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zoom RSS 日本史の「微妙」05 多重国籍?将軍の苦悩

<<   作成日時 : 2017/10/20 00:10   >>

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艶福家として有名な?水戸藩主・徳川斉昭を父、またその正室である宮家
(有栖川)出身の吉子女王を母として、江戸・小石川の水戸藩邸で生まれた
のが、江戸幕府最後の将軍となった第15代・徳川慶喜(1837-1913年)です。
ということは、慶喜の体には生まれながらにして「水戸藩()徳川家」と
「皇室(天皇家)」の両方の血が流れていたことになります。 

しかも、慶喜が生まれたこの水戸藩は、徳川将軍家を支えるべく「御三家」の
一つという家柄にありながら、初代藩主・徳川光圀(家康孫/1628-1701年)
の時代から、いささか特異な「思想」を備えていました。

お話は幕府開設者である徳川家康(1543-1616年)が、幕府の公式学問として
「朱子学」を取り入れたことに始まります。
光圀はこの「朱子学」を熱心に追及し、結果として光圀なりの真理?を獲得
します。 それが、
〜将軍家は親戚頭に過ぎず、天皇家こそ真の主君である〜
徳川御三家という、破格の立場にありながら、随分と思い切った考えですが、
これが光圀にとっては「真理」?ということですから、心に何らの迷いが生じる
ものでもありません。

ですから、この「真理」?は家訓?として連綿と継承され、水戸藩の
アイデンティティ?にもなっていったわけです。
ということは、それよりずっと後のこととはいえ、この時代の慶喜も幼い頃
からこの「思想」を叩き込まれていたことになります。
なにせ初代藩主以来、連綿と守り続けてきた伝統の「家訓」なのですから。

そして一方では、母親の実家が「宮家」ということもあって、慶喜
「天皇家/皇室」に対する親しみ・敬愛の念には人並みならぬものが
ありました。
時代のイタズラというべきか、こんな境遇にあった慶喜が紆余曲折を経た
末に、なんと徳川第15代将軍の座に就く(1867年)ことになったのです。 
当の慶喜からすれば、「天皇家」にハートがありながら、ボディは「将軍家」に
置くような感じで、心が落ち着かないったらありゃしない。

しかし、時代は幕末。
その「将軍」の立場は、「討幕」を目論む薩摩・長州を初めとする雄藩連合と、
幕府存亡を懸け渡り合うことが最大の役目になっていました。
当然、新将軍・慶喜には多くの課題が押し寄せます。

そんな中にあって、結局慶喜は「天皇家に弓を射る」ことができませんでした。
「三つ子の魂百までも」と言われる通り、幼いころ頃から叩き込まれた
「親・天皇家」の感情を捨て去ることができなかったということかもしれません。
そこで、拡がる討幕運動を回避せんがために、機先を制する形で政権返上に
及びました。 いわゆる「大政奉還」(1867年11月)です。

従来の政治構造の一角が崩れれば、あとは雪崩の如く大来な変革が
押し寄せることになります。
事実、この2ケ月後には「王政復古の大号令」(1868年)によって、「天皇親政」
のための体制作りが行われ、併せてこの時「幕府の廃止」が宣言されました。

265年の長きに渡った江戸幕府の歴史は、ここに実質的な終焉、平たく
言えば「御用済み」?を通告され「解散」を余儀なくされたわけです。
それでも新政府樹立側は「幕府」及び「将軍慶喜」に対する追及を緩める
気は微塵もなく、同日、この慶喜に対して「辞官納地」※を命じています。 
※辞官=内大臣の辞職/納地=幕府領の返上

徳川慶喜51 鳥羽伏見の戦い51








最後の将軍(第15代)徳川慶喜/鳥羽・伏見の戦い(1868年)

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要するに、慶喜はこの時点で会社?は倒産、自分は破産?という憂き目に
合い、すっかり「丸裸」にされてしまったわけです。
しかし、お話はこれだけでは終わりません。
あまりに、矢継ぎ早/電光石火/容赦なし/のやり方ですから、当然のこと、
幕府に対する同情のみならず、新政府側に対する不満も噴出することに
なります。

