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zoom RSS 日本史の「逆転」01 ” 謎の絵師”に謎はない!

<<   作成日時 : 2012/11/25 10:00   >>

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江戸中期の浮世絵師・東洲斎写楽は、一般的には
〜寛政六年(1794年)5月から翌年3月にかけての約10ヶ月に
百点以上の錦絵を残し「忽然と姿を消した」?謎の人物〜

と理解されているようですが、これって少しヘンなのでは?

なぜなら、考証家・太田南畝が同時代に著した「浮世絵類考」※
には〜写楽は俗称斎藤十郎兵衛で八丁堀に住む「阿波の
能役者」である〜
とのハッキリした説明があるからです。
※その後、専門家達の補記も含め「増補浮世絵類考」(1844年刊行)となる。

 出展:ボストン美術館 浮世絵名品展
 天王子屋里虹 二代目山下金作の仲居おかね実は貞任妻岩手御前 寛政6年(1794)11月
画像 

 また、同書には写楽の役者
 絵について「あまりにリアル
 な描き方のために人気の
 方はイマイチだった」との
 説明もあります。

 つまり、当時の「役者絵」は
 「女形(おやま)」を描くにして
 も、あくまでも「女性」として
 描くことが暗黙のルール?
 だったのに対し、これを写楽
 は歴然とした「女形」(男性が
 演じる女性)としてリアルに
 描いたのでファンには受け
 入れられなかった、と言って
 いるわけです。 ※上の絵でも「女形(おやま)」であることは歴然!

ですから、これは同時に「短期間で忽然と姿を消した」ことの説明
にもなっています。
要するに、ファンはこの作風を受け入れなかったために写楽は
「売れない絵師」として短期間で消えたということです。
現代でいうなら、さしずめ「一発屋芸人」並みの評価だったという
ところでしょう。

事実、そのように理解されていたこともあって写楽については
二十世紀に至るまで特段の「謎」も存在していませんでした。

ところが、これがコロッと「逆転」?します。
そのキッカケは、ドイツの美術研究家であるユリウス・クルトの
一冊の本「Sharaku」(1910年)の刊行でした。

クルトはこの本で「写楽」を絶賛し、レンブラントやベラスケスと
並ぶ「世界三大肖像画家」とまで評価したためにその意識が
逆輸入されて、つまり、こう受け止めたわけです。

〜おおっ、立派な「ガイジンさん」が日本人画家「写楽」をこんなに
褒めてくださっているゾ!

それならば、世界的に有名なレンブラント様やベラスケス様と
並び称されるレベルの「写楽」が日本国内において「売れない
絵師」とあっては、これではさすがにカッコウがつかないゾ。

と、いうことはきっとなら、かなり有名な絵師が自分の正体を
隠した上でちょっくら「ペンネーム」を使って発表していたに
違いない! そりゃそうだろう、世界の「三大」に当選できるような
日本人が国内において「売れない絵師」ということでは折角の
クルト様のご好意に報いることができないものなあ!〜


で、レンブラント様やベラスケス様にヒケをとらないだけの
「大画家」を探す作業が始まった、というワケです。
もっとも、その裏には「写楽」を正当?に評価できなかった自分達
(日本人)の「カッコ悪さ」?をこの際払拭しておきたいとの思いも
手伝っていたことでしょう。

その「写楽の正体」として、名を挙げられた人物は多彩で、
画家/歌川豊国・葛飾北斎・喜多川歌麿・円山応挙・・・他
役者/中村此蔵 作家/十返舎一九 俳人/谷素外
版元/蔦谷重三郎 ・・・などなど、現在まで少なくとも30以上の
「別人説」が登場しているようですが、この全てが実はクルトの
「Sharaku」刊行(1910年)以降のことになります。

つまり、この「写楽別人説」?の登場には日本人が元々持って
いる心の「素直さ従順さ」が現れているのかもしれません。
なぜなら、このような「言い方」だってできたはずですから。

おうおう、確かに「写楽」は名もなき「一発屋芸人」?だったゾ。
ええか、そのレベルでも「世界の三大肖像画家」なんだ。

それを考えたら、その遥か上をいく?「北斎」や「広重」なんぞは、
世界どころか「宇宙の三大画家」と言ってもいいくらいのものだ! 
レンブラントさん、ベラスケスさん、ついでにクルトさん、どうだ、
おそれいって腰でも抜かしたか!

しかしながら、謙虚さに欠ける?このような「言説」は封印して、
むしろ逆に、「ガイジンさん」の評価に値するような「和製大物」を
探し出そうとするのですから、確かにこの国の「美徳」感覚には
独特のモノがあるようです。

ひょっとしたら、「写楽」に擬せられた「豊国」や「歌麿」たちが
草葉の陰で嘆いているかもしれません。

〜二十世紀の日本人たちはヒドイことを言うぜ。
何を血迷ったのか、「写楽」の正体はこの「オレ」だってヨ。
どうやったら、あんなグロテスクな絵を描くチンピラ絵師と間違え
ることができると言うんだ。
ほんと、もうオチオチ死んでもいらねぇゼ!〜


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
>クルトはこの本で「写楽」を絶賛し、レンブラントやベラスケスと
>並ぶ「世界三大肖像画家」とまで評価したためにその意識が
>逆輸入されて、つまり、こう受け止めたわけです。

実はこれは嘘なのです。日本人が写楽を持ち上げるためにでっち上げた「外国人の絶賛」で、実際にクルトの本のどこにもレンブラントやベラスケスの名前は出てきません。
1994年にクルトの「Sharaku」の日本語訳が出版されたために嘘だとバレてしまいました。写楽で商売したい業界は知らんふりしていますがね。
現在ではベラスケスの知名度が下がったきたせいか、ルーベンスに変更されて紹介されることも増えています。(この場合でもクルトが本に書いたことになっている)
写楽の研究書を書いたばかりに名前と著者を日本人たちに利用されたクルトもさだめし草葉の陰で嘆いていることでしょう。
ゆきずりさん
2017/04/11 12:41
→>ゆきずりさんへ
コメントをありがとうございます。
ええッ!「外国人の絶賛」というのは嘘
だったのですか。
こりゃまた「俗説」に惑わされて、いい
加減な記事を書いてしまいました。
ご指摘ありがとうございました。
今後とも弊ブログのご贔屓をよろしく
お願いいたします。
住兵衛
URL
2017/04/12 09:26

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