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zoom RSS 日本史の「タブー」06 かくして御家は滅亡する

<<   作成日時 : 2018/06/05 00:01   >>

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平清盛(1118-1181年)を頂点として朝廷を凌ぐほどの栄華を誇った
平家一門の隆盛ぶりを、同門にあった平時忠はこう評したそうです。
〜一門にあらざらん者はみな人非人なるべし〜
(現代言葉に直した〜平氏にあらずんば人にあらず〜が有名)

ところが、一時期はこの言葉の通りに飛ぶ鳥を落とす勢いを示していた
平家も、この少し後には滅亡(1185年)に至っています。
源氏VS平氏のガチンコ対決は、「一の谷の戦い」(1184年)、「屋島の戦い」
(1185年)と続き、最終決戦?の形になった「壇ノ浦の戦い」(1185年)まで、
平氏はあれよあれよの三連戦三連敗を喫してしまったからです。

この敗因には源氏側に天才軍人・源義経(1159-1189年)がいたことが
挙げられそうです。
要するに、源氏VS源氏のガチンコ三連戦で、投げては三試合連続完封、
打っては三試合連続逆転ホームランという、現代に例えるなら、大リーグ・
エンジェルスの大谷翔平選手もどきの義経による超人的な活躍によって、
平家側が完膚なきまでにボッコボコにされてしまったことが平家滅亡の
直接の原因になったわけです。

しかし一方では、「平家滅亡」の原因を、平氏による武家政権でありながら、
その政策が武士階級を満足させるだけの充実度を備えられなかったという
事実に求めることもできるのかもしれません。
平家政権は自ら一族に対する配慮はともかくも、広く武士階級全体に渡る
要望?世論?に対してはとんと鈍感な体質を備えていました。

平氏政権のそうした未熟さに、いわゆる「カイゼン」を加える形で、平家
滅亡後に登場したのが源氏政権でした。
それまで朝廷に対しては奴隷もどきの待遇でしかなかった武士階級が、
備えた武力を背景に一定の権限を握ることで源頼朝(1147-1199年)を
トップ(征夷大将軍)に据えた武士政権「幕府」を建て、これまでの朝廷政治
から半独立?した政治機構を勝ち取ったのです。

この時代のことですから、その「将軍職」は頼朝の血統によって代々に
分かり引き継がれていくはずでした。
なぜなら、朝廷と対峙する姿勢を見せその実績を示した頼朝こそは、
武士階級にとって「希望の星」だったからです。
〜政治を鎌倉殿(頼朝)に委ねておけば、武士階級は安心安泰〜
といったところでしょうか。

事実、初代・頼朝の後を二代・頼家(頼朝嫡男/1182-1204年)、三代・実朝
(頼朝次男/1192-1209年)までは、その通りに運んでいます。
ところが、これ以降の史実では二代・頼家も三代・実朝も暗殺に倒れると
いう、まったく「想定外」の事態を招いています。

このあたり、例えば「暗殺実行犯」などについては割合に知られている
ところですが、実際にはその背景に武士団の「世論」?が反映されていた
と見る方が妥当なのでしょう。
一定の権利を勝ち取ったとは言うものの、武士階級の人間には朝廷公家に
対する一種の身分的コンプレックスを払拭できずにいました。
ですから、朝廷公家の衆とお友達付き合いをすることで、この心情から
解放されようとばかりに、二代・頼家も三代・実朝も、次第に「朝廷寄り」の
立ち位置に身を置くようになっていきます。

朝廷と対峙してナンボの立場であるにも拘わらず、そこから逸脱するかの
ような姿勢をみせるようになっては、武士階級にとってもはや「希望の星」
どころか、むしろ「百害あって一利なし」の存在です。
かくして、三代・実朝の暗殺をもって頼朝の血統は断絶し、早い話が
その御家は滅亡してしまいました。

もっとも、後になって自分の娘の入内運動に躍起になり、朝廷との姻戚関係
を熱望した初代・頼朝の姿勢も、明らかに武士の期待を裏切るものでした。
ですから、表向きは「落馬が原因」とされている死因についても、息子達
(二代・頼家/三代・実朝)と同様に「暗殺説」が囁かれています。
要するに、当初はともかくとして、後には頼朝自身も武士の世論?に思い
をすることができず、「希望の星」になり切れなかったということになります。

