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zoom RSS 日本史の「事始め」12 ”兵農分離”は金がかかる!

<<   作成日時 : 2017/03/10 00:10   >>

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”メッチャ強い”とされる戦国武将でも、兵の大半を農民に頼って
いるようでは、「農繁期」の戦(争)は叶うものではありません。
便利な農機具もない時代ですから、「農繁期」の農民はそれこそ
猫の手を借りたいほど忙しいからです。

さりとて農業を「基幹産業」としている以上、「手抜き」というわけ
にもいきません。 そんなことをしようものなら、国中がたちまち
「食料不足」に陥ってしまいます。

そこでこの難問を解消するために生み出されたのが、いわゆる
「兵農分離」の方法。 通説では、このアイデアの主は織田信長
(1534-1582年)ということになっています。
要するに、それまでは「農繁期=農民」として、「農閑期=兵」と
して一人二役?で活動させていた領民を、「専業農民」と
「専業兵士」に分ける方法で、「時節に関係なく動員できる兵」を
創り出そうとした画期的なアイデアです。

さて、「専業兵士」ということなら、絶対に必要になってくるのが、
その「給料」です。
下手をすれば戦死(労災死?)もあり得るハードな仕事ですから、
いくらお人好しでもボランティア(無給)では従事してくれません。

つまり、肝心要はその「給料」に当てる原資ということになり、
これについては、多くの場合こんな説明になっています。
〜信長は「楽市楽座」などで商業活動を活発にし、そこで得た
  富を「専業兵士」の給料に宛てた〜


こう言われれば、現代人の頭に素直に浮かぶのは、
〜盛んになった商業活動から「事業税」なり「所得税」なりを
  徴収していた信長〜
 まあ、こんなイメージです。
これなら、〜「商業活動」を活発にして「富」を得た〜という説明
にも確かに納得しやすいものがあります。 

事実、それもどきの行為もしたようですが、詳しいことまでは
分かっていない・・・とするのが無難なところかもしれません。
〜では、信長は多数の専業兵士を養えるだけの「莫大な富」を、
  一体どのような方法で得ていたのか?〜
 
ここから先は推測になりますが、こんな見方もできるのでは?

〜「投資」によって巨万の「富」を得ていたのではないのか?〜
ただ、いきなり「投資」と言ったところで、この時代には「株式」や
「為替」の市場が整っていたわけでもありません。
そうなると、どんな「投資」ならできたのか?


織田信長像52 織田信長像51













<織田信長像> 岐阜市/清須市

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一番分かりやすいのは、商人(政商?)に「大金」の運用を
委ねるという投資信託?もどきの方法です。 たとえば、
〜ええか、ワシの金をおみゃあ(お前)に預ける。 そんでもって
  おみゃあはそれをあんばよう(按配よく)運用する。 そんでダ、
  その「儲け」を、そうだなぁ、フィフティフィフティでどうだッ?〜


信長から「どうだッ?」と持ち掛けられてお断りができる商人も
そうそうはいなかったはずです。 
なにせ「魔王」信長様ですからね。
〜命あっての物種〜という言葉もあるくらいのものです。

もしこうだったなら、おそらく商人はこの資金の多くを「貿易」に
向けたりもしたのでしょう。 
なにしろ「貿易」は古今東西メッチャ「儲かる」商売だからです。
ましてや信長がその資金を出しているのですから、そこで動く
「資金」もチマチマしたものではありません。

つまり、その「儲け」たるやウハウハだったに違いなく、それを
「専業兵士」の給料に当てることで、信長は強大な軍事国家?
を構築したことになります。
〜そんなことだったら、他の戦国武将たちも同様な方法で
  ”専業兵士”を創り出せばいいじゃないか!〜


理屈は確かにそうなりますが、農民の中から「専業兵士」を創り
出すことは、その分だけ基幹産業「農業」に従事する者を減らし
ている。
単純な足し算引き算で捉えれば、このように見えることもあって、
他の戦国武将にとっては、ちょいと理解に苦しむものがあった
のかもしれません。

信長のこうした「兵農分離」のプランに気付いた戦国武将の
中には、このように受け止めた者もいたことでしょう。
〜やれやれ、国の基幹産業(米作)をわざわざ手薄にするとは! 
  信長って奴は正真正銘の「うつけ者」だぜ、アホくさっ!〜


で、結局この制度改革?を試み、一応の成果をみたのは信長
だけということになり、天下取りにかけてダントツに優位な位置
に立つことができたというわけです。

だったら、信長のこの飛び抜けた「経済センス」はどこで育まれ
たものか? 〜そこが天才・信長の天才たる所以だ〜
こう言われてしまえば、身も蓋もありませんが、やはり何らかの
「学びの場」があったと見た方が自然です。

そこで気が付くのが、信長の父・織田信秀(1510-1551年)の「金満」
ぶりです。
身分としては「守護」どころか、その「守護代」の、そのまた
「家老」?の家という立場にも拘わらず、信秀は朝廷などに向け
繰り返し多額の「献金」ができるほどの財力を備えていました。

おそらくは何らかのビジネスに手を出して、それこそウハウハの
「儲け」を稼ぎ出していたのでしょう。
こうした「父ちゃんの背中を見て」、幼い信長は「ビジネス」の
基本を学びとっていったのかもしれません。
〜ウッヒャッ! 「商業」ってどえりゃあ儲かるもんだなあッ!〜

商業の活性化を目指した「楽市楽座」政策を打ち出せたのも
信長にこうした素地があってのことだったと思われます。
〜ええか、おみゃあ達が商売に励むことで”専業兵士”の給料
  も賄え、増員もできる。 つまり一層強えぇ国になるんだワ! 
  それが分かったら・・・さあいくでぇ、一、二、三、ダァーッ!〜




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