお奨め いたしておりません。 その点、悪しからずご了承ください。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/15 00:01
日本史の「怪人」16 盗っ人伝説ねずみ小僧
日本史の「怪人」16 盗っ人伝説ねずみ小僧 創作上の人物とばかり思い込んでいた盗っ人「鼠小僧」(ねずみ こぞう)。 これが実在した人物だと知って、ちょっとビックリ。 〜顔は頬被り、「千両箱」を軽々と抱え、瓦屋根の上を身軽に   走り、ひと気のないところでフワリと路上に舞い下りる〜 映画ドラマで描かれる、いささか現実離れしたこんな姿が焼き ついていたからです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/10 00:45
日本史の「誤算」03 急進派・安兵衛の目論見
日本史の「誤算」03 急進派・安兵衛の目論見 「堀部武庸」(ほりべたけつね/1670-1703年)の名で、すぐさまピンと 来る人は少ないかもしれませんが、別の名乗りならかなりの 有名人と言えそうです。 チョンガー時代は「高田馬場の決闘」(1694年)の「中山安兵衛」 として、また所帯を持った後の「堀部安兵衛」の名は、赤穂事件・ 「吉良邸討ち入り」(1703年)浪士の一人としてよく知られている と思われるからです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/01/05 00:01
日本史の「謎解き」26 トンデモ?初代皇后の古墳
日本史の「謎解き」26 トンデモ?初代皇后の古墳 筆者の生息地・愛知県西部が「尾張」と呼ばれるようになった のは、こんな神話が元になっているそうです。(異説もあり) 〜「素戔嗚尊(スサノオ)」が怪獣「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)※」を   ずったずったに斬り倒したあと、その尾を割り裂いてみると、   中には一振りの剣があった〜  ※八つの頭と八本の尾を持ち、かつ八つの山と谷を渡るほどの巨大怪獣 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/30 00:20
ヤジ馬の日本史〜超駄級記事一覧〜 301-400編
ヤジ馬の日本史〜超駄級記事一覧〜 301-400編 これまでの記事が通算400本に到達したのを機に、 今回改めて直近100編(301〜399)を整理してみました。 全編が粒揃いの「超駄級」であるため、全国のヒマ人様からは 「時間潰し」のベストアイテムとしてご好評?を頂いています。                                   管理人:住兵衛 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/25 00:01
日本史の「怪人」15 販促イベント?北斎の達磨
日本史の「怪人」15 販促イベント?北斎の達磨 江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849年)には、 ユニークな逸話が数多く残されています。 たとえば、 ○改号すること30回? (異見もあり/「北斎」はその内の一つ) ○生涯に93回?の引っ越しを繰り返した。 ○どの住まいも掃除をすることなく「ゴミ屋敷」化が常だった。 ○金銭に無頓着なあまり極端な貧乏生活だった。 ○当時の「人名録」には「居所不定」と記録されてしまう。   →頻繁な引っ越しや長期旅行がその理由か? ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/20 00:01
日本史の「信仰」04 災い列島!幕末の改元
日本史の「信仰」04 災い列島!幕末の改元 芳しくないことが続くと、〜それまでのことを水に流す〜とか 〜祓い給え清め給え〜などの神道的感性をもって、心機一転、 あるいは気分一新、つまり「仕切り直し」をしたいとする心根を 日本人は昔から持っているようです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/15 00:01
日本史の「誤算」02 就職浪人?五畳に引き籠る
日本史の「誤算」02 就職浪人?五畳に引き籠る 〜ボクも大人になったら、父ちゃんがみたいに「賀茂御祖神社」   (下鴨神社/京都)の禰宜※様になるのだッ〜 こう心に誓った幼い頃の鴨長明(1155-1216年)は、恵まれた環境に あって、いわゆる「お坊っちゃま」の日々を送っていました。  ところがハイティーンの頃、その父ちゃんが亡くなり、生活は 一変。 ※禰宜(ねぎ)=神職の職名で偉い順に、宮司/禰宜/権禰宜 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/10 00:01
日本史の「パクリ」11 SF?占領軍の”降臨と神器”
日本史の「パクリ」11 SF?占領軍の”降臨と神器” 日本とアメリカとの衝突、いわゆる「太平洋戦争」(1941-1945年)に おいて、ハナから勝利を確信していたアメリカ側は、かなり早い 段階から「日本占領統治」の準備も進めていました。 「近い将来の敗戦国」?の実態を把握しておくことは、円滑な 「占領統治」に欠かせない課題と判断していたためです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/12/05 00:01
日本史の「女性」22 手抜かり!戦国人質作戦
日本史の「女性」22 手抜かり!戦国人質作戦 官僚的能力には抜きん出たものを持ちながら、武勇面では イマイチの評価だったのが、豊臣秀吉(1537-1598年)の腹心・ 石田三成(1560-1600年)です。 それを案じたものか、秀吉は「忍城」※の攻略(1590年)をこの 三成に命じました。 最も落としやすい城と睨んだからです。 ※忍城(おしじょう)/戦国時代の関東七名城の一つ/埼玉県行田市 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/11/30 00:01
日本史の「事始め」12 与力”捨身の写真”撮り!