かくして、栄華を極めた平清盛の御家も、武士政権を立ち上げるという
大功績を成した源頼朝の御家も、まことに呆気なく滅亡に至りましたが、
後世には、さらに「天下人」の御家が滅亡したという歴史もあります。

平清盛21 豊臣秀頼51








平安時代・平清盛/戦国時代・豊臣秀頼

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それが、豊臣秀吉(1537-1598年)が興した豊臣家です。
秀吉の同僚であった明智光秀(1528-?1582年)による主君・織田信長
(1534-1582年)に対する謀反、いわゆる「本能寺の変」(1582年)直後の
混乱を巧みにさばききった秀吉は、織田家乗っ取りを成功させることで、
その後の天下を掌握しました。

元々身分の低かった秀吉は、朝廷から新たに「豊臣」姓を賜って体裁を
整えるや、「関白」という準皇族?の地位にまで上り詰めました。
天皇に次ぐ身分と言っていいのかもしれません。
ただ、その絶大な権力の継承には大きな難儀が伴いました。
後継者・秀頼(1593-1615年)があまりにも若い、というより幼いと表現
する方が似合う年齢だったからです。

秀吉が亡くなった時、後継者・秀頼は小学一年生ほどの年齢。
平和な時代の企業においてさえ、小学一年生が「社長」を務めるのは
無理なことで、ましてや弱肉強食の戦国の世において「天下人」の立場に
立とうというのですから、尋常な事態ではありません。

むろん、家臣たちによる誠心誠意のサポートはあるにしろ、相手にする
のは海千山千の者ばかりです。
そうした者たちに囲まれて、なおかつ天下人・「豊臣家」の立場を死守し
なければならないのですから、ちょっくらちょいと運ぶものではありません。

実はこの時、家臣たちの世論?に耳を傾けるなら、豊臣家が生き残る道が
あったのかもしれません。
全国ナンバーワンの優良企業?から、見栄や体裁を捨てた一中小企業?
に衣替えする方法です。
しかし、その方法を選択することはありませんでした。
これは秀頼自身の意向というより、先代・秀吉の奥様、つまり秀頼にとっては
母親である「淀殿」(1569?-1615年)の意向を反映したものだったのでしょう。
〜亡き父チャン(秀吉)の遺産?は何が何でも守り通さなくっちゃ〜
といったところでしょうか。

実際、この後においても、淀殿はツッパリ続けました。
仮に、一中小企業に衣替えして生き残ったとしても、それでは、
〜亡き父チャンの遺産を守り通した〜ことにはならないからです。
かくして、かつてはその父チャンの家臣であった徳川家康(1543-1616年)
とのガチンコ戦争「大坂の陣」(1614年/1615年)を展開する羽目に陥り、
遂には秀頼・淀殿は自害に追い込まれたばかりか、さらには御家「豊臣家」
までをも滅亡させるに至りました。

先の清盛・平氏にせよ、頼朝・源氏にせよ、この秀吉・豊臣氏にせよ
その栄華はまことに短く、そして滅亡は呆気なく襲ってくるものです。
その視点に立つと、逆に徳川家康の凄さに気付かされます。

天下を掌握した後も、かつての平清盛も源頼朝も成し得なかった、
その血統による政権維持という大事業を、その後二百数十年に渡り
継続させたのですから。
しかも、その後の明治維新という史上有数なドラスティックな政権交代劇に
際しても、「徳川家滅亡」を招くことはなかったのです。

これらを整理すると、こんな言い方もできそうです。
〜貴族化した権力者はその座を追放され、その御家は「滅亡」に至る〜
これは、その昔の平清盛にも源頼朝にも、さらには戦国の世の豊臣秀頼
にもばっちり当てはまる方程式?です。

ですから、皆さんも御家滅亡を避けるためには、充分に「貴族化」に
ご留意くださいね。
そのあたりを、親切心から友ダチにもアドバイスしたところ、
〜ウン、確かにそうだ! オレも「貴族化」には気を付けよう〜

日頃はヘソ曲がりな奴なのに、打って変わって妙に素直ではないか。 
ところが、案の定逆襲が・・・
〜オマエ(筆者のこと)にはその自覚がないのかもしれないが、ええか、
  オレが「貴族化」するより、オマエが「裸族化」してしまう可能性のほうが
  遥かに高いのだぞ〜
 ・・・どうよ、この可愛気のない悪態! 
道理でアイツに友達が少ないハズだッ!



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