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zoom RSS 日本史の「冗談?」13 ♪まわるまわるよ時代はまわる

<<   作成日時 : 2015/11/10 00:01   >>

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歴史の「定説」とされてきた事柄が、その後になって訂正?
されることも時々はあるようです。 たとえば、鎌倉幕府創立を
「1192年・いい国つくろう」と語呂合わせで覚えたものですが、
それが今では「1185年」が妥当であろうとされていることなどが
その訂正?に該当します。

ついでに言い加えるなら、それとセットになっていたあの有名な
「源頼朝」※1)の肖像画についても、後にあちこちから疑問の声が
上がり、そうではなく「足利直義」※2)だとする見方も出ている
ようです。
※1) みなもと・よりとも/1147-1199年/鎌倉幕府初代将軍
※2)あしかが・ただよし/1306-1352年/室町幕府初代将軍・尊氏の


もしそうだとしたら、江戸幕府初代将軍・徳川家康(1543-1616年)
と、百五十年以上も前の室町四代将軍・足利義持(1386-1428年)
とを取り違えたようなものですから、元々の比定が随分と
エエコロカゲンだったことになります。

しかし驚くことは他にもあって、昔は「薬子の変」(810年)として
いた動乱も、その主役?がコロッと入れ変わって、ここ十数年前
からは「平城太政天皇の変」と呼ぶのだそうです。
※「へいぜい だ(い)じょうてんのう の へん」 
  「太政天皇」は略して「上皇」(じょうこう)とも


もっとも、その「薬子の変」自体をよく承知していないワタシに
とっては、それほど「大事件」ということでもないのですが、
このあたりを探ってみると、桓武天皇とか坂上田村麻呂など、
よく聞く意外な?名前も登場してきます。

まず「変」の冠になっている二人の人物、薬子平城太政天皇
の関係はこういう按配です。
「藤原薬子」(生年不肖-810年)は式家の祖・藤原種継の娘で
東宮女官(皇太子付の官職)でした。

一方の第51代天皇であった「平城太政天皇」(774-824年)
第50代「桓武天皇」(737-806年)の息子で、第52代「嵯峨天皇」
(786-842年)の同母兄という立場にありました。
では、その「変」とやらは、いったいどんな経緯を辿ったのか?


平城京51 平安京51








     平城京(710年)            平安京(794年)

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平城が親王だった時代から寵愛を受けていた薬子も、
平城の父・桓武天皇には睨まれて、東宮から追放されました。
ところがドッコイ、その桓武が崩御するや、薬子は逆に自分の
兄・藤原仲成との二人三脚をもって、平城天皇を担ぐ形で、
次第に中央での発言力を高めていきました。

ただ、その矢先に肝心の平城天皇が病を得て、弟・「嵯峨」に
譲位。 さらには「平城」(この時点で太上天皇)が、かつての都
「平城京」へ移ってしまい、弟・嵯峨天皇の「平安京」と並立する
というトンデモな異常事態?を迎えてしまったのです。

これを打開するために薬子とその兄・仲成は「平城上皇の復位」
「平城京への再遷都」に動き出します。
〜これはヤバイッ!〜
そう感じた嵯峨天皇は機先を制して仲成を逮捕、薬子の官位
剥奪に踏み切りました。 二人の行動を「国家反逆」と見た、
あるいはそのように喧伝したということでしょう。

すると今度は平城上皇薬子の側が、〜これはヤバイッ!〜
上皇は東国に出て兵を募る予定で平城京を出発しましたが、
途中大和国で進路を遮られて断念、平城京に舞い戻ります。

この時“通せんぼ”の役目を担ったのが、「征夷大将軍」として
有名な、あの坂上田村麻呂(758-811年)でした。
つまり、嵯峨天皇が平城上皇のその先の行動を読み切って
先手を打ったということでしょう。

「万事窮す」、「もはやこれまで」と悟った平城上皇は平城京に
戻って剃髮、薬子は毒を仰いで自殺、兄・仲成も殺されました。
こうした流れを知ってみると、これを「薬子の変」と呼ぶのでは、
あたかもその首謀者が「薬子」だったかの印象になり、確かに
微妙に「ヘン」な感じがしないでもありません。

では、なぜそれまで「薬子の変」だったのか?
理由はその通りで、薬子が主導した行動だったと考えられていた
からです。 ところが最近になって、そうではなく、兄・平城上皇
弟・嵯峨天皇に仕掛けた戦いという見方が優勢になって「改称」
することに?

う〜ん、♪まわるまわるよ時代はまわる・・・
確かに「日本史」もその例外ではなく、肖像画にせよ用語にせよ
時代とともにコロコロと変わっていくものなのですねぇ。
※「時代」1975年 作詞:作曲:歌/中島みゆき

しかし元の「薬子の変」に比べ、冗談めいた長さを備えた
この「平城太上天皇の変」という新用語?は、結局のところ、
新たな「歴史嫌い」を生み出すだけではないのか?

この予測が正しければ、また十数年後には再訂正?が行われ、
今度はひょっとしたら、思い切り手短かに、「平変」(へいへん)
呼ばれることになるやもしれませぬ。




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