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zoom RSS 日本史の「陰謀」15 松下村塾の”勝てば官軍”

<<   作成日時 : 2015/10/25 00:01   >>

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長州藩士・吉田松陰(1830-1859年)が叔父から引き継いだ私塾
「松下村塾」は、実質二年足らずという短い活動期間だったにも
拘わらず、幕末期・明治期に大きな活躍をみせることになる数多
の人材を育てました。

その中でも殊に優秀だった人物として、下の四人がよく取り上げ
られています。
高杉晋作(1839-1867年/享年28歳) 肺結核による病死
久坂玄瑞(1840-1864年/享年25歳) 蛤御門の変・戦死
吉田稔麿(1841-1864年/享年24歳) 池田屋事件・討ち死?自刃?
入江九一(1837-1864年/享年28歳) 蛤御門の変・戦死

なにしろ高杉・久坂は「松下村塾の双璧」と称され、ここに吉田を
加えて「三秀」、さらには入江を入れた場合は「四天王」という
豪華絢爛な表現が用いられるほどのものです。

しかし、この四人の行動を素直に眺め直してみると、こうした
カッコイイ「冠」が本当に的を得たものなのかどうか、少しばかり
疑問にも感じられます。

二度目の黒船(1854年)の折には、自ら密航を企てたくらいのもの
ですから、師・吉田松陰がこんな考え方を持っていたことは
間違いありません。
〜彼我の差はあまりにもデカいのだから、我が日本を守るため
  には、「外国に学ぶ」ところから始めるべきだ〜
(大攘夷)

それに対し、「四天王」は大方こんな考え方でした。
〜彼我の差はあまりにもデカいのだから、我が日本を守るため
  には、「外国を追い払う」ことから始めるべきだ〜
(小攘夷)

もっとも高杉晋作の場合は、「上海留学」(1862年)で、一種の
カルチャー・ショック?を受けたものか、以降の行動には
「思想転向」?もどきの傾向が見られます。
しかし、他の三人は完全に「小攘夷」、しかもかなり戦闘的?な
思想・行動をモットーとしていた印象です。

この視線で眺めてみると、師の説く「大攘夷」路線に対して、
真反対の「小攘夷」路線を目指した者たちが、松下村塾における
「超優秀な弟子」と評価されているのですから、これはさすがに
「ミステリーな師弟関係」だと言わざるを得ません。
では、彼らが「四天王」と呼ばれるホントの理由とは?


四天王松陰51 四天王高杉51 四天王久坂51









   松下村塾:吉田松陰    塾生:高杉晋作    塾生:久坂玄瑞

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「小攘夷」もさりながら、この四人には他にも共通点を見出す
ことができます。
それは、揃いも揃って「享年二十歳代」という事実です。

これを傍から見れば、こういうことになるのでしょう。
〜志半ばで倒れられたのは、なんともお気の毒なことである〜
つまり、「四天王」という華麗な「冠」の根っこに、日本人特有の
「怨霊信仰」があるとも考えられます。

「享年二十歳代」という悲劇に対する同情の念から、彼らを
「双璧/三秀/四天王」と呼び、ヨイショすることで、その鎮魂?
に努めたということです。

それにもうひとつ、“歴史は勝者がつくる”とか”勝てば官軍”いう
言葉がある通り、まさしく維新における“勝者”だった長州がその
権利?を駆使し、本来なら「不肖の弟子」と呼ばれるべき人たち
を栄光の「四天王」に評価替え?したとも考えられます。

なにせこのことについては、「敗者」の側からクレームが付け
られる心配もないわけですから、まさに”勝てば官軍”の典型的
なパターンです。

ところで、師・松陰「草莽崛起(そうもうくっき)を唱えていました。
〜在野の市民よ立ち上がれ!〜といった感じで、今風の
イメージなら「市民運動」のもう少し迫力のあるものでしょうか。

高杉晋作が創設した「奇兵隊」(1863年)※は、「市民軍隊」?ほど
の意味を込めた命名で、やはりこの「草莽崛起」を具現化した
ものと見ていいのでしょう。
※おそらく、〜けったいな兵隊〜という意味ではないはずです。

ですから、「松陰神社」前にある土産物店での売れ筋は現在
でも、お徳用・草莽クッキー」がダントツの一番だそうです。
もちろんこれは、ヒマ人の無邪気で能天気なヨタ話ですよ・・・

※東京都・世田谷区/山口県・萩市 






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