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zoom RSS 日本史の「逆転」 02 木曽三川 レ・ミゼラブル!

<<   作成日時 : 2013/01/25 08:30   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 4 / コメント 2

一切れのパンを盗んだがために19年間の過酷な監獄生活を
強いられた挙句、出獄後の自由も認められず、生きている限りは
”仮釈放”の扱い・・・これが主人公・ジャン・バルジャンの
半生です。

一方、スキあらば監獄へ戻すべくバルジャンの監視を続けるのが
宿敵?ジャベール警部という構成の物語「レ・ミゼラブル」は、
最近映画でも人気を集めたのでご存知の方も多いと思います。

※この題名、昔は「あゝ無情」だった? もっと昔は「噫無情」?

画像










 映画「レ・ミゼラブル」 監獄時代のジャン・バルジャン

日本にもそれを連想させる歴史があって、「関ヶ原の戦い」
(1600年)の折に端を発した徳川VS島津の確執はまさしく
ジャベールVSバルジャンの関わりに似ています。


「関が原」の際、島津(薩摩藩)は東軍(徳川方)へ味方する
申し出をしたのですが、徳川方がこれを頭から疑ったために
すっかりヘソを曲げました。 トコトン拗ねちゃったわけです。

大きな荷物を運んでいる人がいたので、親切心から手を
差し伸べたら、「ひったくり」に誤解されたようなものですから、
誰だって「ムッ!」するのは当然かもしれません。

で、参加した西軍(豊臣方)は結局惨敗を喫するハメになったの
ですが、この時の島津は敢えて東軍の陣中を通過するという
無謀かつ猛々しい敗走ぶりを見せつけました。
この当てつけもどきの行動が、今度は徳川方の面々の頭に
「カチン!」ときた。 こないわけがない!

こんなことをお互いが積み重ねているのですから、それこそ
「不倶戴天の敵」「仮想敵国」という思いが膨らんでいったとしても
無理もないことなのかもしれません。

力に勝る徳川にしてみれば、早い段階でこの忌々しい島津を
潰しておきたかったのでしょうが、そうしようにも目の前の
巨敵・豊臣への対応に追われてそこまでは手が廻らなかった、
というところでしょうか。(豊臣滅亡は1615年のこと)

つまり、それ以後も徳川はジャベール警部と同様に、ジャン・
バルジャン島津のスキを窺っていたということになります。

1753年(宝暦3年)、幕府に絶好の機会が来ました。
磐石の幕府体制も構築した徳川は、薩摩藩に対して木曽三川
(木曽川・長良川・揖斐川)の治水(分流)工事を命じます。

しかも情容赦のない条件も付けました。
〜工事費用は全額を薩摩藩が負担せい!〜
〜専門職人は一切雇ってはならんこととする!〜


これを知った薩摩藩の中からは「一戦交えるべし!」との意見も
出たほどでしたが、結局のところ翌1744年、平田靱負(ひらた・
ゆきえ)を総奉行としてこの難工事に着手することになります。

ところが、さらにこんな指示も出されたそうですから、単なる
「嫌がらせ」に留まらず、幕府は明白に「懲罰」の意図を持って
いたと思われます。
〜食事は一汁一菜しか認めんゾ!〜

さらには地元民に対しても
〜ええか、あいつら(工事関係者)にはミノや草履とて
 決して決して安く売ってはならんゾ!〜


大雨によるやり直し工事も増える上に、幕府も意図的な?計画
変更を繰り返します。
さらには、堤防を決壊させるなどの妨害工作も幕府自らが手を
下したそうですから、ハナから「イビリ倒す」腹だったのでしょう。

映画「レ・ミゼラブル」を観たけれど、ジャベール警部だって
さすがにここまではやっていなかったぞ!

この工事は1755年に一応の完成をみますが、その間にハンパ
でない借金を作り、多数の自刃者と病死者を出したことの
責任を一身に負う形で総奉行・平田靱負は自刃しました。

治水工事が「治水事件」と呼ばれているのですから、かなり歪な
出来事だったことは間違いありません。

この時の薩摩藩が幕府に対して抱いた「恨み骨髄に徹す」
「幕府憎し」の思いは、「関ヶ原」の時よりも大きいものがあって、
それが幕末期における薩摩の“倒幕エネルギー”に直結している
と見る向きも少なくないようです。

いわゆる「目には目を、歯には歯を」のパターンです。
つまり、この時の幕府が薩摩に対してここまでのイビリを行って
いなかったのなら、立場が逆転?した幕末期における薩摩の
幕府に対する対応もあれほど過激なものにはなっていなかった
・・・かもしれないということです。

その意味からすれば、この「宝暦治水事件」は、強い立場を
傘に着て相手を徹底的にいじめ抜くなどは「間違い」である
ことを如実に示していることになります。
良い子のみなさんは、決してマネをしないようにネ!

で、この「治水工事」で一番得をしたのは、薩摩を疲弊させた上に
「借金漬け」させることにに成功した幕府であることは間違いない
しょうが、では二番目は?

それは多分、身銭を切ることなく「治水」というオイシイところだけ
を手に入れることができた地元・尾張藩のハズです。
薩摩のみなさま、昔のこととは言え、こんなチャッカリ者の尾張の
人間をどうぞ勘弁してやってくださいナ。





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。

それにしてもここまであからさまだと常軌を逸してますねぇ。薩摩藩が見せしめにされたのかも知れませんが、やり過ぎ感がここまで漂うというのも…。

宝暦3年だと家重の代ですね。ひょっとしたら家重が島津公に恨みを持っていたとか、記録に残っていない所で何かあるかも知れないですねぇ。家重がどもりだとか小便が近いとか容貌の点で何かと言われているだけになおさら…。
kanageohis1964
2013/01/25 10:02
コメントを毎度ありがとうございます。
この「宝暦治水事件」は小説の題材になるほど大きな
出来事だったようで、杉本苑子氏が直木賞受賞
「孤愁いの岸」でこの事件を取り上げています。
またその原作が、奉行・平田靱負(竹脇無我)、副奉行・
伊集院十蔵(森繁久弥)の配役で舞台にもなったようですよ。
住兵衛
2013/01/25 17:50

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