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zoom RSS 日本史の「誤算」08 加賀一揆共和国の百年記

<<   作成日時 : 2018/04/05 00:01   >>

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〜「来世」を信じる者は(現世での)死を恐れない〜
なぜなら、「来世」とは「現世」の苦労や悩みから解放された文句のつけようも
ない素晴らしい場所であるとされているからで、こうした傾向は日本に限らず
たとえばイスラム教過激派(原理主義)兵士の挑む行動(自爆テロ)などにも
感じられるところです。

もっとも本当に素晴らしいかといえば、実際に「来世」へ行って再び「現世」へ
舞い戻った者による「現地レポート」?というわけでもないので、あくまでも
信仰上における「真実」ということになりますが。

実は日本にも同様に、来世を素晴らしい場所と信じる言葉があります。
「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど/「厭」は<えん>)とも。
〜苦悩多いこの穢れた世(現世)から離れたい・・・そして心底願い求める
  のは浄土(来世)である〜


生(現世)より、むしろ死(来世)を熱望している印象になります。
しかし筆者なぞは現世での死を必ずしも熱望してはおりませんので、
この点念のために申し添えておきます。
何を隠そう、神仏に怠慢な筆者などは、その「来世」が浄土ではなく、
ひょっとしたら地獄あたりになる心配もないではないからです。

さて、このように〜「現世での死」がなんぼのもんじゃいッ!〜くらいになると、
人間は結構思い切った行動が取れるようになるのは必然です。
例を挙げるなら、室町時代の中期以降に盛んに起こった「土一揆」
(民衆による政治的要求活動)にもそうした傾向が現れています。
なかでも、本願寺(一向宗)の門徒・信徒たちが中心になった「加賀一向一揆」
(1488頃-1580年)には、とりわけ目立ったものがあり、死を恐れぬその集団の
熱意は「自分たちの国」、いわゆる「惣国」までうち建てたほどです。

「惣国」とは、あまり馴染みのない言葉ですが、
〜大名領主を半ば無視?して、国内の国人・土豪・地侍の団結・合議により
  自営する政治体制(一種の共和制)〜

共和制とは、平たく言えば「王様を持たない政治体制」ほどの意味です
から、要するに、中央政府(幕府)から派遣された代官(守護)も不用だし、
地元の実力者もおジャマ虫以外の何物でもないとする、一種の独立国、
いわば「加賀一揆共和国」?ほどのイメージになるのでしょうか。

政府を相手に回してこうした行動を取ることは、モロに「無政府主義」
(アナキズム)であり、また「反体制活動」ですから、死を恐れていているよう
では到底実行に移せるものではありません。
このハードルを「加賀惣国」の人々、要するに「共和国国民」?の多くは
一向宗(浄土真宗/本願寺)に対する篤い信仰心によって乗り越えました。

〜信徒は、死んだら阿弥陀如来が仕切る極楽浄土に生まれ変わり(往生)、
  そこで如来様の御指導を得て仏に成る(成仏)〜

一向宗の教えはこうなっています。
そして、その「成仏」をとっても素晴らしいことだと信じる者が信徒ということ
ですから、言葉を換えれば信徒は「厭離穢土 欣求浄土」という堅固な思想の
下にあり、その行動パターンは必然的に、
〜「来世」を信じる者は(現世での)死を恐れない〜ということになります。

ちょうどその時期のこと、室町幕府は「応仁の乱」(1467-1477年)の混乱に
よって機能麻痺の状態に陥っていました。
そんな有様を尻目に、この地・加賀の本願寺と国人たちがスクラムを
組むことで、守護の追放など、要するに中央政府の影響力を排除した
「加賀一揆共和国」?を誕生させたのです。

もちろん幕府とて、指をくわえて眺めていたわけではありません。
当然のごとく「惣国解体」に動き出しましたが、「惣国」側はそれをやすやすと
跳ね返しています。
幕府自体がガタガタの末期的状況にあったことも一因でしょうが、理由の
一つには、「惣国国民」?の士気に高いものがあったことも挙げられそう
です。 そのココロは?・・・それが、
〜厭離穢土 欣求浄土〜であり、さらには信仰による強い連帯感・・・
この場合は一向宗ですから〜我らの合言葉は阿弥陀如来だッ!〜

顕如51 一向一揆旗51












浄土真宗宗主・顕如/進者往生極楽 退者無間地獄


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こうした強い団結心を備えた「共和国」でしたが、弱点も抱えていました。
信仰はともかく、政治では全くの素人の集まりということもあって、この折角の
「惣国」を組織として引っ張っていくだけの強力な指導力を持つリーダーに
恵まれなかったことです。
〜阿弥陀如来の前では皆平等〜 これが一向宗の教えですから、あるいは
誰か特定の人間に突出した権限を持たせることにいささかの躊躇が働いて
いたのかもしれません。

