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zoom RSS 日本史の「災難」09 国難!朝廷幕府の異質な対応

<<   作成日時 : 2018/01/30 00:01   >>

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世界征服を目指すがごときに領土拡張を続けた超大国・が、大海に浮かぶ
島国・日本に目をつけ征服を目指したのが、いわゆる「元寇」(蒙古襲来)
でした。 それは前後二度に及び、その一度目を「文永の役」(1274年)、
そして二度目を「弘安の役」(1281年)と呼んでいます。

ちっぽけな「ド田舎国」を狙って、世界に冠たる超大国がガチンコで襲い
掛かろうというのですから、狙われた国(つまり日本)はたまったものでは
ありません。
悪くすれば「国が亡ぶ」・・・普通の国なら緊迫の危機感をもって外交など
あらゆる手段を駆使して、ともかく戦争回避に努めるものです。
それにより多少の不利益を被ったとしても、「国が亡ぶ」ことに比べたら
よほどマシだからです。

ひょっこり開戦して運悪く敗戦ともなれば、仮に「亡国」までは至らないに
しても、被占領国には新たな課題が突き付けられのは目に見えています。
新たな戦争が起きようものなら、前線兵士として駆り出されるのは被占領国の
国民であるということです。
現にこの「元寇」でも、これより以前に元との戦争に敗れてしまった
高麗人がそうした役目を強いられていました。

そればかりか、被占領国・高麗は他国侵略のための「船舶」の建造まで
押し付けられています。 この時代の「敗戦」とは、戦勝国の奴隷になる
ことを意味していたといえるかもしれません。

そうした現実をまったく知らなかったとはさすがに思えませんが、この時の
日本はに対して一貫して「超」が付くほどの強気の姿勢を崩さず、一切の
妥協を排した姿勢で臨んでいます。
というより「妥協できない事情があった」というのが正しいかもしれません。
なぜなら、時の鎌倉幕府は武家政権、言葉を換えれば「軍事政権」だった
からです。

「軍事政権」は強気こそがウリであって、売られたケンカは買わなくては
なりません。 そうでないことにはその「存在意義」が根底からひっくり返って
しまうからです。

余談ですが、周辺国家及びその他の諸外国からいくら御意見をされても、
一向に高飛車な態度を崩さない21世紀現代の「北朝鮮」の姿は、そうした
意味でも「軍事政権」であるという現実を物語っているのでしょう。

それはともかく、では当時の日本国の場合、武士の対極の位置あって、
およそ軍事とは無縁の平和主義者?である朝廷・公家衆はどうしたのか。
こちらの方々とて、決して「亡国」を望むものではありません。
では、穏やかな「平和交渉」を期待したのかと言えば、ところがギッチョンで、
実はこちらも元に対する、「超」が付くほどの強硬姿勢を崩さなかったのです。

〜我が国を攻めるなぞ笑止千万! 穢れた夷(野蛮人)が何を偉そうに
  吠えているのじゃ、顔を洗って出直して来いでおじゃる〜

要するに、現実的な力関係などを吟味した結果ではなく、自らの思い込み
(信仰?)から出てくる姿勢です。

ところがこうした事情が重なってみると、「元に対して絶対に頭を下げない」と
する点では、奇しくも朝廷側・幕府側双方の意見は完全に一致していること
になります。 ただ「意見の一致」はここまでで、朝廷と幕府のその後の
対応には、真逆ともいえる姿がありました。

執権・北条時宗(1251-1284年)の指示により、元軍の上陸地点と予想
される九州北部方面の防衛力増強に努めるなど、具体的な戦争準備に
取り掛かったのが「軍事政権」である幕府。
ここで「うっかりミス」などあろうものなら、それこそ「高麗」の二の舞ですから、
その準備は神経をすり減らすようなシンドイ仕事だったと想像されます。

実際、この時宗は辛うじて国土防衛を果たした二度目の「元寇」(弘安の役)
の三年ほど後(満34歳)に亡くなっています。
ストレスの塊のような日々がもたらした、今でいう一種の「過労死」?だった
かもしれません。 では、他方の朝廷公家衆はいったい何をしたものか?

