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zoom RSS 日本史の「事始め」05 ”丸い地球”をいつ知った?

<<   作成日時 : 2015/09/25 00:12   >>

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“地球は丸い“ことを始めて知った日本人は誰で、そしてそれは
いつのことだったのか?
歴史のエピソードを遡るなら、精密な日本地図(伊能図)を作った
ことで知られる江戸後期の測量家・伊能忠敬(1745-1818年)
それを承知していたことは間違いありません。
彼は“地球は丸い”とする天文学を修めていましたし、それが
あってこそ地図作成のための測量作業が成り立ったからです。

ところが、少し遡って江戸初期の儒学者・林羅山(1583-1657年)
なると、そんな知識は持ち合わせていなかったようにも見えます。

なにしろ、いわゆる「地球論争」(1606年)において相手
「地球球体説+地動説」に対し、「地球方形説+天動説」
持ち出して見事に?論破しちゃったのですから。
※日本人修道士イルマン・ハビアン(1565-1621年)

もっとも本当に「地球方形説」を信じていたのか、あるいは
幕府のブレーンという立場上「地球球体説」を認めるわけには
いかなかったのか、その辺の事情はよく分かりません。

もう少し遡るとこんなエピソードがあって、織田信長(1534-1582年)
の名を挙げることができます。
相手側にはルイス・フロイス/オルガンチーノ/ヴァリアーニなど
の名が挙がっていて、どの方だったかはよく知りませんが、
ともかく1580年頃に、信長は「宣教師」から「地球は丸い」との
説明を受けたようです。

その説明に耳を傾けていた信長はこう言ったとされています。
・・・「う〜ん、理にかなっとるがやッ!」(もちろん尾張弁で)
ただし、この場面には別にこんな説もあるようです。

イタリア人宣教師ヴァリアーニの助手?を努めていた
黒人・弥助と当の信長の問答です。
※アフリカ出身の黒人で召使(奴隷?)としてヴァリアーニと共に来日し、
  後には信長の家臣となり、「本能寺の変」の折も現場にいた。(生没年不詳)


信長 「なんで、昼と夜、一月、一年があるのきゃあ?」
弥助 「地球は球体であり、そんでもって一日一回だけ自転して、
     そんでもって・・・ウンヌンカンヌン」
信長 「う〜ん、おみゃァの説明はイチイチもっともだがやッ!」
つまり、「地球球体説+地動説」を一発で理解したということに
なっています。

これだけを聞くと、あまりにもデフォルメされた印象になって、
ワタシもにわかに首肯はできませんが・・・


地球方形51 地球球体51










      地球方形説?      地球球体説?

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ところが実際、信長には「天文」とは不可分の「暦」に対する
それなりの素養があったのは事実ですから、これを単なる
「英雄伝説」?として切り捨ててしまうわけにもいきません。

当時の暦は、主に西国では「京歴」、東国では「三島歴」を
用いていました。
しっかりした天文学に基づいていなかったこともあって、実は
この頃「暦」に大きな狂いが生じるようになっていたのです。

その狂いに対しても各々が自分流の方法で修正を加えました。
「京歴」が天正11年閏1月を設けたのに対し、「三島歴」は
天正10年の部分に閏12月を設けたのですから、これでは
信長ならずとも不便で仕方なく、各方面からも不満の声が
聞こえていました。

「合理的」なことが好きな信長にとって、この「不合理」は放って
おけることではなかったのでしょう。
ですから、昔から〜作暦は天皇の大権〜?とされているにも
かかわらず、信長はその「調停」?に乗り出しました。

これにはかなり熱心だった様子が伺え、天正10年6月1日のこと、
先送り扱いだったこの話を、再度公家衆に持ち出しています。
このことについては、「無理なことを言う奴ッちゃ!」と、その迷惑
ぶりを日記に残しているお公家さんもいたほどでした。

で、そのまさに翌日に信長はあの「本能寺の変」に遭遇する
わけです。 ※天正10年6月2日/1582年

ですから、こうした経緯を眺めてみると「一発理解」も、そうそう
いい加減なお話でもないのかも知れないと、心が揺れる今日
この頃です。

  信長 「ふ〜む、そんだけどだ、それはどうやって空中に
      浮かんで、どうやって回っとるんだぁ?」

宣教師 「それは我々にも分かりませぬ。ただ神の御心に沿うて
      としかお答えしようが御座いませぬ」

  信長 「ふ〜む、そんだけど、ちぃとばか未熟だでぇ!」
宣教師 「一介の宣教師にすぎませぬゆえ、どうぞお赦しを・・・」
  信長 「違うがゃ!おみゃァの尾張弁の方だがや!」




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