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zoom RSS 日本史の「列伝」04 美少年ジェロニモ四郎

<<   作成日時 : 2015/04/20 00:30   >>

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「江戸幕府」は開府十年を経ずして、つまり創立者・家康自身
(1543-1616年)も、またその最大の敵?豊臣家(1615年滅亡)
健在の時点で、早々に「キリスト教・禁教令」(1612年・1613年)
踏み切っています。

それだけの警戒策をとらざるを得ないほどの勢いと拡がりが、
この時期の「キリスト教」にはあったということなのでしょう。
しかし、こうした方針は、当然「幕府(弾圧側)」と「キリスト教徒
(抵抗側)」との間に激しい衝突を招くことになり、その最大の
ものが、史上有数規模の内乱といわれる「島原の乱」(1637年)
でした。

さらには抵抗側の「指導者」?が一介の「少年」だったことでも、
際立った特異性?を備えていました。
※あるいは単に「広告塔」あるいは「イメージキャラクター」だったのかも?

とにもかくにも「絶世の美少年」?だったとされています。 
おそらくそれは事実でしょう。 
二万人以上?もの「反乱軍」を率いる(まとめる?)からには、
なんらかの大きな「カリスマ性」が不可欠で、それがこの「神から
授かった美しさ」
だったと思えるからです。

少年の名は「天草四郎時貞」(1621?-1638年?)、あるいは「益田
四郎」とも言われていますが、本稿ではよく使われる「天草」と
しています。 ※この他に「愛知四郎」が本名との説もあるそうな。

もっとも、「天賦の美貌」さえあれば、黙っていても「カリスマ性」が
付いてくるというほど、世の中、甘いものではありません。 
ですから、こんな言い方をしてみます。
〜天草四郎は・・・「イエス・キリスト」だった!〜 なにッ!

正確には、「もどき」を付け加えるべきところですが、個人的な
性癖もあって、敢えて「奇をてらった」表現を用いています。
つまり、「カリスマ性」獲得のためには、四郎自身も「イエス・
キリスト」もどきに多数の「奇跡」を披露しなければならなかった
ことを言っているわけです。

〜なんと! 盲目の少女に触れると見えるようになった〜
〜なんと! 海の上をなんなく歩いた(空中浮揚?)〜
 
素直に肯くには多少の勇気を必要としますが、少なくとも信者の
間ではそう信じられており、それが肝心かなめの「カリスマ性」を
増幅させていったことは間違いありません。

しかし四郎はあくまでも「もどき」の位置で「寸止め」にして、
教祖?奇跡を超越することまではしませんでした。
つまり、「イエス」が披露した鮮やかな「死後の復活」に挑んだ
様子は見受けられないのです。
 

ジェロニモ01 天草四郎51 











   ジェロニモ               天草四郎時貞               

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容貌・背丈などの四郎の「個人情報」を把握しきれていなかった
幕府は、立派な服装の少年を戦死者の中に見つけ、これを当人
と比定しました。 
これがまったく別人の遺体だったのか、はたまた教祖?イエスに
対する四郎の遠慮だったのか、この辺のことはよく分かりません
が、少なくともその後に「復活」を果たしたというお話は伝わって
いません。

また別に、この時追い詰められた四郎が「自決」に及んだとする
見方もありますが、いかに苦境に立たされようとも、この行動
だけはなかったような気がします。 
なぜなら、キリスト教が「自殺」を”神の祝福を得られない悪業”
としている以上、その敬虔な信者である四郎にはハナから
「自決」の選択肢はなかったと思えるからです。
※投降者と裏切り者一人を除けば、戦闘に加わった者は全員が死んだ。

ここでまた、懲りずに「奇をてらった」言い方をしますが、
〜天草四郎は・・・「ジェロニモ」だった!〜 なにッ!
これはあまり有名なお話とは言えませんが、しかし意外にも
まったく事実なのです。

ただ、現代日本の「若い衆」の多くは、このアパッチ族の勇士
「ジェロニモ」(1829-1909年)の名をご存知ないかもしれません。
しかし一定以上昔の「若い衆」なら、一発でピンと来る名前である
上に、この「美貌/ジェロニモ」の間に大きなイメージギャップを
感じるはずですから、「奇をてらった」という表現はそういう意味
で使っています。 ※インディアン/ネイティブ・アメリカンの部族名

でも正直言うと、こういう書き方は実はかなり卑怯なんですね。 
そこで、素直な書き方に直してみると・・・
〜四郎が始めの頃に使っていた洗礼名は「ジェロニモ」だった〜

それがどういう経緯があったものか、一度「棄教」の形をとった
ことで、新たな洗礼名として「フランシスコ」を用いるようになり
ました。 ですからこの「島原の乱」の頃は「ジェロニモ」ではなく、
おそらくは新しい洗礼名の方を使っていたのでしょう。

奇をてらったような「噂話」は、この他にも囁かれています。
〜天草四郎は・・・「豊臣秀頼」のご落胤だった!〜 なにッ!

この「噂話」は割合に知られているところですが、これが成立する
ためには、四郎の年齢からしても、父?秀頼(1593-1615年)
「大阪夏の陣」(1615年)で「自害」しなかったことが前提になります。 
ですから、多分に面白い「噂話」ではあっても、この辺がいささか
苦しい感じがしないでもありません。

それはともかく、その「カリスマ的美貌」をもって二万人以上?の
信者をまとめたということなら、その「美貌」は、尋常を突き抜けた
域にまで達していたことになりますが、その代わりに随分と短命
(没18歳?)でした。

う〜ん、美貌をとるか寿命をとるか?・・・「天は二物を与えず」
迷わず「美貌」をとったのが天草四郎・・・ただ、アナタの場合は
どうも「寿命」の方を選んじゃったような気がしてなりませぬ。




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