北条時宗02 敵国降伏02-10











上)祈祷派?亀山上皇の「敵国降伏」
左)武闘派?北条時宗/





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武士ではないこともあって、前線の戦闘には直接の参加はしません。
では、物資輸送や施設建設などの後方支援を担ったのか?
実はそれらも全面的にスルーしています。
そもそも「軍事とは穢れた所業である」という信念(信仰?)の持ち主たち
ですから、これはある意味やむを得ないことかもしれません。

その代わりに、現代人の目からすれば多少奇妙な印象になりますが、
全国の寺院神社に対して、国の無事を願う「祈祷」を号令し、この運動?を
熱心に行いました。
「穢れた夷(外国)に蹂躙される」・・・こんな未曽有の事態を招くハメに
なれば、自分たちの信念・信仰さえそれこそ根底から覆されてしまうわけ
ですから、こちらも真剣で必死です。

その時の熱心さの証拠の一つを現代でも確認することができます。
元寇の際に「筥崎宮」(福岡市)の神門に掲げられた扁額がそれで、そこには
国家の安泰を願った亀山上皇(第90代天皇/1249-1305年)の宸筆で
「敵国降伏」と書かれています。
要するに、これに似たこと(敵が降伏するための祈願・祈祷)が全国各地の
寺院神社で取り行われたということです。

つまり、当時の日本には、
〜武力侵攻に対しては、当方も武力をもって対峙しなければ国は守れない〜
と考える人種(武士)と、それとは別に、
〜そんな荒々しいことはダメで、ひたすら平和(敵国降伏)を祈願するのが
  正しい道でおじゃる〜
 
と考える人種(朝廷・公家)の二種類の人達がいたことになります。

このあたりの発想や実行手段には、21世紀日本の国防意識を連想させる
ものがあります。
与党〜戦後の平和が長く続いいているのには、安保条約と自衛隊の存在が
     大きく寄与している〜
 この考えに対し、
野党〜なんちゅう粗雑な思想なのだ! 戦後の平和が続いたのは軍事の
     備えによるものではなく、平和を願う「平和憲法」(日本国憲法)が
     現に存在していたからに他ならないッ〜


「願えば叶う」とする思考には、元寇の折の朝廷・公家衆の感覚にちょっと
ばかり似たところがあって、21世紀先進国を自負する国家の思想としては、
ちょっとばかり微笑ましい雰囲気が漂っています。

お話が逸れましたが、大きな幸運(荒天/神風)も重なって、ともかく結果と
して、「元寇」の企てがが成就されなかったことはご存知の通りです。
ただ問題は、「敵を撃退できたその勝因」がどこにあったのかという点での
双方の事後検証です。
前線で直接に敵と相まみえた武士にすれば、当然こうなります。
〜そんなもん、最終的な勝利は我らが命がけで戦ったことで得られたもので
  あるッ!〜


ところが、朝廷・公家衆はそんな考え方を微塵も持ちません。
〜バカこいてはイカン! 最終的な勝利は、そんなもん、マロたちが力を
  合せて命がけの祈願を展開したことが決め手になったのは明々白々の
  事実でおじゃる〜


実際この溝は容易に埋まるものではなく、朝廷は実質的な日本側最高司令官
である北条時宗の働きさえ認めるものではありませんでした。
確かにこの「元寇」の後に、時宗には、15歳で「従五位上」を受けて以来
20年ぶりの昇叙がありましたが、それは「正五位下」※でたった一段階だけの
「昇叙」・・・要するに、朝廷が時宗を最高殊勲選手?の働きとは認めて
いなかった何よりの証拠です。
※あまりにお気の毒と思ったのかどうか、この北条時宗に対し、明治政府は
  最高ランク「正一位」に次ぐ「従一位」を追贈。 (1896年/明治29年)

それどころか、陰ではこんな思いを抱いていたのかもしれません。
時宗を初めとする武士団なんて奴らは、しこたま乱暴な手段を用いた結果、
  この清浄なる国土を夷(野蛮人)の血で汚した不埒者どもであるッ〜


ひょっとしたら、この「元寇」の折に朝廷・公家衆が抱いたこの信仰・思想は、
その後も廃れることなく連綿と継承され、現代の野党に受け継がれたと言える
のかもしれません。

で、友人にこんな感想を漏らしてみました。
〜なぁ、祈願・祈祷を熱心にすることで「国を護れた」と信じ切っていた朝廷・
  公家衆の姿って、「平和憲法」さえあれば戦争は起きないと考える人達と
  どこか似ていないか?〜 

これに対する友人の回答。
〜端的に言えば「至誠天に通ず」ということだなぁそれは・・・しかしダ、
  美しい言葉ではあるが、所詮それは都合の良い信仰に過ぎないッ〜


えらく過激で断定的な物言いに、筆者が首をひねっていると、
〜えぇか、オレは「至誠天に通ず」の言葉を信じ、真心を込めて「宝クジ」を
  買った上にダ、毎日の願掛けも決して欠かすことがなかったが、結果は
  「ハズレ」だった・・・よってもって「至誠天に通ず」とは、決して真理を
  突いてはおらず、むしろ最大級の「迷信」に過ぎないのだッ〜

なんだ、その程度のことなら妙にカッコウ付けた言い回しなんかするんじゃ
ねえッてんだッ!



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