それにしても、これが趣味のサークルや同好会程度の集まりならともかく、
曲がりなりにも「独立国家」?なのですから、やはり具体的な運営方針や
国家百年の大計を打ち出せる強いリーダーが不可欠でした。

そうした存在がなかったため、共和国の継続的な運営方法に有効な改革に
手を加えられないでいるうちに、まことに皮肉な成り行きですが、この
「共和国」は、後に自らが持ち得なかったその「強力な指導力」を備えた人物に
屈することになります。 その相手とは、
独裁者?カリスマ・リーダー?織田信長(1534-1582年)でした。

国内秩序に馴染まない存在「惣国」を解体・解散させることは、本来なら
中央政府である室町幕府の仕事のはずですが、それが放置されたまま
だったので、その長年の宿題を一介の尾張の成り上がり者?織田信長
手を付けたということになります。

その解体経緯の詳細については承知していませんが、おそらくは場所に
よっては激しい戦闘も展開されたことでしょう。
これより10年ほど前に、いわゆる「比叡山焼き討ち」(1571年)を決行した
御本人・信長が相手だったからです。

戦争に宗教が絡むと、寺を守るために僧はもちろんのこと、信徒たちは
女姓・子供を含めて武器を取り、あるいは後方支援など一緒になって戦闘に
加わるため、近代戦争のように戦闘員・非戦闘員の明確な区別はつけられ
ません。
そのために、犠牲者の数はどうしても増えることになります。 
ですから、この「比叡山焼き討ち」においては、比叡山側は僧侶のみならず
女子供まで含めて三千人余の犠牲者を出したといわれるはどに激しい
戦いになっています。

おそらくはこの「加賀惣国」も同様な状況を呈したことでしょう。
信徒たる者は女性や子供までを含め、「厭離穢土 欣求浄土」を合言葉として、
例外なく勇猛果敢に戦闘に加わるのですから無理もありません。

しかも一向宗の総元締めである「石山本願寺」宗主・顕如(1543-1592年)は、
お膝元の「石山合戦」(1570-1580年)において、信徒に向かってこんな激を
飛ばしていたというお話もあります。
「進者往生極楽 退者無間地獄」
〜ここで必死こいて戦かう信徒は極楽浄土へ往生できるが、
  戦わぬ者・退く者は、間違いなく無間地獄に堕ちるぞよ!〜

おそらくは同様な激を、この加賀惣国に向けても飛ばしたことでしょう。

信心の総元締めからそんなことを言われちゃったら戦わざるを得ません。
誰だって「地獄行き」を楽しいとは思いませんからね。
〜地獄行きは御免だ・・・オレはやっぱり浄土の方へ行きたい〜
こう思う信徒に残された道は、玉砕覚悟の徹底抗戦しかないということです。

こうした信徒たちの姿を「イスラム教過激派(原理主義者)兵士」に倣って、
現代風に表現するなら、顕如は「一向宗過激派兵士」?を輩出させていた
ということにもなるのかもしれません。

ともかく、「百姓の持ちたる国」と呼ばれたこの「加賀独立共和国」?は
約百年(1474?-1580年)の歴史を刻んだ末に、信長の登場によって遂に
滅亡?解散?の途を辿りました。
一向宗の総元締めである「石山本願寺」が、天皇の仲介を得て信長との
和議に応じたのが、この「加賀惣国」解散?と同じ1580年だったことは
偶然ではないでしょう。
ちなみに、時の政権「室町幕府」は「加賀惣国」解体より一足お先に滅亡
(1336-1573年)に至っています。

こうした目線で眺めてみると、古今東西、宗教というものは魂の救済と
背中合わせに、あるべき死生観を麻痺させてしまいかねない怖い一面も
併せ持っていると言えるのかもしれません。

その点、宗教・信仰には折り紙付きのズボラ者でナマケ者の筆者なぞは、
ハナから死生観の麻痺には縁がありませんが、他人様からこんな説教を。
〜えぇか、まったくもって信心に欠けるお前の魂なんぞは誰も救ってくれん
  ぞよ。 仮に救えるとしたらダ、それは「ザル」か「ポイ」くらいしかないゾ〜


言語明瞭ながら意味不明なので首をひねっていると、
〜「ドジョウすくい」(ザル)か、「金魚すくい」(ポイ)だと言ってるのッ!〜
「魂の救済」という高次元のテーマをダジャレで返すような奴は、死んだら
間違いなく「無間地獄」に堕ちますよねぇ・・・きっとなら。



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