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zoom RSS 日本史の「お国自慢」12 井沢元彦氏の八十日目

<<   作成日時 : 2014/11/30 00:01   >>

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名古屋“やっとかめ文化祭”(10・30〜11・24/市内各地)の最終日
は本年も作家・井沢元彦氏のトリ講演(11・24/東別院ホール)
締めくくりました。

「逆説の日本史」の井沢元彦氏”やっとかめ文化祭”との
結び付きは? ・・・実は、井沢氏も「名古屋生まれ」なのです。
それもあってか、今回の講演はこんなタイトルに。
「那古野における近世の胎動」
〜愛知はなぜ信長・秀吉・家康を生んだのか〜


当然、お話はこのような内容に踏み込んでいきます。
〜織田信長は、なぜ「比叡山」(延暦寺)と戦ったのか?〜
〜豊臣秀吉は、なぜ「大阪城」を即座に築城できたのか?〜
〜徳川家康は、なぜ「朱子学」を取り入れたのか?〜


もっとも、このあたりのことは「逆説の日本史」にも詳しく
触れられているのですが、ひょいと趣向を変えて、
〜明智光秀は、なぜ「落武者」狩りに倒れたのか?〜
こんな風にツッコまれると、いささか意表を付かれた感じに。

なぜ?って・・・そんなもん、百姓に竹槍で襲われたからに
決まっているではないか・・・どこに疑問があるの?
思わずこう答えたくなるところですが、言葉を変えれば、つまり
こんな問いかけになっています。

〜こと”戦闘”にかけては、光秀自身が百戦錬磨のプロであり、
  またこの時、周りには武装した護衛集団もいた・・・にも拘わ
  らず、この状況下で光秀を襲い、深手を与えるだけの腕前を
  備えた”百姓”がいたことに不思議を感じませんか?〜


で、このお話は
〜上杉謙信は、なぜ「川中島」で決着を付けなかったのか?〜
〜武田信玄は、なぜ「天下人」になれなかったのか?〜

という別の疑問にも「同じ根っこ」がある、という方向へと展開
されていきます。


八十日目井沢51 井沢元彦色紙51













   「逆説の日本史」 井沢元彦氏   本年10月に頂いたサイン


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確かに考えてみれば、光秀が討たれたのは豊臣秀吉(1537−
1598年)
が天下を取り、武士以外の農民・僧侶の刀所持を
禁止する「刀狩令」(1588年)を出す前のことですから、当然の
ことながら百姓も武器を所有していたことになります。

しかも、戦さのないときは百姓(農民)として労働に励み、一旦
戦さともなれば、たちまち兵士に変身?する生活ですから、
多い少ないは別として、実戦経験だって積んでいたはずです。
つまり、落武者・光秀を襲うだけの技量を備えていたとしても
なんら不思議はないということになります。

ですから逆の言い方をすれば、〜百姓兵士?の活動は
田んぼ仕事のない時期に限られた〜
・・・確かに謙信・信玄も
その法則?に従って「川中島の戦い」に挑んでいます。

ですが、「期間(農閑期)限定」の戦いということは、互いに睨み
合っているうちに (つまり本格的な戦いになる前に)、往々にして
「時間切れ」?を迎えてしまうことになり、この「川中島の戦い」
(1553-1564年/前後五回)も、こうした事情で結局”五回”の
「引き分け再試合」?を必要としたということなのでしょう。

この「半農半兵」?システムの欠点を見つめ直し、「専業兵士」と
いうか「傭兵」というかはともかくも、農作業に縛られることなく
戦さに専念?できるシステムを実施し始めたのが織田信長
(1534-1582年)だったわけです。

こうなれば、時期に捉われずに戦さもでき、また「専門職」?と
いうこともあって、断然強い・・・という流れで井沢氏のお話が
展開されていったことをご報告しておきます。

さて話題はコロッと変わりますが、「お久しぶり」といった感じの
挨拶を、地元・名古屋では“やっとかめ”と表現します。
しかし、この言葉・・・単なる「お国訛り」と切り捨てられるほど
底の浅いものではありません。
「漢字」でもキッチリ表現できる真っ当な言葉なのです。

漢字なら「八十日目」・・・ことわざにある〜人の噂も七十五日〜
これを超えた「八十日目」ですから、つまりは「メッチャお久しぶり」
の意味になって、これは理屈の上でも整合性を備えています。

ただ残念なのは、最近では高齢者専用?の言葉になりつつある
ことで、地元文化祭にわざわざこの言葉を冠したのも、おそらくは
そうした風潮に対する”危機感”?の表れなのでしょう。

で、ワタシもその”危機感”を共有すべく、今回のタイトルを
「井沢元彦氏の八十日目(やっとかめ)とした次第で、これこそは、
井沢元彦氏が「名古屋生まれ」であることと同時に、地元の
”やっとかめ文化祭”の真価をさりげなく、しかも力強く表現した
ものだと・・・やっとかめに自画自賛している今日この頃です。




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