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zoom RSS 日本史の「油断」07 平成鈍感力は江戸ゆずり?

<<   作成日時 : 2017/05/30 00:01   >>

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〜泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず〜
これは“黒船来航”(1853年)で慌てふためく幕府の姿を揶揄した幕末の
狂歌ですが、ただこの歌にはこんな誤解?を招く側面も備えています。
〜鎖国・日本に最初に到来した外国船がこの“黒船“

これが事実でないことは、それより百年以上も前の「元文の黒船」事件を
知るだけでも一目瞭然です。
〜元文4年(1739年)夏、牝鹿半島・房総半島・伊豆下田などにロシアの
  探検船が来航した〜


それどころか、“外国船の来航“はこの後も”引きも切らず”続きました。 
ところが、当の幕府は鎖国堅持を腹に持ちながら、こうした問題を深刻に
受け止めるだけの鋭敏さに欠け、
〜当方が関わりたくないとしている以上、相手国だって強引にやって来る
  ことはないはずだ〜
 こんな意識のままでした。
ところが、民間人?の中には希望的観測に満ちたこうした「外交意識」に警鐘を
鳴らした人たちもいたのです。

1781年頃 工藤平助(1734-1801年) 「赤蝦夷風説考」 上下2巻刊行
1787年頃 林 子平(1738-1793年) 「海国兵談」 全16巻刊行
これら著作の趣旨はこうでした。 
〜日本は海に囲まれているからして、いずれは諸外国が訪れることになる。 
  よってもって、我が国としてもその準備を怠っておれませんでぇ〜


ところが、間の悪い?ことに、この頃に幕府の実権を握ったのがガチガチの
朱子学信奉者である老中・松平定信でした。 意見の中身よりもまず、
〜身分なき者が天下の御政道に口を出すなぞは、もってのほかッ!〜
この理屈をもって軌道に乗りかけていた平助の進言を白紙還元?した
ばかりか、子平に対しても徹底的な弾圧に出たのです。

皮肉なことですが、これ以降ますます“外国”が押し寄せるようになりました。 
以下に主なものだけを並べましたが、実を言えば、これだけに留まるものでは
なく、〜毎年、日本のどこかでは必ず“外国船来航”があった〜というほどの
盛況?ぶりでした。

※時期/相手国/○は船 ◇は人/場所(現在の都道府県)
1791年/アメリカ ◇冒険商人ケンドリック 紀伊半島(和歌山県)
1792年/ロシア  ◇使節ラクスマン 根室(北海道)
1796年/イギリス ◇ブロートン中佐 室蘭(北海道)
1797年/アメリカ ○偽装?貿易船 出島(長崎県)


19世紀に入ると、さらに続きます。
1803年/アメリカ ◇スチュアート船長 長崎(長崎県)
1804年/ロシア  ◇使節レザノフ 長崎(長崎県)
1808年/イギリス ○フェートン号 長崎(長崎県)

 →オランダ国旗を掲げたイギリス船がオランダ商館員を人質にとり、要求した
   食料などを手に入れるや、まんまとトンズラ。(フェートン号事件)

1811年/ロシア  ◇ゴローニン艦長 国後島・測量
1818年/イギリス ◇海軍将校ゴルドン 浦賀(神奈川県)
1822年/イギリス ○サラセン号 浦賀(神奈川県)

 →漂流したイギリス捕鯨船に薪水・食料を与えるなど、問題担当の三藩及び
   浦賀奉行(幕府)合せて二千人余を動員する大騒動に発展。

1824年/イギリス ○捕鯨船 大津浜(茨城県)
 →新鮮な野菜・水の補給を求めて船員12人が上陸(大津浜事件)
1824年/イギリス ○捕鯨船 トカラ列島・宝島(鹿児島県)
 →船員が上陸し銃撃戦が発生(イギリス人1名が射殺された)

「もう、辛抱たまらん!」 フェートン号事件・大津浜事件などの、対応に
追われた幕府は「異国船打払令」(1825年)を発動し、溜め込んだストレスを
爆発させました。
〜ええか、皆の衆、あれこれ考えるな! ともかく外国船は見つけ次第に
  砲撃し追い返せッ! 上陸する外国人は容赦なく逮捕せよッ!〜


気合は立派です。 しかし、国内の立派な法律を拵えたところで、当の外国
にはそれを遵守する義務もありませんから、来る者は来ます。
1837年/アメリカ ○商船モリソン号 江戸(東京都)浦賀(神奈川県)
 →実は日本人漂流者(音吉ら七人)を乗せ、その送還も計画していた。