〜勤続265年の政務功労者?である江戸幕府をダ、功労賞?も退職金?も
  ないまま、闇雲に追い払うなんてのは、企業倫理?に反するだけでなく、
  あまりにも「情」に欠けた傲岸不遜のやり方ではないのかえ〜


実際こうした心情を抱く藩も少なくありませんでした。
しかし、これは日本人の好きな「話し合い」で折り合いが付く性質のものでも
なく、生きるか死ぬかのガチンコ対決です。
結局は両者の意見相違は実力行動、つまり戦さにまで突き進んでいきます。
いわゆる「戊辰戦争」(1868-1869年)がそれです。

薩長軍VS旧幕府軍の衝突は、京都郊外「鳥羽」および「伏見」において、
その端緒が切られました。
この「鳥羽・伏見の戦い」(1868年)で、兵力の面でも武器の面でも、圧倒的に
優位を保っていたのは、実は旧幕府軍の側でした。 ところがここで大逆転。

「朝廷(天皇家)」側が薩長軍を「官軍」と認めたことにより、旧幕府軍は逆に
「賊軍」という汚名を着ることになってしまったのです。
要するに、〜天皇家から「錦の御旗」を賜った薩長軍〜 それに対し
〜天皇家に弓引く旧幕府軍〜という構図です。
この状況は、生まれながらの「天皇家ファン」?である慶喜にとっては、
その「賊軍」側に身を置くことは、とてもじゃないが耐えられるものではなく、
さすがに動揺を隠せません。

ここに至ってしまったなら、決断は早い。
開戦から僅か4日後のこと、つい今しがた「さぁみんなぁ、頑張ろうぜ!」
檄を飛ばしたばかりの自軍を捨てて、慶喜は少数の側近とともに大坂城から
海路で江戸へ退却。 早い話が「大将の敵前逃亡」?です。

この行動が、まことに慶喜という人物の評判を落としました。
〜なんだぁ、「朝敵」という言葉ひとつにブルッちまうなんて、肝っ玉の
  据わらねえ、まるっきり小粒な奴だよなあ〜

なにしろ「大将の敵前逃亡」?ですから、こういう評価になるのも致し方
ありません。

とはいうものの、
〜御三家「水戸藩」国籍の男性を父とし、天皇家親戚の「宮家」国籍?の
  女性を母とする「ハーフ」?として生まれ、後には自ら「幕府」国籍?まで
  取得してしまった〜

言葉を変えれば、心ならずも、水戸家・天皇家・将軍家、この「三つの国籍」、
つまり「多重国籍」?を持ってしまった慶喜です。
そうした人物に対して、〜ええか、「天皇家」を叩き潰すまで頑張るのだゾ〜
こう励ましたところで、それは所詮無理なお話です。

実際下々の我々だって、例えば、〜父ちゃんと母ちゃんが夫婦喧嘩をして
いるぞ。 お前はどっちに味方するのだ?〜
と迫られたとしたら、そんなもん、
とてもじゃないが、すぐさま態度を決定できるものではありません。
ひょっこり「敵前逃亡」?だってしたくもなります。

ですから、「二心殿」※と揶揄された慶喜に対する評価も、この「多重国籍」?
の面から眺めれば、また少しは違った印象になるのかもしれません。
※文字通り「心が二つある者」・・・言うことがコロコロ変わる人。

以下は、くだらない余談。
この「鳥羽・伏見の戦い」という言葉を初めて耳にして以来ずっと長い間、
この「鳥羽」を三重県の東南部に位置する、海景色が美しい観光地「鳥羽」の
ことだと思い込んでいました。

こうしたとんでもない思い込みに気が付かないまま、知ったかぶりをして他人に
話せば、まあ間違いなく「赤っ恥」をかくものです。
筆者は、幸いなことに他人に吹聴する前に、ある人から、それが能天気な
アホくさい思い込みであることを諭され、ギリギリのところでこの「赤っ恥」から
逃れることができました。
ちなみに、「命の恩人」って、こういうときに使う言葉なのでしょうか。



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