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zoom RSS 日本史の「逆転」18 ”夏の陣”二人の影武者

<<   作成日時 : 2016/03/15 00:01   >>

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「徳川家康」(1543-1616年)には、その人生の「三大危機」として
語られている出来事があります。
念のために言えば、その窮地を切り抜けたからこそ、結果と
しての「危機」だったわけで、切り抜けられなかったとしたら、
これは単に「一巻の終わり」と呼ばれたことでしょう。

その「三大危機」とは、時代順に以下の通り。
1) 三河一向一揆(1563-1564年)
お膝元・三河で起こった宗教戦争?で、この時家臣の半数が
門徒側、つまり主君・家康を攻撃する側についたとされており、
事実、家康自身も危機一髪の状況に追い詰められました。

2) 三方ケ原の戦い(1573年)
武田信玄(1521-1573年)の西上作戦に対し、果敢に挑んだ家康
でしたが、逆襲され、まさに「九死に一生」、恐怖に打ち震え、
命からがら浜松城まで逃げ込むハメに陥りました。 
※逃げ帰った早々の家康の姿を描いた「しかみ像」(記念写真?)は有名。
  (恐怖感で止まらぬ震えを、両の手で必死で押さえつけようとしている)


3) 伊賀越え(1582年)
「本能寺の変」(織田信長暗殺事件)突発!
この時、わずかの供回りだけで堺見物に及んでいたため、
明智光秀軍の包囲網からの脱出は困難と判断した家康は、
相当に取り乱し、一度は自刃を決意したとされています。

ですから、ほぼ10年ごとに「命の危機」に見舞われていたことに
なりますが、さらにこの後の「大坂夏の陣」(1615年)においても、
それこそ土壇場まで追い詰められたことがありました。
ところが不思議なことに、この時の「危機」は回数にカウントされ
てはいないのです。 では、その危機とは・・・

それは、豊臣軍の真田幸村(信繁/1567?-1615年?)が徳川軍の
本陣に突入した時のことです。
大軍のため、うまく連携が取れなかった徳川軍は、瞬く間に退き
四散したばかりか、「本陣」の馬印まで倒されるという、ほとんど
総崩れの状況に陥りました。 

逃げ場を失った家康は二度までも自決を覚悟したようですから、
自決にせよ討ち死にせよ、一時はそれこそ「一巻の終わり」の
寸前まで追い詰められたことは間違いありません。


しかみ像家康51 真田幸村像51












徳川家康/しかみ像  真田幸村/大阪・三光神社

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で、この後の局面、通説ではこういうお話になっています。
〜なんとか、体制を立て直した徳川軍は激しい反撃に出るや、
  その勢いで逆に真田幸村を討ち取った〜

だったらなぜ、この「落命寸前」の窮地が、「家康の三大(または
四大)
危機」
としてカウントされていないのか?

そこで浮上してくるのが、
○この時家康本人は討ち取られ、以後の家康は影武者だった。
さらに、ついでのことに、
○この時幸村は戦死せず、討ち取られた幸村は影武者だった。
要するに、この時「家康は死んだ」が「幸村は生き延びた」という
説明で、いわゆる「通説」とはまったく逆の解釈です。

その状況証拠?の一つが、これを「家康四番目の危機」として
カウントしていないこと。
ここで落命したなら、「危機」どころかそれこそ「一巻の終わり」
だったわけですから、カウントされないのは当然ということに
なります。

そしてその流れで、長い間「鯛の天ぷらによる食中毒」とされて
いたその死因にも疑惑の目が?
稀代の「健康オタク」であった家康が、「食中毒死」というのも
確かに幾分は不似合いな印象です。
とすると、むしろこれは、家康の影武者が、御用済みになった
時点で「毒入りの鯛の天ぷら」によって始末されたことを暗示して
いるのかもしれません。

一方の真田幸村の「生き延び」説も、要するに「夏の陣」で討ち
取られたのは幸村本人ではなかったとする説で、
〜本物の幸村は、豊臣秀吉の遺児・秀頼(1593-1615年)を守って
  城を脱出し、遥か鹿児島?へ逃げのびた〜


こうなってくると、もう歯止めが効きません。 自害したはずの
秀頼が助かったのなら、同じく母・淀殿(1569?-1615年)も、
〜自害したのは替え玉であって、淀殿本人は攻め手の武将に
  救助され、上野国で余生を送った?〜

そもそもが、合戦場になった「大坂城」ですら、
〜実はダミーの城だった?〜 (完全にトンデモ説ですが)

う〜ん、影武者・替え玉・ダミーが飛び交うこうした日本史は、
あまりに複雑・難解で・・・結論! 
〜日本史ファンは激減し、やがては「絶滅危惧種」に?〜




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