それまで幕府のこのヤンチャクチャぶりを静観?していたオランダ国王も
見るに見かねて、ついにアドバイス(1844年)に乗り出しました。
〜技術革新があって世界もすっかり変わっているのですから、貴国の鎖国
  政策もさすがにもう限界ではありませぬか? もし、その気があるのなら、
  その節は我がオランダが仲介をするのもやぶさかではありませぬゾ〜


黒船来航サスケハナ01 ミサイル北朝鮮01 










黒船来航/北朝鮮ミサイル

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このアドバイスに対する幕府の回答がこれ。
〜ご親切なご忠告をありがとう・・・でも、“お節介”は無用に願います〜
本当に“要らぬお節介“だったのかどうか・・・相次ぐ外国船の来航はもう
♪どうにもとまらない、ほどの状況にまで突き進んでいきました。

1845年/イギリス ○測量船   長崎(長崎県)
1845年/アメリカ ○捕鯨船   浦賀(神奈川県)

 →クーパー船長、日本人漂流民を送還する。
1846年/フランス ○クレオパトラ号 長崎(長崎県)
1849年/イギリス ○マリナー号   浦賀(神奈川県)

1849年/アメリカ ◇グリン艦長  長崎(長崎県)

 →前年に漂着したラゴダ号船員たちの受け取りに。
実はこの時にグリン艦長が示した、いささか「上から目線」の「毅然たる態度」
後のペリー代将の「強圧的外交戦術」?のお手本にもなったようです。

しかし、ここに至っても幕府は、何ら実効的な方針を出せずに、常に
場当たり的な対応を繰り返していました。
そうした状況下で、いわゆる“黒船来航”の本番を迎えます。

1853年/アメリカ ◇特使ペリー代将 浦賀(神奈川県)
 →“1年後にまた来ますによってご機嫌よう”と言い残して去る。
1853年/ロシア ◇使節プチャーチン 長崎(長崎県)
1854年/ロシア ◇使節プチャーチン 下田(静岡県)
1854年/アメリカ ◇特使ペリー代将 浦賀(神奈川県)

 →幕府は抗し切れず、無念の思いでついに「日米和親条約」を締結。

すべての方策が後手後手に回ったために、結局のところ、”押し付けられる“
形での「開国」になってしまいました。
後世の人間からすれば、工藤平助林子平の提言を真摯に受け止め、その
時点で的確な方策がとれていたなら、もっと賢明な「開国」も可能ではなかった
のかと思うところです。

しかし、これは現代人の単なる思い上がりなのかもしれません。
なぜなら、21世紀日本にも、当時の“黒船来航”と同じような外交問題に遭遇
しているからです。

それらを列記すれば、上の外国船来航の略歴を超えることになりそうなので、
その内の近隣国家との関りに限りますが、それでも、
北朝鮮→ミサイル発射/核実験/日本人拉致/帰還事業ほか
  韓国→竹島問題/従軍慰安婦/靖国参拝/歴史教科書ほか
  中国→領海侵犯/尖閣諸島/海洋進出/歴史歪曲ほか
ロシア→北方領土/海底資源/領空侵犯/漁船拿捕ほか

ところが、どの課題についても日本側はせいぜい「絶対に容認できない!」
とか「断固抗議する!」とか、幾分「空元気」気味の言葉を吐くだけのことで、
実態的には江戸幕府と同様に「のんきな父さん」を決め込んでいます。

その上に、江戸時代の工藤平助林子平のような“警鐘を鳴らす人物“、
あるいは”意見“が登場すると、
〜そうした考え方が問題をこじらせるのダ、要らぬことを言うな!〜
こんな具合で耳を傾けようともしません。  まさに21世紀の松平定信です。

ですから、相手当事国は日本が「鈍感/のろま」から抜け出さないうちに、
確たる「実績」?を積み上げてしまえと考えるのは当然の成り行きです。 
例えば北朝鮮の説明・・・
北朝鮮〜(当初のこと)ミサイルでなく、平和利用の人工衛星でっせ〜
日本国〜そうか、平和利用に文句をつけるのではさすがに大人気ないナ〜
北朝鮮〜核実験は日本向けではなく、我が敵国・アメリカ向けですから、
      どうぞご安心くださいな〜

日本国〜なぁるほどそうだったのかァ、それなら日本は安心だワイ〜

「今ここにある危機」に対して「のんきな父さん」・・・その意味では、
江戸の「黒船来航」と平成の「ミサイル飛来」は同質のテーマであり、さらに
問題なのは江戸時代がそうであったように、この平成時代においても実効性に
乏しい対応を相も変わらず繰り返している事実です。
なるほど、〜この平成の鈍感力は江戸から引き継いだもの〜と言えるのかも?



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