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zoom RSS 日本史の「微妙」03 ちょい過激?平伏号泣絶叫

<<   作成日時 : 2017/07/10 00:01   >>

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東洲斎写楽(生没年不詳)なる謎の?絵師が突如出現(1794年)したのも、
また伊能忠敬(1745-1818年)が蝦夷地を初めて測量(1800年)したのも、
元号で表すならいずれも「寛政年間」(元年〜13年/西暦1789〜1801年)の
出来事になります。

その元号を冠した一風変わった「寛政の三奇人」という言葉もあって、
そこに晴れて入賞?された方々を生まれた順に列記するとこうなります。
  ○林  子平(1738-1793年)/経世論家「海国兵談」
高山彦九郎(1747-1793年)/過激な?尊王思想家 
  ○蒲生君平(1768-1813年)/儒学者「前方後円墳」

ただし、この場合の「奇人」とは、アナタが言われたなら間違いなく
「奇妙奇天烈・ケッタイなオジサン」という、一種の悪口、貶めた意味になる
はずですが、このお三方の場合は決してそうではありません。
「奇才」と同じように「優れた人物」という意味の褒め言葉で使われています。

ただひょっとしたら、このうちの高山彦九郎の場合に限っては、幾分かは
「奇行」の「奇」を意識したものだったかもしれません。
というのも、己の主義・信条に対するのめり込み方が尋常ではなかったから
です。

彦九郎が抱く熱烈な尊王思想は、長州の思想家・吉田松陰(1830-1859年)を
はじめとして、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を与えたとされて
いますから、幕末とは良くも悪くもそうした尊王思想に引っ張られた時代だった
のでしょう。

さて、その彦九郎自身の行動です。
〜「太平記」を読んで勤皇の志を抱いた13歳の彦九郎少年は18歳の時に
  遺書を残して故郷・上野国(現在の群馬県)の家を立ち、持論である勤皇を
  説きながら各地を遊歴し、遂には京・三条大橋までやって来ました〜

「18歳の遺書」というのが少し引っ掛かりますが、なにせ多感な年齢での行動
ですから、家出・上京というパターンは現代でもさほどに奇抜なものでも
ありません。 

ただ問題はその後です。
〜そこで、通りかかった地元の人に、御所の方角を尋ねるや、いきなりのこと
  地面にひれ伏し、感激のあまり号泣し、「草莽の臣高山彦九郎です」と
  何度も叫んだ〜

ちなみに、「草莽(そうもう)」とは、現代語なら「一般国民」ほどの意味で、
吉田松陰も「草莽崛起」※という言葉を使っています。
※“在野の人(一般国民)よ、さあ一斉に立ち上がれ”ほどの意。

以来彦九郎は生涯で五度京都に訪れ、そのたびにこれを繰り返したそうで、
その姿が京都市三条大橋にある銅像になっています。
ただ、像は結構「年配顔」になっていますから、18歳の頃の彦九郎では
なさそうです。 

しかしこの銅像、Wikipediaにも「誤って土下座と通称される」と注記されている
通り、この「皇居望拝」の姿を誤解して受け止めている人も少なくないようです。 
何を隠そう、実を申せば筆者もその一味でした。
それにしても、号泣し、思わずこんな姿勢を取ってしまうのですから、彦九郎
抱く「尊王思想」の熱烈さが想像できようというものです。

後に、彦九郎は「光格天皇」(第119代/1771-1840年)に拝謁する機会にも
恵まれたそうですが、この時に感激の心根を詠ったことまでは伝わっている
ものの、その折にも同じように平伏・号泣・絶叫したのでしょうか。
その辺のところは残念ながら寡聞にして存じません。


高山彦九郎51 金属回収チラシ51












高山彦九郎像(二代目・京都市)/金属回収チラシ(昭和17年)

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ちなみに、こうしたいささか過激?気味の言動や尊王思想が災いしたものか、
後には幕府から危険視され監視を受けるようになりました。
〜幕府より天皇だ〜 こう主張しているのですから幕府の監視も当然です。
そんな中での突如の自決・・・知人友人の誰一人として、その理由が
分からなかったといいますから、まさしく「奇人」と呼ばれるにふさわしい?
最期だったかもしれません。

ともかく、その尊王思想の熱烈さが並みでないのは、こんなエピソードからも
想像できます。
〜足利将軍家菩提寺・等持院境内にある足利尊氏(1305-1358年)の墓に、
  「この国賊めがッ!」と大声を張り上げながら力いっぱい鞭を振るっていた〜
 

しかも、ご丁寧なことに尊氏の罪状をひとつひとつ挙げながら、この「鞭打ち」は
数百回にも及んだとされていますから、そんな目一杯なことをやっちゃって、
翌日の「筋肉痛」は大丈夫だったのでしょうか。 ちょっと心配してしまいました。

この行動の動機は、おそらく13歳の時に読んだ「太平記」にあったものと想像
されます。
新田義貞(1300頃-1338年)家臣の末裔に当たるとされ、尊王絶対の思想を
持つ彦九郎からすれば、足利尊氏はご先祖様の敵であり、かつまた、
畏れ多くも後醍醐天皇(1288-1339年)を裏切った極悪人ということになるわけ
ですから、「鞭打ち数百回」の罰では物足りないくらいだったかもしれません。

しかしこの光景、何事にせよ、それまでの恩讐を「水に流す」ことで、死者に
対しては寛容、つまり「死んだら神様よ」の考え方を昔から基本スタンスとして
いる日本人からしたら、中華文化?の「掘墓鞭屍」※もどきでちょっと怖い。
※一旦恨みを抱いた者に対しては〜墓を暴いてその屍を鞭打つ〜ことまで
  して報復する文化・思想。

さて、おそらくは、こうした熱烈な「尊王思想」が広まったことによって「明治」と
いう新時代を迎えることができたという、前向きの評価もあったのでしょう。 
昭和時代の1928(昭和3)年になって彦九郎の銅像(初代)が建てられました。

ただ、この銅像が「初代」という呼び方になるのは、当然次の「二代」があって
のことです。 ではその「彦九郎・初代銅像」はどうなったのか?
じつはきれいサッパリ消えてしまったのです。 ええぇなんでそうなるの?

直接の原因は、「太平洋戦争」(1941-1945年)のさなかの1943(昭和18)年に
制定された勅令「金属類回収令」でした。
これは軍事物資不足を補うため、金属類の回収を目的としたもので、そこに
この「彦九郎・初代銅像」も金属の塊として供出されたわけです。

要するに、物資不足、ジリ貧、ドン詰まりに陥っていた中で、天皇の軍隊「皇軍」
が使う武器・戦備の生産のために回収されたわけです。
その観点からすれば、熱列な尊王思想家・高山彦九郎にしてみれば、自分の
銅像が消えてしまっても、それは本望だったかもしれません。

ところが、今まで当たり前にあったものが無くなっちゃった!
こういうことって、周りの人にとっては案外に心の引っ掛かりになるもので、
なんとなく落ち着きません。
そこで、1961(昭和36)年になって再度「高山彦九郎像」が建てられ、これが
今見る「二代目銅像」ということです。

しかし、この像が、多くの日本人に「土下座」と誤解されている事実は、裏を
返せば「号泣」しなくても皇居を望拝できる「新年一般参賀」が、普通のことと
して定着した証しということにもなるわけで、これはある意味とっても平和で
幸せなことなのかもしれません。



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