日本史の「事始め」12 与力”捨身の写真”撮り! 後に日本最初期の職業写真師のひとりに数えられることに なる上野彦馬が生まれたのは1838年。  奇しくもその翌年(1939年)、写真(銀板写真/ダゲレオタイプ)の 技術が発明されています。  ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/11/25 00:01
日本史の「列伝」14 洗えば落ちるやもしれぬゾ
日本史の「列伝」14 洗えば落ちるやもしれぬゾ 戦国時代の日本に渡来した巡察師・ヴァリニャーノに同行し、 織田信長(1534-1582年)に謁見(1581年)後、その献上品?と された黒人がいます。 〜切支丹国より黒坊主参り候/年齢26−27歳ほど/   十人力の剛力/牛のように黒い身体〜 よほどビックリこいた出来事だったのでしょう、「信長公記」は このように書き残しています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/11/20 00:01
日本史の「忘れ物」24 沖を通るは北前船か廻船か?
日本史の「忘れ物」24 沖を通るは北前船か廻船か? 〜荒れた天候によって江戸への航路が閉ざされていた年、   紀州のミカンを、家に残ったボロい大船にドッチャリ積み   込むや、猛烈な嵐の中を江戸まで運んだ〜 史実か伝説なのかは幾分あいまいなところがありますが、 ともかくこんな命懸けの行動が「紀伊國屋文左衛門」 (1669?-1734年)のエピソードのひとつとして語られています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/11/15 00:01
日本史の「災難」03 ゆるネーム?”蛤御門の変”
日本史の「災難」03 ゆるネーム?”蛤御門の変” 幕末期、それまで共に御所の護衛に当たっていた長州藩は、 同僚?の会津藩・薩摩藩から、突如として締め出しを食らい、 京から追放される立場になりました。 いわゆる「八月十八日の政変」(文久3年/1863年)です。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/11/10 05:15
日本史の「デジャヴ」19 傾奇者トークと”路上”歌舞伎
日本史の「デジャヴ」19 傾奇者トークと”路上”歌舞伎 恒例の(第4回)名古屋“やっとかめ文化祭”(←リンク)が、本年も 10・29(土)〜11・20(日)の約3週間に渡って開催されています。 〜まちじゅうが舞台の「芸どころ・旅どころ・なごや」の祭典へ〜 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/11/05 00:01
日本史の「陰謀」19 はぁ?ダイバーシティ?バンシャ?
日本史の「陰謀」19 はぁ?ダイバーシティ?バンシャ? 「東京大改革」と銘打って小池新都知事は3つの柱を掲げました。 (1)セーフ シティ (2)ダイバーシティ (3)スマート シティ 都民ではないものの、筆者もこれを耳にしてちょっとビックリ! 〜(1)と(3)はともかくも、(2)の「ダイバーの街」はいかにも   拙いだろう・・・潜水士やスキューバダイバー向きの街づくり   が「大改革」に直結するとは思えないッ!〜 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/10/30 00:01
日本史の「怪人」14 マルチ人間の栄光と挫折
日本史の「怪人」14 マルチ人間の栄光と挫折 日本列島の住民?は昔々から「鰻/ウナギ」を食べていた ようで、その証拠に遥か昔の「新石器時代」(紀元前8000年〜) の遺跡からも、鰻の骨が発見されています。 さらには、これまた古い「万葉集」(7世紀後半〜8世紀後半)にも、 鰻を題材にした大伴家持(718年頃-785年)の歌が残されている そうです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/10/25 00:01
日本史の「お国自慢」15 愚直と創意ふたりの作者
日本史の「お国自慢」15 愚直と創意ふたりの作者 戦国の覇者・織田信長(1534-1582年)の一代記「信長記」には、 太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に 小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあります。 両者を区別するために、一般的には 牛一版を「信長公記」(1600年頃?)、甫庵版を単に「信長記」 または「甫庵信長記」(1611年頃?)と呼んでいます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/10/20 00:01
日本史の「発明発見」14 コミック版”逆説の日本史”
日本史の「発明発見」14 コミック版”逆説の日本史” ひょんなことからこんな情報に遭遇しました。 大発見?です。 〜単行本+文庫版などでシリーズ累計510万部を突破した   ベスト&ロングセラー・井沢元彦著「逆説の日本史」を   「大人の学習漫画」として、本日より15回にわたって   オールカラーで連載します!〜 (要約) ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/10/15 00:01
日本史の「列伝」13 スケベ?は大奥に嫌われる
日本史の「列伝」13 スケベ?は大奥に嫌われる 現在とは政治システムが大きく異なるため、必ずしも的確とは 言えませんが、「江戸城」の機能を大雑把に捉えれば、概ね こんなイメージになるのでしょうか。      「表」→本丸が幕府政庁/現在の「国会議事堂」? 「奥(中奥)」→将軍の政務所  /現在の「首相公邸」?    「大奥」→将軍の私邸   /現在の「首相私邸」? こういうことなら、将軍の公的業務と私的生活は、場所的にも 一応の区別がなされていたことになります。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/10/10 00:01

続きを見る

トップへ

月別リンク

ヤジ馬の日本史/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる